SLIDE SHOW FULL SCREEN FULL SCREEN FULL SCREEN FULL SCREEN FULL SCREEN 「100周年を迎えるフィンランドデザインのルーツは「反ヒエラルキー」にあった」の写真・リンク付きの記事はこちら

2/51998年から2011年まで、携帯電話の市場占有率と販売台数において世界最大規模を誇ったノキア。1981年に同社がフィンランドで初めて製造し、販売したパソコンが「Mikro Mikko 1」だ。(『100 Objects from Finland』展より)

3/5イルマという名の1人の少女が、1920年にドイツの土産として父親からもらった『ヴィボルグの街を歩いたドイツ人形』。イルマは人形を連れ、 自分が暮らすヴィボルグの街を人形の足がすり減るほど一緒に歩いた。フィンランド第2の都市であり、ロシア国境にほど近いヴィボルグは、1939年にソ連との間に繰り広げられた「冬戦争」でソ連に割譲されてしまう。イルマはこの人形を携え、独立を守ったフィンランドに亡命を図った。戦乱において不安定な国の独立状態をこの人形は象徴している。(『100 Objects from Finland』展より)

4/5第二次世界大戦によって1940年のオリンピックが中止となり、開催都市となっていたヘルシンキで実現したのが52年だった。聖火トーチをデザインしたのは、リトグラフなどの作品を多く残したアーティストのアウクスティ・トゥウカ。ポスターなど数多く公募が行われ、戦後にフィンランドのデザインが躍進する1つの契機となるイベントだった。写真右は、56年にアトリエ・ファウニが手がけたムーミン人形。小さな工房での手作業が作者のトーベ・ヤンソンの目に止まり、公式のムーミントロール人形として爆発的な人気を集めた。(『100 Objects from Finland』展より)

5/5ハルトワル社の「Jaffa」は、数十年にわたってフィンランドで最もポピュラーなソフトドリンクの1つ。1959年にエリック・ブルーンのデザインによるポスターが初めて世に出ると、瞬く間に商品イメージを印象づけて誰もが手にするドリンクになったと言われており、現在も同社はブルーンのイラストをプロモーションに使用し続けている。(『100 Objects from Finland』展より)

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独立から今年で100周年を迎えるフィンランド。デザイン・ミュージアムの『100 objects from Finland』展やヘルシンキ市立美術館で開催された『Modern Life!』展など、100周年をデザインの視点から祝う取り組みが行われている。

ヘルシンキ市立美術館のディレクターであるマイヤ・タンニネン=マッティラは、フィンランドという国家の草創期におけるデザインの位置付けについて次のように言及する。

「国家としての独立よりも6年前の1911年、フィンランドではOrnamo(オルナモ)という名のデザイン協会が発足しました。社会においてデザインが担うべき役割を認知させることを目的とする非営利組織です。アメリカのThe American Institute of Graphic Art (AIGA、1914年創立)や、イギリスのデザインカウンシル(1944年創立)よりも歴史が長く、世界最古の非営利デザイン協会の1つに数えられています」

現在では2,500名のデザイナー(ヴィジュアルアーティストも含む)が所属するOrnamoの活動は多岐に渡る。仕事に対して適正な報酬が支払われているのかデザイン業界の調査を続け、毎年のデータを年鑑にまとめる。デザイナーが能力を発揮できるように、企業との関係のつくり方や仕事の進め方などのレクチャーを実施する。優秀なデザインを広く紹介するためのOrnamo賞の選定や、海外での滞在制作やリサーチの機会をプログラムすることで、デザイナーたちの仕事のチャンスを広げる、といった具合だ。

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1/4マリメッコ社の歴代の服が、デザイナーたちによる絵画と合わせて展示されている。色鮮やかな抽象絵画を身につけて街を歩くことが、すなわちパブリックアートとして街を彩ることになると多くの人が考え、1950年代から60年代にかけて絶大な人気を集めたのだという。(『Modern Life!』展より)

2/4ヘルシンキ市立美術館のディレクター、マイヤ・タンニネン=マッティラが展示について説明してくれた。「フィンランドで最も影響力を持った建築家の1人であるアルヴァ・アアルトは、木製プロペラを世界で最も美しいオブジェクトだと考えていました。美しい流線形の木が金属製のマシンを吊り上げて空を飛ぶ、という現象そのものの美に魅せられていたのです」。(『Modern Life!』展より)

3/4アートとテクノロジーの融合をブランド名にしたアルテック社など、高い加工技術で生み出されたシンプルなフィンランド製家具は廃れることなく、人気をもち続けている。写真奥の壁面に架けられた絵画は、サム・ヴァンニ『Contrapunctus』(1959)。フィンランドで初めて公募展を勝ち抜いた抽象画として歴史的な意味をもつ。その曲線の描き方や色使いは、不思議と手前の椅子と親和性をもっている。(Modern Life!展より)

4/4テキスタイル・アーティストのウフラ=ベアタ・シンベリ=エヘルストロームが、1967年のモントリオール万博フィンランド館で出品したラグ作品『Forest』。フィンランド北部の深い森に着想し、抽象絵画を手がけるように生み出されらたこのラグは、同万博の出品作のベスト10に選出された。(Modern Life!展より)

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こうした一連の活動は、フィンランドがデザイン立国を目指したことに基づいている。

12世紀から19世紀までスウェーデンに支配され、1809年からロシア皇帝が君臨する大公国となったフィン人の国、フィンランド。1917年にロシア革命が起こると、その混乱に乗じて領邦議会が独立を宣言した。

長らく他国に支配されてきた背景ゆえに、誰かが特権的な階級に位置することなく、極端な格差によって惨めな思いをする国民が生まれることもないよう、みなが平等に水準の高い暮らしを行える国づくりを目指した。デザインの観点からいえば、多くの人が共有できるプロダクトの質を、可能な限り高めようとしたのだ。

ヘルシンキの街を歩いていると、多くの建物が4〜5階建てで、街路の緑が多く圧迫感のない風景が印象的である。その感想をデザイン・ミュージアムでチーフキュレーターを務めるスヴィ・サロニエミに伝えると、そこには人々がフィンランド人としてのアイデンティティを共有する意図があるのだと教えてくれた。

高層アパートメントを建てると、高層階と低層階の住人たちの間にヒエラルキーが生まれる事態が起きうる。それを避ける狙いがある、というわけだ。「プロダクトデザインの水準が高く保たれたのも、日用品の質を可能な限り高くすることで、誰もが豊かな生活を享受できると考えたからなのです」

現在でも飲食店ではもちろんのこと、非常に多くの一般家庭で、iittala(イッタラ)のグラスやArtek(アルテック)の家具のような、北欧デザインの代名詞といわれる製品が使われているのだという。独立100周年を祝う今年、連動して開催されている各美術館のデザイン展は、丁寧な仕事と控えめな主張に裏づけられたフィンランド人の国民性を浮かび上がらせていた。 

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