セイラー教授が取り組み始めた頃には、「行動経済学」はまだ「カルト的異端」とされていた(写真:ロイター/アフロ)

リチャード・セイラー(シカゴ大学教授)が今年度のノーベル経済学賞を受賞した。行動経済学と銘打った受賞は2002年のダニエル・カーネマン以来なので、15年ぶりということになる。しかし、実は、2013年に受賞したロバート・シラーも行動ファイナンスの創始者であり、それからはわずか4年目の受賞である。

行動経済学は、心理学者であるカーネマンとエイモス・トベルスキーが幕を開けた。この二人の業績は他に比較できないほど多彩で豊富であり、その評伝は最近発刊されたマイケル・ルイスの『かくて行動経済学は生まれり』(原題:The Undoing Project: A Friendship that Changed the World)に面白く描かれている。

彼らに続くのが、経済学者であるセイラーとシラーである。トベルスキーは受賞確実と言われながら受賞前の1996年に死去したので、行動経済学を創始した第1世代と第2世代はすべてノーベル経済学賞を受賞するに値する功績を残したと言える。

「人々は私と同じように愚鈍なのだ」

現在の経済学がホモエコノミカスと呼ばれる、感情を持たない、利己的で、頭の良い、超合理的個人を前提として発展してきたのに対し、現実の人間(ヒューマン)は、感情に動かされ、他人を意識し、たびたび間違いを犯す限定合理的な人であり、そのことを考慮して経済学を作り直そうというのが行動経済学である。

セイラーは経済学者の中ではもっとも早くカーネマンとトベルスキーに傾倒し、行動経済学に取り組んだ人物である。二人への傾倒ぶりは、彼の学問的側面の自叙伝である『行動経済学の逆襲』(原題:Misbehaving: The Making of Behavioural Economics)の前書きにおけるトベルスキーへの痛切な哀悼の言葉を見ても分かる。前書きでは、カーネマンがセイラーの最大の長所は「ものぐさ」であることだと言ったという逸話が面白おかしく紹介されており、セイラーがユーモアに満ちた謙虚で温かい人物であることをうかがわせる。

セイラーとシラーの関係も興味深い。シラーは学生の時から当時最大の話題であった「合理的期待仮説」と「効率市場仮説」に疑問を抱き、皆が信奉していた両仮説が現実には支持されないことを1981年の記念碑的論文で明らかにした。しかし、その当時シラーはまだ行動経済学に開眼していなかったらしい。セイラーの前掲書によると、「シラーが1982年に講演のためコーネル大学(当時セイラーが勤務していた)にやって来た時・・・キャンパス内をずっと散歩し、のちに「行動学的視点」と呼ばれるようになる観点から自分の論文をとらえるようにシラーに勧めた」そうである。


その影響もあってか、1990年に筆者がシラーのホームページを見た時、彼の専門は「行動ファイナンス」であると記されていた。当時、「行動・・・」という学問は怪しげで侮蔑の対象でしかなかったので、強い違和感を覚えたことを記憶している。二人は1991年から2015年まで、共同で「行動ファイナンスワークショップ」を開催した。とりわけ夏季セミナーが世界中の若い行動経済学研究者を育て行動経済学の発展に寄与したことは有名である。

セイラーは2015年度のアメリカ経済学会の会長であり、2016年度はシラーがその職にある。二人が研究を始めた1980年代には、合理的個人を前提とする経済学が絶頂に達し、それに異論をはさむ行動経済学はカルト的異端として徹底的に攻撃され排除されていたのである。

セイラーの回想では、あるコンファランスで超合理主義者であるロバート・バローと自分のモデルの違いについて「バローは彼のモデルで、人々は彼と同じように明敏だと仮定しているが、私は人々は私と同じように愚鈍であることを描こうとしているのだ」と述べたところ、「バローはその意見に同意した」とある。ところが、バローもノーベル経済学賞の有力な候補であるが、実際に受賞したのはセイラーが先だった!

心理会計=「儲けたい」より「損したくない」

セイラーの仕事は多岐にわたっている。最初に関心を持ったのは、カーネマンとトベルスキーが提唱した、人々は利得を喜ぶより損失を嫌がる程度が強いという「損失回避」をおカネの心理に応用することであった。これは「心理会計」と呼ばれる分野となったが、ほとんどセイラーが一人で作り上げたものである。

彼の回想によると、この彼の最初の行動経済学的な論文は「6つだか7つだかの主要な学術雑誌に掲載を却下された。正確な数は記憶の底に封印している。……折よく……新しい学術誌が刊行されたので、そこに送ったところ、創刊号に掲載してもらえた」。筆者も学術誌から「却下」を受け続け落ち込んでいる一人であるが、セイラーでさえそういうことがあったというのはホッとする話である。もっとも、この雑誌は現在では行動経済学に関連する専門誌の中ではトップジャーナルであるが。

「心理会計」とは、人々がおカネを管理することを考える際に支出する項目を区切って決めたり、1日ごとに区切って計算したりすることである。たとえば、競馬で賭けている人は競馬場側の取り分があるので平均的にいってだんだん負けが込んでくるが、1日の最後のほうになると元を取り返そうとして大穴に賭け、かえって大損する傾向があるといった風である。

セイラーを含め行動経済学の大家たちが行った研究として、ニューヨークのタクシードライバーのデータを使ったものが有名である。これは個々のドライバーの運転記録を用いて、客が捉まえやすく収入があげやすい日には彼らは早めに仕事を切り上げる傾向があることを明らかにした。収入が得やすい時に働くのが合理的なので、これはタクシードライバーが非合理的な行動をとっていることを意味しているように見える。

この結果を心理会計は、タクシードライバーは1日の売り上げ目標を設定していてそれを達成すれば営業をやめると解釈する。その行動は非合理的なのだろうか。1日の売り上げ目標を持つことはセルフコントロールが簡単ではない普通の人間にとっては当然必要な行動なのだと、セイラーらは主張する。自己規律なしには人間は堕落し、サボってしまうことが目に見えているからである。

保有効果=「保有しているものを失いたくない」

カーネマンらとともに発見した、自分が保有しているものを高く評価するようになるという「保有効果」も広く知られている。自分が持っているマグカップを手放してもよいと思う値段は、自分がそれと同じものに支払ってもよいと考える値段より何倍も高いということが、経済実験で発見された。

経済学的には個人にとっての物の価値は決まっているので、その人の売り値と買い値はほぼ等しいはずである。「保有効果」は驚くべき実験結果であり、私も直感的にはなかなか納得できないでいる。保有効果が働くと、野球チームの交換トレードのような「物々交換」が成立しにくくなるだろう。ただしチームの事情によって同じ選手の評価が違うので、トレードは起こりうるのだが。

ファイナンスの世界におけるセイラーの貢献も大きい。その一つは、1985年から1990年にかけてデボンらともに発表した「株価は過剰反応する」という主張である。当時は、株式市場では情報は適切にかつ瞬時に理解されて株価に反映されるという「効率市場仮説」が広く信奉されていたので、この発見はそれに対する挑戦であった。

ちなみに、効率市場仮説の主導者はユージン・ファマであり、2013年にシラーらとともにノーベル経済学賞を受賞した。当時、「効率市場仮説」を作ったファマとそれを壊したシラーに、同時に賞を授与したことに対し、「ノーベル委員会はどちらの見解を支持しているのか」という批判が高まったのである。

しかし、「効率市場仮説」は人々が合理的であり市場が完全であるという究極の世界で実現するものであり、現実がそれから乖離する程度を評価するのに必要なベンチマークである。同様に、行動経済学にとって「完全合理的な人間(ホモエコノミカス)であればどのような経済が実現するはずであるか」は現実の経済を評価する基準として必要なのである。

情報に対して株価はまず過剰反応する

株価の過剰反応の研究は「ある情報が入った時に株価がジャンプしその水準にとどまるのか、それともその後徐々に下がって一定の水準に収束するのか」というものが現在ではスタンダードになっている。このような研究は「イベントスタディ」と呼ばれ、個別の株価が特定のニュース(たとえば会社の決算の公表)にどのように反応するかを調べるものである。

セイラーらの研究はこれとは違い、全銘柄から株価の上昇率が高かった「勝ち組」と低かった「負け組」を選び、その後、負け組の株価は勝ち組より高い上昇率を示すことを明らかにしたのである。つまり、「勝ち組」や「負け組」は過剰反応によって生じており、その後その過剰反応が調整されると主張した。筆者個人は「イベントスタディ」のほうが分かりやすくて好きなのだが、セイラーの方法も、(1)原因を特定せず、(2)全銘柄で「過剰反応」が起きていることを明らかにしている点で優れている。

セイラーは1987年から新しく公刊されたアメリカ経済学会の機関誌に、アノマリー(anomaly)という連載論文を掲載した。映画『マトリックス』に登場するスミス氏も「アノマリー」と呼ばれていたと記憶するが、アノマリーとは「その時の理論と矛盾する事実」のことである。アノマリーが多発することはその理論が改訂される必要があることを意味する。セイラーはこの連載によって、合理的個人を前提としている当時の経済学の限界を研究者に示そうとしたのである。そして、連載が許されたのは次第に行動経済学の機運が高まってきていたことを反映している。

この連載は1992年には一般向けの本としてまとめられた(原題:The Winner's Curse: Paradoxes and Anomalies of Economic Life、日本では『市場と感情の経済学』として公刊、現在では『セイラー教授の行動経済学入門』と題名を改めている)。この本はおそらく一般向けの行動経済学の本としては最初のものではないかと思われる。学界だけでなく社会にも行動経済学を知らしめたセイラーの貢献は多大である。

「明日はもっと貯蓄しよう」で大成功

社会に対するセイラーの貢献としては、SMarT program=「明日はもっと貯蓄しよう(Save More Tomorrow)」が有名である。誰しも常々、貯蓄はしたいし必要だと思っているのだが、ついつい買いたいものが出てくると我慢できずに買ってしまい、結果として貯まらないというのが現実である。長期的に望んでいることと現在の選択・行動が一致しないことは行動経済学では「現在バイアス」と呼ばれている。

人々がもっと貯蓄できる方法として、セイラーは次のようなプログラムを提案した。「給与の振り込みの一定割合を貯蓄する契約を結ぶが、その割合は昇給すれば高くなるように契約しておく。ただし、昇給の時に申し出れば割合を上げることはキャンセルできる」。人間は現在バイアスを持つので、前もっての意思決定では長期的に望ましい貯蓄契約を結ぶ。もう一つのポイントは、人々は現状を変えることを嫌がる「現状維持バイアス」を持っていることで、いったん契約したことを変更するのを嫌がる。こうして「明日はもっと貯蓄しよう」プランは成功を収めた。

同じような発想の試みに「デフォルト」(default)の活用がある。デフォルトとは、利用者がとくに選択を指示しない時に実行される選択肢のことである。たとえばコンピュータにおける「初期設定」がそれにあたる。利用者は必要とあればそれを変更できるが、よほど不便でなければ初期設定のまま使うであろう。

「デフォルト」の応用先として有名なのが、確定拠出年金加入と臓器移植の同意書である。確定拠出年金は最近日本でもブームになっているが、アメリカでは401kと呼ばれ、古くから導入されていた。401kは加入者に有利な制度と考えられていたが、加入率はそう高くなかった。その後、401kに加入しないという意思を示さなければ加入することになるという制度(「加入」をデフォルトとする)に変えたところ加入率が跳ね上がった。臓器移植については、「移植する」をデフォルトとしてしたくない人はその意思表示を必要とする国と、逆に「移植しない」をデフォルトとしてしたい人はその意思表示をする国とでは、臓器提供希望者の割合が極端に異なることが知られている。

強制はしないが「望ましい選択」へ誘導する

「デフォルト」の利用を提案した背景にあるセイラーの考えを明確に定式化したのが「ナッジ」(nudge)である。経済学には「である」を明らかにする「実証経済学(positive economics)」と「であるべきだ」を明らかにする「規範経済学(normative economics)」があるが、「ナッジ」は行動経済学における「規範経済学」である。

行動経済学は人々が非合理であることを明らかにする。「ダイエットしたいけれどどうしても食べてしまう。禁煙したいけどできない」という人に対して、行動を規制(強制)すれば本人にとってもよいのではないかという考えが湧く。たとえば、振り込め詐欺が増えている昨今「ATMでの現金振り込み額を10万円以下とする」という規制はそのような考えに基づいていて、「家父長的規制」と呼ばれる。

ところが、経済学の伝統では人々は合理的であると考えているせいもあって、個人の意思を制限することには徹底的に反対である。行動経済学者も経済学者であり、個人の自由は侵すべきでないと考えている。そこで個人を規制すべきかどうか、行動経済学者のジレンマが始まるのだ。

このジレンマを解決するのが、「ナッジ」である。これは「軽いつつき」という意味で、人々を望ましい選択に誘導しようという枠組みである。一方で、個人にはあくまで自分の意思による選択を実行する権利が保障されている。先日見たNHKで「デンマークの老人施設では糖尿病患者でも望めば甘いものが食べられる」と言っていたが、自分の意思はあくまで尊重されるのである。尊厳死を許すのもこうした考えに基づいている。先に述べた「デフォルトの利用」はその具体的な方法である。

『ナッジ』(原題:Nudge: Improving Decisions About Health, Wealth and Happiness)は2008年には書籍として発刊され、日本では『実践 行動経済学』の題がつけられている。ナッジは、行動経済学の知見を社会でどのように使うべきかの基準を明らかにしたと評価されている。

「行動経済学」はまだノーベル賞を取れる

15年間に3件というノーベル賞受賞は、行動経済学が突出して注目されている分野であることを示唆しているが、行動経済学へのノーベル賞授与はまだまだ続くと予想される。

その第1の分野は、行動経済学で明らかになった事実を経済モデルに組み込むという理論的な作業である。これは行動経済学の究極の目的に他ならない。この分野で活躍している学者としてマシュー・ラビンがあげられる。彼は、今年12月の日本の行動経済学会大会で講演する予定である。

第2は脳科学との協同分野である神経経済学であり、スイスのエルンスト・フェールとカリフォルニア工科大学のコリン・キャメラーがその候補に挙げられている。

第3はフィールド実験の分野で、ジョン・リストとウリ・ニージーが著名である。この二人は『その問題、経済学で解決できます』(原題:The Why Axis: Hidden Motives and the Undiscovered Economics of Everyday Life )の著者である。リストは、この夏「ローレンス・クライン賞」を受賞するため大阪大学を訪問した。

経済実験は行動経済学においても重要な実証方法であるが、従来は実験室において行われるものだった。それを現実の場所において実施しようというのが「フィールド実験」であり、大変な費用を必要とするが、開発経済学や教育経済学などで行われ、驚くべき知見を得ている。アメリカでは、その実験成果が政策の設計に用いられるようになってきている。したがって、ノーベル経済学賞も「フィールド実験への授賞」となり、行動経済学の研究者もそれに加わるという形をとるかもしれない。