今回は「鈴鹿サーキット」の蘊蓄100章です(写真:tada / PIXTA)

モノ情報誌のパイオニア『モノ・マガジン』(ワールドフォトプレス社)と東洋経済オンラインのコラボ企画。ちょいと一杯に役立つアレコレソレ。「蘊蓄の箪笥」をお届けしよう。
蘊蓄の箪笥とはひとつのモノとコトのストーリーを100個の引き出しに斬った知識の宝庫。モノ・マガジンで長年続く人気連載だ。今回のテーマは「鈴鹿サーキット」。あっという間に身に付く、これぞ究極の知的な暇つぶし。引き出しを覗いたキミはすっかり教養人だ。

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1. 「鈴鹿サーキット」とは、1962年に本田技研工業によって三重県鈴鹿市に建設された国際レーシングコース

2. 「F1日本グランプリ」や「鈴鹿耐久ロードレース」等の開催地として知られ、遊園地やホテルも隣接している

3. 日本初の全面舗装と観客席を備えたサーキットで現在はホンダグループのモビリティランドが運営する

4. 日本でも1910年代から富裕層や外国人による自動車レースが行われていた

5. 1936年には日本初の常設サーキットとして神奈川県川崎市の河川敷に「多摩川スピードウェイ」がオープン

6. 〈オリンピアスピードウェイ〉とも呼ばれ人気を博したが周辺が住宅地となり騒音問題等から50年代に廃止

7. 一方でホンダをはじめとする日本の二輪メーカーはマン島TTレースなどの海外レースに挑み始めていた

8. しかし多摩川スピードウェイの廃止後、国内の常設サーキットは未舗装の浅間高原自動車テストコースのみ

9. 代替コースの建設案が進行しないなか、ホンダ創業者・本田宗一郎は本格的サーキットの自社建設を決める

10. 1959年末、社長を務める彼はホンダの第三工場・鈴鹿製作所の厚生施設に関する提案会議の席上それを明言

日本初の欧州型完全舗装コース建設プロジェクト


11. 当時ホンダは海外挑戦をはじめたものの自分たちのレース活動が世界に通用するか未知数の時期だった

12. 直ちに専務・藤沢武夫を中心にチームが組まれ日本初の欧州型完全舗装コース建設プロジェクトが始まった

13. 社内外に巨額の投資を危ぶむ声もあったが藤沢は自宅を抵当に入れるなどして推進に向けての意見を調整

14. 浜松・水戸・浅間・亀山・土山など複数の候補地を検討した結果、鈴鹿製作所の隣接地を買収することになる

15. 当初は現在地より北東寄りの水田を転用し1周約4kmのコースを計画していたが本田宗一郎はそれに反対

16. 「米を粗末に扱うな」とスタッフを一喝し、水田ではなく丘陵地帯の約50万坪の松林を造成することになる

17. サーキットの要となるコースレイアウト設計グループの責任者には社員の塩崎定夫が抜擢された

18. 彼はスーパーカブを増産する鈴鹿製作所の生産管理担当者でサーキット設計にはまったくの素人だった

19. 1960年8月にコースレイアウト原案が作成されたが、この初期案は立体交差が3つある特異なものだった

20. 同年12月、塩崎はGPチームのマネージャーを務める飯田佳孝とともにヨーロッパの名門サーキットを視察

21. ベルギー、オランダ、イタリア、西ドイツ(旧)の各所を回りコース作り、付帯設備、レース運営等を学んだ

22. その後、塩崎はオランダのザンドフルート・サーキット支配人だったジョン・フーゲンホルツを鈴鹿に招へい

23. コースの詳細設計を依頼されたフーゲンホルツはマムシの出るなか鈴鹿山中を視察し施工全体に助言する

24. 彼の一番のアドバイスは、〈片方のタイヤだけがすり減るのを防ぐため立体交差を作り8の字にする〉こと

25. また塩崎案ではパドック裏手にヘアピンがあったが、フーゲンホルツは「場内放送が聞き取れない」と却下

26. 塩崎は土木工事よりも施設建設に費用を充てるため、極力土砂を削らずに建設できる設計を心掛けたという

27. 設計案が5稿まで進行するにつれ〈行きはテクニカル、帰りは高速で戻る〉というレイアウトが完成した

28. 鈴鹿サーキットは〈完全舗装〉を標榜していたが、当時の日本では高速道路すらまだ整備されていなかった

29. ゆえに塩崎らは欧州視察の際、現地サーキットの舗装を靴ベラで削りとり、参考資料として日本に持ち帰った

30. さらにフーゲンホルツは各地サーキットの走行路の路面舗装を〈円柱状〉にくりぬいたサンプルを提供

8の字形のレイアウトは世界でも珍しい

31. 削った舗装表面のみならず層として知ることで、特殊サーキット舗装の構造を真に理解させるためだった

32. 舗装を請け負った日本舗装(現NIPPO)はオーバルテストコースの経験はあったがロードコースは未経験

33. 日本舗装のスタッフは視察団から提供された欧州の路面材料を分析しながら、日本各地の川砂を研究した


木曽川(写真:ryuukikou / PIXTA)

34. その結果、〈木曽川〉の雑岩を中心としたものに決定。しかしその集積には約6か月を費やしたという

35. 鈴鹿の〈舗装〉は注目を浴び、当時、一部工事が始まっていた名神高速道路の工事関係者も見学に訪れた

36. 1962年9月、ついに鈴鹿サーキットが完成。11月には「第1回全日本選手権ロードレース」が開催された

37. 鈴鹿サーキットのオープニングレースとして開催されたこの大会は本格的なロードコースでの二輪レース

38. 初日は雨にたたられたものの、鈴鹿サーキット初のレースはアクシデントなくスムーズに進行した

39. 鈴鹿サーキットのコースの特長は、東西に細長く、中間の立体交差を挟み右回りと左回りに入れ替わること

40. この〈8の字形〉のレイアウトは世界でも珍しく、土地の高低差と低速〜高速コーナーのバランスも絶妙

41. コースの全長は四輪で5.807km、二輪で5.821kmあり、日本国内のサーキット場では最長である

42. コース幅は10〜16m、コーナー数は20あり、最大高低差は52m。難易度の高いコースとして評価されている

43. 全長800mからなる鈴鹿の「メインストレート」は第一コーナーに向けて2.8%の〈下り勾配〉となっている

44. しかしこの下り坂のためにスタート時にブレーキを離すと車が動き出してしまいフライングを犯しやすい

45. 1988年のF1日本GPでは予選でポールポジションを獲得したアイルトン・セナが決勝でまさかのエンスト

46. しかしセナのマシンは鈴鹿のメインストレートの下り勾配で動き出し、エンジンをかけることに成功する

47. 時折雨が降るなかセナの猛追が始まり、レース中盤でトップのアラン・プロストを抜くとそのまま優勝した

48. セナはこのレースの優勝によって最終戦を待たずに自身初の〈シリーズ・チャンピオン〉に輝いた

49. 「S字コーナー」「逆バンクコーナー」は左・右・左・右と中速コーナーが慌ただしく連続するセクション

50. 正確に操作しないとラップタイムに大きく影響するため、〈S字を制する者が鈴鹿を制す〉ともいわれる

ダンロップコーナーとは?

51. 鈴鹿サーキットは西方の鈴鹿山脈から流れ込む雲が通り雨を降らし、台風の進路になることも多い


雨の日のサーキット(写真:tada / PIXTA)

52. 特にS字コーナー周辺は雨天時に路面に川ができやすく、ドライバーは姿勢を崩しやすいといわれる

53. また最後の右カーブは路面に〈傾斜がついていない〉ため、走っているとアウト側へ傾いているように感じる

54. その錯覚から「逆バンク」と呼ばれるが、鈴鹿常連選手はこれを感じた日は〈調子が悪い〉と判断するという

55. 「ダンロップコーナー」は大きな横G(重力)がかかる高速ロングコーナーでコース中、最もきつい上り勾配

56. かつてコース上にダンロップ社のタイヤの形をした看板があったことからこの名で呼ばれるようになった

57. 「デグナカーブ」とは、短い直線を挟んで二連続する角ばった右コーナーのこと

58. 1962年「第1回全日本選手権ロードレース」の最中、ここで転倒したエルンスト・デグナーの名に由来する

59. 「200R」「250R」は下りのゆるやかな右カーブが続く区間だが、「マッチャン」という別名でも知られている

60. 1969年8月「12時間耐久レース」で元ホンダ社員でRSC契約選手だった松永喬がこの場所でクラッシュ

61. レース当日、松永はホンダR1300に乗車していたが、この死亡事故によってR1300の開発は打ち切られた

62. 事故が起きたのは出口側の250Rだが、200R〜250R付近をまとめて〈マッチャン〉と通称することが多い

63. 「西ストレート」は鈴鹿最長1200mのほぼ直線。立体交差を渡る手前にあり最高速度を記録することが多い

64. その西ストレートからわずかに減速して飛び込む左の超高速コーナーが「130R」である

65. 度胸試しの名物コーナーとして知られたが2003年の改修によって複合コーナーになり難易度はやや落ちた

66. 130R通過後スピードにのった状態から急減速する左の鋭い角度のS字コーナーが「日立オートモティブシステムズシケイン」

67. かつてはカシオの看板があったこととその形状から「カシオ・トライアングル」と呼ばれていた

68. 2014年3月に日立オートモティブシステムズがパートナー契約を結び命名権を取得した

69. 1989年に行われた「F1日本GP」ではこの場所でアイルトン・セナとアラン・プロストが接触

70. レースではブレーキング勝負の仕掛けどころとして知られ、ここをポイントに数々の名勝負が生まれている

自転車レースで鈴鹿を使用する場合は「逆回り」

71. 「最終コーナー」はメインストレートに向かって加速するゆるい右コーナーである

72. きつい上り勾配のダンロップコーナーとは逆に、最終コーナーは急な〈下り坂〉になっている

73. そのため自転車レースで鈴鹿を使用する場合は、最後の下り坂の危険を避けるため「逆回り」で行われる

74. 国際自動車連盟はサーキットの安全基準を等級化しているが鈴鹿は最上級「グレード1 」に認定されている

75. 2005年に国際自動車連盟がF1ファンを対象に行ったアンケートでは好きなサーキットとして5位に入賞


モナコのモンテカルロ市街地コース(写真:enomoto / PIXTA)

76. 1位はモンテカルロ市街地コース(モナコ)だったが、欧州サーキットが4位までを占めるなか大健闘した

77. 富士スピードウェイがスポーツカー路線である一方、鈴鹿は長時間耐久やフォーミュラカーレースが中心

78. 主なレースイベントは3月の「モータースポーツファン感謝デー」、7月には二輪の「鈴鹿耐久ロードレース」

79. そして10月に行われる「F1日本GP」だが他にもソーラーカーレース鈴鹿など多くの二輪・四輪大会を開催

80. モータースポーツ以外にも「二輪車安全運転全国大会」や「鈴鹿シティマラソン」等、多様に使用されている

81. 2018年には鈴鹿1000kmから継承されたFIA-GT3車両の世界統一戦「鈴鹿10時間耐久レース」が開催予定だ

82. 1980年代後半、F1開催期間の渋滞を避けるため近鉄名古屋線「白子駅」からヘリコプター便を運航していた

83. 現在もF1GP開催時には名古屋空港や中部国際空港とサーキット間を結ぶチャーターヘリを運航している

84. 1993年に公開された映画『ゴジラVSメカゴジラ』では、京都に向かうゴジラが四日市から上陸

85. 海沿いのコンビナート群を次々と破壊し、鈴鹿サーキットで大暴れするゴジラの姿が描かれている


モートピアの観覧車(写真:せなぞう / PIXTA)

86. 国際レーシングコースに隣接している「モートピア」は、乗り物アトラクションが充実している遊園地だ

87. 鈴鹿サーキット建設を主導した藤沢には幼い頃から正しくエンジンに親しむことが重要との理念があった

88. そこで藤沢は米国ディズニーランドのようにゴミひとつなく、家族で楽しめる「自動車遊園地」を提案

89. このモータースポーツランド構想をもとに1961年に多摩テック、生駒テック、63年にモートピアが開園した

90. 他の遊園地に比べ自分で操作して楽しめるアトラクションが多く66年には年間入場者数100万人を突破

F1決勝時は、観覧車に長蛇の列

91. 翌1967年には鈴鹿サーキット施設内に修学旅行にも対応可能な収容人員500名というホテル棟を開業

92. 1960年代当時、小・中学生の修学旅行は奈良・京都が中心。三重県内でも伊勢・志摩がメジャーとされていた

93. 藤沢はそこに四日市の石油コンビナートや鈴鹿製作所の工場見学を加えた新しい修学旅行コースを提案

94. 鈴鹿サーキットでのエンジン教室や遊園地モートピアを楽しむこともでき一躍人気の修学旅行先となった

95. 現在では天然温泉やオートキャンプ場、ボウリング場、テニスコートも備え大型レジャーランド化している

96. またホテルはサーキットと隣接しているため移動が容易で、選手やチーム関係者からも好評を得ている

97. 鈴鹿サーキットには交通マナーや運転テクニック向上を目的とした「交通教習センター」も併設されている

98. ここではホンダ製のオートバイや自動車を利用した運転技術指導が行われている

99. 鈴鹿サーキットのランドマークとして海外にも知られるのがモートピアの観覧車「サーキットホイール」だ

100. 国際レーシングコースの真隣にあり上空からサーキット内が楽しめるためF1決勝時は長蛇の列ができる

(文:寺田 薫/モノ・マガジン2017年11月2日号より転載)

参考文献・HP/「本田宗一郎と『昭和の男たち』」(文藝春秋)、「日本グランプリレース」(東京キララ社)、「ホンダオートバイレース史」(三樹書房)、HONDA、モビリティランド、鈴鹿サーキットほか関連HP