女性の結婚率は、35歳を境に急激に下降する。

だがしかし。そんな悲観を抱くことは一切なく、麗しき独身人生を謳歌する女がいた。

恭子、35歳。

彼女が歩けば、男たちは羨望の眼差しで振り返り、女たちは嫉妬する。恭子は一体、何を考えているのか?

外資系ラグジュアリーブランドで働く恭子と、部下の周平は一度は距離を縮めたものの、周平の元彼女・瑠璃子の仕掛けた罠にまんまとはまってしまう。

そんな2人のことを、恭子の同僚・理奈は心配しながら見守っていた。




「理奈がディナーに誘ってくれるなんて珍しい。話でもあった?」

『ケイスケ マツシマ』で食事をしながら、恭子が嬉しそうに顔を輝かせている。

私が恭子を誘ったのは、プレス向けのイベントもひと段落ついて、ゆっくり女同士で話したかったからだ。本題は周平君のことだった。

「うん、あのね。瑠璃子が、周平君と付き合ってるとか言ってるけど、あれ嘘だよね?」

恭子はそっけなく、さあ、と一言だけ言うと、素知らぬ顔でフォークとナイフを動かしている。

周平君が恭子に恋い焦がれていたのは私も知っているし、恭子だってまんざらでもなさそうだった。だけど周平君が転職してから、2人はすれ違ってしまった気がする。歳は離れているけれど、はたからみたって本当によく似合っていたのに。

いつから自分はこんなにおせっかいになったんだろうと思いつつ、私は恭子に尋ねた。

「ねえ。瑠璃子のこと、あのまま放っといていいの?」

手強い瑠璃子のことだから、恭子と周平君を引き裂いたのは彼女に違いないと私は確信している。

恭子は相変わらずのんびりとした口調で、そうねえ、と言いながら何かを考えるような仕草をしている。私はついにしびれを切らして、恭子に言った。

「もう、いい。恭子が動かないなら、私に任せて!」

そして思い切って尋ねた。

「瑠璃子が、恭子の変な噂をあちこちで触れ回ってるけど、どうせあれも嘘よね?ねえ、本当は前の会社で何があったの?」

ところが、それまでの呑気な態度とは打って変わって、恭子はきっぱりと言った。

「ごめん、その話はしたくないの。忘れたいのよ」


理奈がお節介をやくのには理由があった。理奈をどん底から救った恭子


35歳・女の人生


どうして私が恭子の恋愛に首を突っ込むかというと、理由がある。

後輩の瑠璃子は、入社した頃からもともと無礼だったが、プレス向けイベントが終わったあとから以前にも増して、私を見下す態度や発言が目に余るようになった。

アシスタントマネージャーのポジションまでもう一歩のところまでいるらしく、その様子は早くも上司気取りだ。陰口を叩いていた頃なんてまだかわいい方で、最近は心無い発言を直接してくるようになったのだ。

あれは先週のことだ。化粧室で隣の洗面台に立っている瑠璃子が、勝ち誇った顔で話しかけてきた。

「理奈さんって、キャリアもパッとしないのに、結婚もしないでどうするんですか?」

黙り込む私に、瑠璃子は追い打ちをかける。

「でも理奈さんってそれでも諦めなくて、ある意味尊敬します。私ならその歳で独身だったら、心折れて引きこもりになっちゃう」

するといつのまにいたのだろうか、恭子が隣に立っていた。

「あら、瑠璃子ちゃん。35歳って、そう悪くないわよ」

真っ赤な口紅を塗りながら、恭子は何食わぬ顔で口をはさむ。

「むしろ30過ぎてからの方が、選択肢も可能性も広がって、仕事も遊びも楽しいの。そっか、瑠璃子ちゃんは20代だから、人生の楽しみの半分も知らないのね…かわいそうに…」

恭子は哀れみの目で瑠璃子を見つめる。

「でも大丈夫よ、あなたもあと何年かすれば35歳になれるから。あ、でもその頃は引きこもりなんだっけ」

そしてにっこり笑うと、化粧室から出て行った。

そのとき以来、瑠璃子は私に対して意地悪を言ってこなくなった。

大袈裟だと思われるかもしれないけど、化粧室での恭子の発言には、私を人生のどん底から救い上げてくれる、そのくらいの威力があった。

それからの私は、もう悲観的にも自虐的にもならないと決めた。恋も仕事も楽しんでみせる。

ずっと前に周平君が恭子のことを、「スーパーヒーローみたいだ」と言っていたことがある。私にとっては、彼女はジャンヌ・ダルクだ。年齢という壁に突き当たり打ちひしがれていた私の、唯一の心の拠り所。それが恭子なんだ。

だけど一度くらいは、私が恭子を救ってあげたい。そして私は、余計なお世話だとはわかりつつも、恭子と周平君のために一肌脱ぐことを決めたのだった。




「理奈さん、お待たせしました」

オフィスのあるビルの一階で理奈さんの姿を見つけ、僕はかけよった。

「周平君!久しぶりだね!新しい会社はどう?元気にしてる?」

理奈さんが嬉しそうに僕を見上げる。ちょうどそのとき、僕の部下が頭を下げながら横をすり抜けていった。

「周平さん、お疲れ様でした!お先に失礼します」

部下の背中を見つめながら、理奈さんがしみじみと言う。

「周平君も今や、部下を抱える立派な上司なんだね。なんだか生き生きして表情も明るいし、すっかりかっこよくなったわね」

僕は頭を掻きながら、照れ笑いをした。


周平の本心に迫る。周平の気持ちは本当に離れてしまったのか?


周平の本当の気持ち


僕と理奈さんは、半蔵門駅近くの人気店『エリオ・ロカンダ・イタリアーナ』で食事をすることにした。理奈さんは少し言いにくそうに切り出す。

「今日わざわざこうして呼び出したのはね、ちょっと話があったから。恭子のことなの」

その名前を聞くと、どきりとする。戸惑う僕を理奈さんは心配そうに見つめた。

「もしかして、瑠璃子の話を鵜呑みにして、恭子と距離を置いたんじゃないかと思って。だけど信じないでほしいの。恭子は、保身のために他人を利用したり、蹴落としたりする人じゃないってわかってほしい」

まるで自分のことのように深刻な口ぶりで懇願する理奈さんを見て、僕はふっと口元を緩めた。

「大丈夫、わかってますよ」

「でも瑠璃子の家に泊まったって聞いて…本当にヨリ戻したわけじゃないよね?」

理奈さんはおろおろして尋ねる。

確かに僕は、やけになって流されるままに瑠璃子の家に行った。だけど、瑠璃子のマンションに着いた途端に自分の置かれた状況に気がついた。

すっかり酔いの覚めた頭で咄嗟に考えたことは、自分は一体今まで恭子さんの何を見てきたんだろう、ということだ。我に返った僕は、瑠璃子にきちんと話をして、すぐに帰ったのだ。もちろん彼女とは付き合っていない。

それを聞いた理奈さんはほっと安堵のため息をついた。

「なーんだ…よかったぁ。心配して損した。ところで、そろそろかな…」

理奈さんはちらりと腕時計に目をやった。そういえばさっきから時間ばかりを気にしているようだ。

そのとき、後ろから声が聞こえた。

「理奈、遅くなってごめんね…あれっ、周平君もいたの?」

振り返ると、そこには恭子さんが驚いた顔で立っている。

「うふふ、今日の本当の主役のお出まし。実は恭子も呼んでたんだ」

理奈さんが嬉しそうに恭子さんの腕を掴んで、自分の隣に座るよう促している。

「おふたり、いつのまにそんなに仲よかったんですか」

僕がからかうと、理奈さんは恭子さんの腕に自分の腕を絡ませ、口を尖らせた。

「前から仲いいわよ。35歳・独身の女の絆を舐めないでよ」

そして理奈さんは、お邪魔虫はこれで退散、と言い残して、上機嫌で去って行った。

僕は恭子さんをじっと見つめる。

ずっと会いたかった。久しぶりに見る恭子さんは、僕が脳内で何度も描いて思い出していた姿より、何倍も美しかった。

目の前の彼女ではなく、なぜ瑠璃子の言うことを信じてしまったのだろう。あの夜、僕は完全に理性を失ってしまっていた。

しかし彼女の姿を改めて目にし、自分の気持ちを確信した。




僕は恭子さんの手を取って、恭子さんをまっすぐ見つめた。

「もう迷わないって決めたんだ。僕、恭子さんのこと、何があっても信じます。ずっと一番の味方でいるって約束します」

優しく僕を見つめ返す恭子さんを見て、思った。

一体どうして僕は、瑠璃子の作り話を一度でも信じてしまったんだろうか。

だけどあなたになら、仮に利用されたって構わない。それくらい、好きなんだ。

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恭子に再び近付く元彼。周平は恭子を守れるのか?