金正恩氏

写真拡大

かつては北朝鮮全国のどこにでもあった配給所。食料品から生活必需品に至るまで、選択肢は多くなかったものの様々な物資を配給していた。しかし、1990年代に配給システムが崩壊して以降は、有名無実の存在となっていた。北朝鮮当局はこのような配給所の廃止を始めた。

両江道(リャンガンド)のデイリーNK内部情報筋によると、恵山(ヘサン)市人民委員会(市役所)は今年9月、市内の配給所を廃止するとの通達を出した。今後、特別な休日に配給する物資があれば、洞事務所(末端の行政機関)で受け取る体制に転換することにした。

配給所とは、文字通り配給を受け取る場所だ。北朝鮮は、他の旧共産圏でも類を見ない完全な配給制度を実施していた。つまり、日々の食べ物から生活必需品に至るまで、贅沢品を除いたあらゆるものを配給制にしていた。

人びとは、工場、企業所で働いた日数、労働強度、家族の数に応じて受け取った配給票と引き換えに、物資を受け取っていた。

金日成主席が存命していた1980年代には、国民1人あたり1日620グラムのコメが配給されていた。ところが、その後、遅配が増え、量が減り、1995年には配給そのものが完全に止まってしまった。

非科学的なチュチェ農法による低い農業生産性、物流システムの不備という北朝鮮という国そのものが抱える構造的問題に、冷害や大水害などの自然災害が重なり、朝鮮半島の歴史で最も多くの餓死者を出した17世紀の庚辛大飢饉に匹敵するとも言われる「苦難の行軍」が起きたのだった。

食料品を配給所で受け取ることに慣れきっていた北朝鮮の人びとは、それ以外の方法で食料品を得る方法を知らなかったため、次から次へと餓死していった。人びとは生き延びるために山を切り開いて農作物を生産したり、中国から様々な商品を密輸したりして、市場に持ち寄り売買するようになった。

ちなみに当時に比べ、現在の北朝鮮は食糧事情が大幅に改善されている。ただ、国民経済のなし崩し的な資本主義化が進行し、貧富の格差が広がっている今、貧困層は食べ物などの価格がわずかに上昇しただけでも大きな影響を受ける。

(参考記事:コンドーム着用はゼロ…「売春」と「薬物」で破滅する北朝鮮の女性たち

配給所は、曲がりなりにも社会主義計画経済が機能していた時代の遺物となった。北朝鮮の計画経済は、名実ともに破たんしたのだ。

今回、地方政府が配給所の廃止に踏み切った背景には、もはや何の機能も果たしていないことを認め、現実に合った政策に転換することで市民の支持を得ると同時に、住民の結束を図り、統制を強化しようという意図があるものと思われる。

情報筋は、今後行われる特別配給で忠誠分子と不満分子が受け取る量に差を付け、「言うことを聞けばより多くの配給がもらえる」ことを見せつけて、体制への忠誠心を引き出そうとする目論見があると分析した。

北朝鮮の政治は、徹底した思想教育と、贈り物で手なずけることを基本としている。かつては贈り物や勲章を指導者から受け取ると涙を流して喜んでいたが、「そんな時代はとっくに去った」と情報筋は語った。

しかし長年の習慣からか、北朝鮮の人びとは配給に期待する気持ちを持ち続けていて、それが時に暴走することもある。太陽節(故金日成主席の生誕記念日)を控え、特別配給があるとの噂が立ち、人びとは期待に胸躍らせた。ところが、配られたのはありふれたもので、中には傷んだ魚も含まれていたため、人びとから激しくけなされる始末となった。

昨年5月の朝鮮労働党第7回大会に際しては、「全国民に、45インチの高級液晶テレビなどの高級家電が配られる」という荒唐無稽な噂が立ってしまった。

全国の小学生に特別配給として配られたお菓子セットは不味いと大不評で、市場で二束三文でたたき売りされた。これでは金正恩党委員長の面目丸つぶれだ。情報もモノもなかった1980年代以前とは異なり、草の根市場経済の進展で様々な商品が出回るようになった今の北朝鮮の人びとを配給で満足させるのは至難の業だろう。