小池百合子氏

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 選挙になると、政治家は張り切って「改革」を語る。しかも、1人や2人ではない。それぞれの声のトーンも、日常よりずっと高い。

●「改革」がてんこ盛り! 各党の公約・政策集

 私自身は、率直に言って、すでに「改革」には疲れている。

 メディア上で最も「改革」が叫ばれたのは、小泉純一郎氏が首相の座についた2001年から、郵政解散・郵政選挙があった05年にかけてである。朝日新聞のデータベースで検索すると、年に1万回以上同紙にこの言葉が印刷されたことがわかる。つまり、1日当たり30回近い。

 その時から使用頻度は年々漸減し、近年は出現度が半分から3分の1になったものの、やはり選挙となると盛んに「改革」が語られる。党首討論会を見聞きし、各党の公約・政策集を見ると、さまざまな「改革」がてんこ盛りだ。

 日本維新の会は「身を切る改革」が“売り”で、松井一郎代表は「大阪維新の改革」を盛んにアピール。希望の党も小池百合子代表が「大胆な改革」「身を切る改革」を叫び、「改革のスピードを上げなければならない」と強調する。

 公明党の重点政策集には「働き方改革」「政治改革」「行財政改革」「構造改革」「電力システム改革」など、いくつもの「改革」が並ぶ。

 共産党も政策集で、「税金の改革」「予算の改革」「本物の働き方の改革」など、「4つの改革」を訴えている。

 自民党の公約集でも「改革」は多用されている。それどころか、なんと「革命」まで出てくる。「生産性革命」や「人づくり革命」がそれだ。さんざん使われて新鮮味もインパクトも薄らいだ「改革」より、強いニュアンスを持つ言葉として選ばれたのだろう。刺激の強い表現も、使われていくうちにだんだん人の心を動かす効果が薄まり、より刺激の強い表現を求める、言葉のインフレのようなものだ。

 それにしても、じっくりと時間をかけて人を育てていく「人づくり」と、体制や状況を急激かつ根底から覆す大変革である「革命」を、無理やり接合させた違和感は相当なものがあるが、首相の口から繰り返し聞かされるうちに、なんとなく慣らされてしまう。「革命」も、すでにインフレを起こしている。

 主要7党の公約・政策集で、「改革」を使わずに自党の政策を語っているのは、立憲民主党だけだった。そういえば代表の枝野幸男氏も、演説やインタビュー、討論などで「改革」をほとんど使わない。

 同党の選挙対策本部を通じて枝野氏に真意を尋ねると、こんな「まっとうな」返事が返ってきた。

「多くの政党・政治家が改革を叫んでいるが、改革という言葉そのものに中身があるわけではなく、問題は何を改革するかである。立憲民主党は『まっとうな政治』をスローガンに、一つひとつの政策を国民に丁寧に訴えていくことが最善の道と考えている」

 やはり、意図的に「改革」を避けているらしい。それでも、多くの政治家や政党が「改革」を好むのは、この言葉には前向きで物事を劇的に改善していくようなプラスのイメージがあるからだろう。

●過去の「改革」で本当に問題は解消したのか

 悪いほうに向いた変化は「改革」とは呼ばない。そのため、「◯◯改革」は無条件で、事態を望ましい方向に変えていく「良いもの」ということになる。すなわち、「改革」がつけられることで、その政策はなんとなく前向きで「良いもの」のようなイメージが付与する。ともすれば、具体的な中身について、聞き手の深い考察や吟味を妨げる、印象操作のためのマジックワードになりうる。

 もちろん、今ある問題は解決しなければならないし、制度や組織などの仕組みそのものを変えていくことで、社会をより良いものにしていく不断の努力は必要だ。その意味での改革を否定するものではない。

 けれども、仕組みの成り立ちや歴史、人々との関わりを無視した大胆な改革は、無視できないほどの副作用を生じたり、これまで築いたものを破壊したり、社会を混乱させたり、人が大きな被害を被ることもある。

 たとえば、「郵政改革」はどうか。郵政事業が民営化されてから、今月10日で10年が経過した。市場の縮小や人手不足で郵便事業は苦戦。買収した海外物流子会社の業績不審もあり、今年の決算では郵政事業初の赤字に転落した。郵便料金値上げはしても、成長戦略描けていない、とさまざまなメディアの論者が評している。

「司法制度改革」のなかでも、とりわけ「法曹養成改革」はかなり悲惨なことになっている。グローバル化や知的財産分野の拡大、企業のコンプライアンス重視などに伴い、法律家の需要が大幅に拡大すると見積もり、それまで年間500人程度だった司法試験合格者を3000人に増やす目標を設定。法曹の量的拡大と質的充実、多様化を理念に掲げ、2004年に法科大学院を開設した。

 それから十余年。ピーク時には74校あった法科大学院だが、来年学生を募集するのは39校となり、半分近くに減った。入学志望者は5分の1以下に減少。社会人や理系出身者の割合も減って、多様化もうまくいっていない。法科大学院に行かずに司法試験を受けられる予備試験の出願者が年々増え、今年の司法試験合格者のうち、約2割が予備試験組だった。優秀な学生は、今後ますます法科大学院を避けて、予備試験に流れていくことも予想される。法科大学院を中心にした法曹養成の骨格が大いにゆらいでいる。

 この「改革」に翻弄された人は少なくない。そもそも法律家の需要が大幅に増えるという前提が誤っていたのだが、制度設計に関わった誰かが責任をとった、という話は聞いたことがない。誰も何の責任を取らないまま、司法試験合格者3,000人の目標は撤回され、「改革」によって生じたさまざまな問題に対応するために「改革」は続けられる。

 あるいは、「政治改革」はどうだろうか。

 政権交代可能な二大政党制を目指し、小選挙区を導入した政治改革法案が成立したのは1995年12月。一度だけ民主党政権ができたが、その後同党は支持を急落させ、党名を変更した揚げ句に、今回の選挙前に分裂。見るも無惨な状況としか言いようがない。小選挙区制は死票が多く、有権者の民意が必ずしも結果に反映しない。いったん風が吹けば、なんら実績のない新人候補が、その人格や姿勢を十分吟味されることなく当選してしまい、大量の「チルドレン」が発生。政治の質の劣化の要因になっていると指摘されている。

 さらに、1票の格差はなかなか解消しない。たとえば参議院では、その原因になっている県単位の選挙区制度について最高裁判決が改善を求めているが、いくつかの合区が決まっただけだ。

 政治改革を旗印に細川内閣が成立してから、すでに24年以上経つ。この間、ずっと「改革」を続けて、果たして本当に日本の政治はよくなっているだろうか。

●ポピュリズムを勢いづかせた果てに

 「改革」を押し進めようとする人たちは、さまざまな問題点より、「改革」のよい所を訴える。その際、しばしば人や物事を「善悪」「白黒」をはっきり二分させる二元論を駆使する。

 「改革」に疑問を持ち、否定的な人たちは「守旧派」とされ、既得権益にしがみつき「改革」を邪魔する、悪しき「抵抗勢力」に分類される。実際、既得権益を持つ者に問題がないわけではないから、こうした構図を提示されれば、持たざる者は怒りをかき立て、そのエネルギーが「改革者」を押し上げる。

 これがまた政治の劣化をさらに押し進め、ポピュリズムを勢いづかせているように思う。

 トランプ米大統領の出現はその典型だ。彼は「既得権益層から米国の政治を取り戻す」と訴えて、支持をを得、大統領になってからも、前政権の実績を否定する「改革」を目指す。

 小池都知事の手法も同じだ。都議選では、既得権益層の自民党都議連を敵に見立て、「都民ファーストか、利権ファーストか」という対立軸を設定。「東京大改革を進めるか、止めるか」を訴えて大勝した。

 そのお手本は小泉元首相だ。彼は、「古い自民党をぶっ壊し、政治経済の構造改革を行う」と叫んで人気を集め、旋風を巻き起こした。包容力や多様性を持っていた自民党という組織は、これを境に質的変化を遂げてきた。「構造改革なくして成長なし」という小泉氏の叫びは、前回の総選挙で安倍自民が「この道しかない」というスローガンにもつながる。そこには、自分たちが示す道こそ「正しい道」であり、それ以外は「誤った道」という二元論的発想がある。

 安倍政権の「改革」は、トップダウン。リーダーである安倍首相は、「改革」を進めていく力強い姿を示してやまない。それに水を差す者は、たちまち「抵抗勢力」のレッテルがはられる。行政の公平性やプロセスの透明性が問われている加計学園問題も、菅義偉官房長官は「岩盤規制といわれる獣医師会、農林水産省、文部科学省が大反対してきたからではないか。まさに抵抗勢力だ」と批判し、「改革」の問題にすり替えた。安倍首相も「岩盤規制の改革には抵抗勢力が必ず存在するが、私は絶対に屈しない」と力強く宣言してみせた。

 確かに、「正」と「誤」、「善」と「悪」、「白」と「黒」を峻別し、前者を是として押し進めていくやり方は、速やかに物事を進めていくことができる。「決める政治」を押し進める安倍流は、スピード感が重視される現代の人々の需要に応えている一面もある。けれども、それによって「熟議」が犠牲にされてきた。

 だらだらと議論を続ければいいというものではないが、事態を急激に大きく変える「改革」をしようというのであれば、しかもそれが多くの人に影響を与える重要なテーマであれば、さまざまな意見に耳を傾け、よりよい、より弊害が少ないものにする努力は必要である。

 繰り返すが、改革が不要と言っているのではない。何をどう変えていくか。問題の認識や設定は正しいのか。手法は適切なのか。どのような弊害が予想されるか。それをどう手当していくのか……その他諸々の問題を議論し、常に「本当にこの改革は正しいのか」「この道は間違っていないか」を問い直す。そのために、議会はあると思う。

 私たち有権者も、そういう問いや疑問を意図的に自分の中で喚起したい。候補者や政党関係者から「改革」「革命」などという言葉が出て来るたびに、その主張から「改革」「革命」といったマジックワード言葉を除いたら、いったいどういう内容、それによってどういう事態が予想されるのかを考えてみよう。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)