単身秋田に移住し、新たなビジネスを始めた矢野氏(筆者撮影)

「あきたこまち」をはじめ、米どころとして知られる秋田。しかし、米以外の秋田の名産品となるとどうだろうか。都会に暮らす人たちにとって秋田の味や魅力を知る機会は極めて少なく、秋田ブランドの実力はまだ弱い。

そんな秋田県で新たな試みをする女性起業家が誕生した。東京から単独で移住し、秋田の果物と日本酒を組み合わせて通販する「Fruitreat (フルートリート)」というサービスを立ち上げた矢野智美氏である。起業するまで秋田に住んだこともなければ、果物や日本酒の専門家でもないという矢野氏が、秋田で新ビジネスを立ち上げたのはなぜだろうか。

旬の果物と日本酒を組み合わせて通販

秋田県は、りんご、さくらんぼ、西洋なし、ラズベリーなどが全国生産量トップ10圏内に入る、隠れた果物王国である。しかし、青森、山形の果物産出額が約600億円以上であるのに比べ、秋田は約60億円と大きく引き離されているのが現状だ。

フルートリートは、都会にはほとんど出回っていなかった秋田の旬の果物と、地元の日本酒をセットにして通販で届けるサービスだ。2016年の開始以来、ブルーベリー、フルーツトマト、桃、ぶどう、りんご、洋梨、いちごと、毎月旬のフルーツと日本酒を組み合わせ日本各地に発送している。価格は、毎月1回定期便として届く自宅用コースが4644円(送料別)、ギフト用ボックスに入った贈答用が5000〜8000円(送料別)だ。


フルーツと日本酒と組み合わせにインスタ女子たちも喜んでいる(インスタグラムより)

インスタ映えするスタイリッシュな真っ黒な箱に、宝石のように美しい果物と日本酒が詰められて届く。この見た目のインパクトがウケて、首都圏の感度の高い女性や夫婦を中心に支持を獲得。「果物と日本酒のマリアージュ」というコンセプトのセンスのよさもあり、月1回の自分へのごほうび商品として、または、ギフト商品として注文する顧客も多いという。

そんなフルートリートが1年で最も力を入れるのが10月のシャインマスカットだ。皮ごと食べることができて、上品な香りと甘みが口いっぱいに広がるシャインマスカットは、昨年の販売で大好評だった。「あのシャインマスカットをもう一度食べたい」という声も寄せられている。

出荷準備のため、軽自動車に長靴と段ボールを積み、県内の果物生産者と酒造会社を走り回る矢野氏の姿からは、東京の名門女子大を卒業し大手IT企業のコンサルタントとして活躍してきた華やかなキャリアは想像できない。

大手金融機関を相手にITソリューションを提案していた頃は、いい服を着て、いい靴を履き、丸の内のオフィス街を颯爽と歩く自分が好きだったという。ただ、内心では正論をかざして仕事をしている自分にどこか気持ち悪さを感じたり、自ら事業を起こし荒波を乗り越えている起業家を前にすると、その凄みに圧倒されたりすることもあった。

矢野氏が秋田へ移住し起業することになったきっかけは、秋田で独り暮らししていた祖母の死だった。「小さい頃から季節のりんごや野菜をいっぱい詰めた箱を祖母が秋田から送ってくれるのを楽しみにしていた。大好きだった祖母が亡くなって、これで秋田との縁が切れてしまうのかと思うと寂しかった」(矢野氏)。

なぜ「日本酒」に行き着いたのか

秋田への思いをビジネスに変えるきっかけになったのが、2015年に秋田県主催のビジネスプランコンテスト「ドチャベン」。矢野氏はこのコンテストで金賞を受賞し、2016年5月に「株式会社秋田ことづくり」を設立した。ただ、当時のビジネスプランは秋田の果物のみを通販するプランで、日本酒の組み合わせという発想は入っていなかったという。

ビジネスプランを実現化するにあたり、「秋田の果物はおいしい、でも、それだけじゃ価値が弱い。これでは東京では勝負できない」と矢野氏は考えた。そこで、秋田の名産品をできるだけ多く付箋紙に書き、すべて裏返した。トランプの神経衰弱のように一つひとつ付箋紙をめくり、果物に掛け合わせるのにふさわしい、化学反応を起こす相手を探した。

「日本酒」と書かれた付箋紙をめくった時、果物との絶妙な相性に気づいた。

「果物と日本酒の組み合わせなら、勝負できる」と思った矢野氏は、東京の仕事と生活を捨て、2016年春、単身秋田に移住。秋田は大好きだったが、祖母もいない、住んだ経験もない。秋田の生活では必須である車の免許すら、持っていない状態だった。

「後ろのドアを閉めないと、前のドアが開かないと思った。会社を辞め、秋田のビジネスホテルに寝泊まりしながら起業の準備をしていた。会社を登記する前日の夜は、怖さと興奮でほぼ眠れなかった。ここまできたら絶対に一旗揚げなくては、と思った。だって私が戻る場所は東京にはもうないから」(矢野氏)

秋田に移住し、フルートリートに協力してくれる果物生産者と酒造を探し始めた矢野氏を待っていたのは、理想と現実のギャップだった。

たとえば、通常、やわらかい果物と硬い酒瓶を一緒に箱に入れて発送することは想定されていないため、配送用の箱を作る必要があった。また、ぶどうに限らず果物の生育には時間がかかるため、生産者としては注文数を数カ月前に把握しておきたい。が、ネット通販の場合は、販売開始直前に注文数が急増することがあり、この対応をどうするかという課題もあった。


ぶどう生産者の鈴木氏。10月はシャインマスカットを「フルートリート」で出荷する(筆者撮影)

そんな矢野氏を助けたのは、知人の紹介で知り合った横手市でぶどうを栽培する葡萄屋久兵衛の鈴木靖之氏だ。「ビジネスのことは矢野さんが詳しい、でも、果物のことは私がプロ。ぶどうの生育や果物農家の思いを、ぶどう畑に通ってくる矢野さんに繰り返し教えた。ぶどう以外の果物は、信頼できるほかの果物生産者を紹介した」(鈴木氏)。

フルートリートがこだわった2点

一方、鈴木氏にもフルートリートをサポートする理由があった。「果物生産者が普通のことをやっていたらこの先は難しい。ぶどうをまだ食べてない人にぶどうを届けるには、フルートリートの仕組みは魅力的だった。矢野氏を助けるという感覚はなくて、こちらも必死だった」(鈴木氏)。

秋田の酒造会社もフルートリートの取り組みには注目している。秋田には約40の酒蔵があるが、日本酒の国内出荷量は年々低迷しており、新たな販路の開拓に迫られているからだ。

「造れば売れた時代と違い、今後はいかに秋田県外での消費を活性化させるかがキモ。日本酒をあまり飲まない若い女性の新規開拓はとても重要」と語るのは、秋田県内で創業400年を超える老舗の木村酒造で製造部長を務める佐藤時習氏だ。


「横綱の果物のために横綱の日本酒を提供したい」と語る佐藤氏(筆者撮影)

「シャインマスカットは果物の横綱。それに負けない横綱級の酒で、華やかな香りが特徴のシャインマスカットと相乗効果を生むのはうちの『福小町』しかない。香り高い日本酒を、ワイングラスで果物と一緒に楽しむ。そんな素敵な時間をイメージすると、日本酒を造っているわれわれも楽しくなる」(佐藤氏)

とはいえ、すべての酒造会社がフルートリートに対応してくれるわけではない。扱う日本酒のサイズは300mlで、瓶のラベルもすべてオリジナルのものに張り替えることを条件としているからだ。1年目は浅舞酒造とタッグを組んで発送してきたが、2年目はより果物に合った日本酒を探すため複数の酒蔵と取引をすることに。細かい注文に対応してくれる酒造会社を探すため、地元の酒蔵に詳しい酒販店の協力のもと候補をリストアップし、最後は自ら酒蔵に足を運んで説明をしていった。

オリジナルのサイズとラベルにこだわるのには、矢野氏なりの「引き算の美学」がある。


黒い箱に詰められて送られてくるシャインマスカットと日本酒(フルートリート提供)

「720mlの大きな酒瓶をテーブルの上に載せると果物とのバランスが悪く、インスタグラムに投稿する写真として雰囲気もそぐわない。それに、日本酒のラベルは主張が強すぎて、飲む人に先入観を与えすぎてしまう。果物と日本酒をどう組み合わせて楽しんでもらうかをストーリーで説明することはあっても、商品の説明が多すぎないように注意している」

初年度は約1000セットを販売。2年目である今年は、県内で13の果物生産者、10の酒蔵と取引件数を増やした。ふるさと納税での活用も始め、販売セット数で昨年比約1.5倍を見込んでいる。

「忙しい毎日の中で、この一杯に癒やされた」

とはいえ、果物生産者と酒造会社にとって、フルートリートでの販売数は多いとは言えない。それでも、東京から来たよそ者である矢野氏に協力するのは、インスタグラムなどSNSを活用したメディア発信力と、首都圏に住む若い女性というこれまで秋田県内からはアクセスしにくいターゲット層へのリーチが期待できるからだ。

インスタグラムには、「ベランダで果物×日本酒の贅沢を楽しんでいる」「忙しい毎日の中で、この一杯に癒された」「心のこもった果物とお酒、作り手の思いを受け止めながらいただきたい」などのコメントが寄せられている。そこには、単なる秋田の“グルメ”としてではなく、果物と日本酒でゆっくりと過ごし、秋田に思いを馳せるという“体験”に価値を見いだしているユーザーの真意が表れている。

ようやくサービスは軌道に乗りつつあるものの、2016年の初年度、矢野氏自身はほぼ無給で働いたという。「マーケットである東京の感覚を忘れないために、秋田に土着しすぎてはいけないという危機感がある。1年間で東京と秋田を往復した費用は100万円をはるかに超える。フットワークと情報発信のためには、時間もお金も惜しまない」(矢野氏)。自らの報酬は削り、情報発信のためのウェブサイト構築費用や交通費に投資をした。

この夏には、フルートリートに次ぐ2つ目の事業のため、新たな資金調達を行った。次なる事業は、宿泊や体験といった「コト消費」事業だ。秋田県内の温泉施設の再生や、首都圏から秋田に足を運んでもらうためのツアー開発にも乗り出す予定だ。また、果物や日本酒以外の、秋田の産品の開発にもかかわっている。たとえば、母親と子どもが一緒に食べることができる食品の開発など、県内事業者と積極的な意見交換を行っている。

矢野氏のゴールは、秋田におカネを落とすこと。「表面的に秋田をもり立てるのではダメ。秋田に住み、秋田をよく知ったうえで、マーケットを意識して引き算していく。東京モノだった私ならそれができる」。事業成長を計る中で、最も大きな課題となるのは人材採用だ。秋田のいいものが「目利き」ができて、それを外に発信できる人材を増やす必要に迫られている。今後、秋田へのUターンを検討している若い人材を積極的に登用する予定だ。

「祖母が果物を送ってくれたときのうれしさをほかの人にも届けたい」。矢野氏の思いは、はたして秋田の果物・日本酒業界の発展につながるだろうか。