真っ白な原稿用紙は…(写真:Graphs / PIXTA)

表紙の切迫感が凄い。赤色には気分を高揚させるだけでなく、時間を早く感じさせる心理効果があるらしいが。それを後押しするように文字が並ぶ。「猿に邪魔されても〆切はやってくる」、「とうとう新潮社社長の私邸に監禁」。意味がわからない。普通、日常生活を営んでいて、猿に邪魔されないし、監禁されない。せめて軟禁である。そういう問題ではないのか。いずれにしろ、相当にヤバい状況であることは伝わる。

この作者、大丈夫なんだろうか?


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古今東西の作家の〆切(しめきり)に関する文章を集めた本書『〆切本2』。「2」ということのなので当然、前作『〆切本』もあり、仮病を装っていたら本当に高熱が出てしまった直木賞作家や、各誌連載の〆切に追われ忙殺されるあまりに一度死んだはずの登場人物を再登場させてしまうミステリー作家などが登場。〆切一週間前にできあがっていないと出す気がしない姿勢を貫いていたら一年くらい作品を書かなかった戦前の大物作家の逸話なども散りばめられていた。

2である今回も前回同様、〆切に追われ、この人、大丈夫かと心配になるエピソードが出てくる。たとえば、『木枯らし紋次郎』で知られる笹沢佐保。朝から迎え酒していたら、いつのまにか夜になり、何もかも嫌になり、窓からすべての資料をぶちまける。ここまでだと「ちょっと無頼な感じ」で終わるのだが、笹沢が秀逸なのは、しばらくして不安になり、雨の中、ブリーフ姿でまき散らした資料を必死にかき集めるところ。そして、六割方を回収できて一安心して、飲み直して寝る。わからなくもない心理だが、読んでいるこちらはまったく安心できない。

前作に比べると、一見穏やかな筆致ながらも、ヤバさが垣間見えてしまう作家が多い。俳優の森繁久弥が社長役で有名な映画「社長シリーズ」の原本を書いた源氏鶏太は会社員との二足のわらじを履きながらサラリーマン小説を書いていたことで知られる。脱サラして作家専業になってみたものの、筆が思わぬように進まない。「やっぱり、サラリーマンのままでいればよかったなア」とぼやきながら、書けぬ時は深夜に痴呆のように徘徊する。これだけでも心配になるが、歩き疲れて、一度、家に戻り、また、書けないと再び外に出て、夜明けまで歩き続けることも。そして道ばたの樹木を眺めて「俺は、樹になりたい」とつぶやいたとか。切羽詰まると、樹になりたくなるのか。窓から資料をぶん投げるほうがはるかに健全に映るのは気のせいだろうか。

専業になると書けないというのはよくある話らしい。『路傍の石』や『真実一路』で知られる山本有三も教師をやめて念願の作家一本になったものの、創作能力がまったく変わらず、「当分原稿御依頼謝絶」というエッセーを書いている。

そのとおりかもしれない。確かに私事でかなりスケールの小さい話だが、酒を飲んだ後に書評を書いてもそこそこ書けるので、酒を飲まないで書こうと気合いを入れると、はかどらないことがよくある。じゃあ、飲むかと飲むと、気づくと寝ていて、朝になっているのだが。とにもかくにも、時間があるからといって文章は書けるわけではないし、期限どおりに仕事をこなせるわけでもない。

これは、おそらく誰にも共通する事実らしく、本書に収められている中では論文という異色の形態をとる「なぜ私たちはいつも締め切りに追われるのか」では資源配分モデルを使った解析の結果、我々が反省すべきは「早めにやっておけばよかった」ではなく、「もっと集中すべきだった」であると結論づけている。

本当に締め切りに間に合わないのか?


とはいえ、疑問も浮かぶ。果たして彼らは本当に締め切りに間に合わないのかと勘ぐりたくもなるのだ。作家が締め切りに合わないというのは、もはや伝統芸能ではないのかと。おでんを食べて熱い熱い言うダチョウ倶楽部のようなものではないのかと。〆切間際に野坂昭如が失踪するのは日常茶飯事であり、文章から時々垣間見えるそうした野坂の姿も含めて読者は楽しみにしているのではないだろうか。

と思ったりするのだが、本当に書けない人が多いのだ。手紙や書簡など私的な文書も掲載されているが、二葉亭四迷は編集者に「頭の工合よろしからず、今度はどうしてもできませんでした――」と〆切を次号へ延ばすように訴え、その約十日後には「頭の工合よろしからず毎に違約して何とも申し訳なく――」と再び次号に延ばすように願う。どんだけ工合がよろしくないのか。

ドストエフスキーに至っては編集部からの催促の問い合わせに、現代で言うところの逆ギレ気味に返信している。『罪と罰』の終編を今、送れと言われるならそろそろ送れるが、それは読者のためにならない、次号は告知にして、その次以降の二号で掲載するのがこの長編には効果的だと説く。そういわれればそんな気もするけど、いかんせん編集部は判断すべき原稿を読んでいないのだから何ともいえないじゃないかという内容の手紙を送りつけているのだ。

頭がこんがらがる。「本当かよ?」と思いたくなる話の後にそれを補完するような別の作家の話が出てきて、読み手にフィクションとノンフィクションの間をさまよわせる。

漂いながら読み進めていくと、巻末の奥付までもが我々を試すではないか。発行日に最初の刊行目標日、確かに刊行できると思った日、本当の〆切と並ぶ始末。本の内容が内容だけに、お約束と言えばお約束だが、本当に最初の目標などあったのか、いやあったとしても遅れるための目標ではなかったのかなどと思いはめぐりにめぐる。一つひとつのエピソードも面白いので、気になる作家をつまみ食いしながら読んでも面白いが、最初から1冊を通して読むことで味わいが増す1冊かもしれない。