真の「令嬢」を、あなたはご存知だろうか?

アッパー層の中でも、その上澄みだけが集う世界で生きる薫は、「普通」とはかけ離れた価値観で生きてきた。

高価なジュエリー、日々の美食、時間に追われぬ毎日。

仕事も家事もせず、誰もが羨むような贅沢を当たり前のように享受する。

そんな薫にも悩みはある。

だがそれはやはり、「普通」とはかけ離れたものだった。

先週、懇意にしている百貨店の担当から言われた言葉に困惑した薫の、次なる悩みとは?




数日前、複数のジュエラーから連絡があった。

どれも、薫の気に入りそうな物が入荷したとの内容だった。

今日はちょうど、よく晴れている。

誕生日も迫っているから今日回ってしまおうと、薫は広尾からタクシーに乗った。

「銀座へお願いします」

時間はちょうどランチタイム。窓越しにコンビニから出てくるサラリーマンが見えた。

ー土曜日にも朝から働いて、コンビニのお昼なんてどうして耐えられるのかしら。

ビニール袋を手に提げた彼らを見て、そんなことを思う。

これから、アポイントをとっている数軒のジュエラーに立ち寄る予定だ。

たくさん歩いて疲れるかしら、途中どこでお茶しようかしらと思案しながら、去年のお誕生日プレゼントだった、ダイヤで飾られたピンクゴールドの時計を撫でる。

「この時計は時間を見る物じゃない、忘れるものです。」

そう説明され、購入を決めたものだ。

その言葉通り、時計を見て心の奥の方をふわりと優しくなでられたような気持ち良さを感じながら、アポイントを取っていた1軒目のジュエラーに入った。

今日アポイントをとっているジュエラーはどこも、全員が薫を認識している、安心できる空間だ。そこには普段使うことのないような、大きな宝石がショーケースに納められ、まぶしく輝いている。

サラリーマンの生涯年収の数倍はする宝石の数々に、薫は癒される。

1軒目に入り挨拶すると早速、奥の個室に通され、薫は上機嫌で運ばれてくる宝石を待った。

担当さんが金庫から宝石を運んでくる間、他の店員さんたちはミネラルウォーター、紅茶、クッキー、チョコレートを揃える。

薫がアルコールを飲まないこと、寒がりであることを気遣ってのテーブルセッティングなのだが、それはますます薫を上機嫌にする。

紅茶を一口いただいた時、薫のもとへジュエリーが運ばれてきた。ルースの一際大きなジュエリーと、薫の好きな犬と馬のモチーフのジュエリーだ。

もちろん値段は、一般的なサラリーマンの年収を優に超える。

こうして毎年、コレクションを増やしてきた。


薫のジュエリーへの愛が始まったワケ


薫はあと2週間で、29歳の誕生日を迎える。

誕生日を迎えるにあたって薫は、毎年自分用のプレゼントにジュエリーを選ぶ。

上京するまでは外商が持ってきたものの中から選んでいたが、一人でジュエラーを回る楽しみを覚えてからは、薫にとって誕生日のジュエリー選びは楽しみな行事のひとつになっていた。

「石の光はあなたを守ってくれるのよ。」

そう言って母は、プレゼントを渡しながら毎回、ジュエリーの大切さを熱く語るのだった。

薫の家で、誕生日には宝石を贈るという伝統は、薫が産まれたときに始まった。

最初はお人形のような大きな目をした、よく笑う初孫を溺愛したおばあちゃまからのプレゼントだった。誕生石があしらわれた薫の干支である辰の置物。

もちろんフルオーダーの逸品だ。

それは今も薫の部屋に飾られており、遊びにきた友達には幾度となく「高そう」という、あまり嬉しくない感想を述べられてきた。

それでもオーダーしてくれたおばあちゃまの気持ち、きれいな宝石の輝き、完璧な金細工のシルエットを見るたび、薫は惚れ惚れするのだった。

この置物からなんとなく、「誕生日には宝石を」という伝統が始まったのだ。




グラフのあるザ・ペニンシュラ東京、銀座一丁目のハリー・ウィンストン、ティファニーまで、アポイントのあるジュエラーから重点的に見て回った。

一通り候補を見つけ、何か目新しいものはないかと、今日の薫は買ったことのないジュエラーにも足を踏み入れることにした。

「え、薫ちゃん?久しぶり!私のこと覚えてる?」

店に入ると一人の店員が、馴れ馴れしく声をかけてきた。薫が驚いて顔を上げると、目の前に立っていたのは小学校から一緒だった村上さんだった。

特別に仲が良かったわけでもないが、もちろん顔はわかる。聞くと、今はこのジュエラーで働いているらしい。

「パリに本店があって。ずっとここに憧れてたの。」

そう言って嬉しそうに話しかけてくる彼女の指や首には、ここのものと思われる宝石が輝いていた。

それらは、先ほどまで薫が見ていたようなジュエリーとは値段の桁が違うであろうことが、容易に想像できるものだった。

ステンレススティールの時計や、メレダイヤだけの品。

ー村上さんとは、ジュエリー選びの趣味が合わなそうね…

薫はこういう大量生産されているものにはあまり興味がない。一点ものであったり、自分の誕生石やラッキーモチーフが使われているようなものに惚れ込んで、自分のコレクションに入れたいと思う。

「村上さん、もしお時間あるようなら少しお茶しない?」

正直な所、村上さんと特に話したいことがあったわけでもない。だがせっかくだしと思い直して、薫は村上さんをお茶に誘った。


昔の同級生とのお茶。もう無邪気な頃には戻れない


席数も多くお茶も美味しいので、薫が最近気に入っている『マリアージュ フレール 銀座本店』に村上さんを誘った。

重たいティーポットにたっぷりと入った紅茶や、紅茶を使ったお菓子、コロニアルな制服に身を包んだサービスなど、どれも薫のお気に入りだ。

「フルーティーで華やかなものの中でおすすめをお願いします。」

メニューには小さな字でたくさんの紅茶が書いてあるが、薫は店員さんに選んでもらうことも楽しみの一つにしている。そうして提案された何種類かの茶葉から選んだ紅茶の香りは、薫の好みにぴったりだった。

「どんなジュエリーを探してるの?」

近況報告もそこそこに、村上さんは薫の買い物に興味津々だ。

「せっかくお誕生日だからすごく気に入ったものがよくて。できれば一点物か、私の好きなモチーフものを選びたいの。」

そう言いながらいくつかの候補について薫は話した。

「で、値段は?」

村上さんからの突然の質問に面食らったが、どうやら彼女は、価格交渉があったかどうかを知りたいようだ。

「ええ。たしかにいくつかは最初の提示よりもお安くできるようなことを言われたわ。」

薫は特に隠す必要もないと思い、村上さんに答える。すると彼女は、大きく頷きながら勝ち誇ったような顔でこう言った。

「せっかくのお誕生日プレゼントなのに値切ってまで買う?私が着けてるような定番ものなら、価格は固定だからそんなことしなくていいけど。」

―あれ、これって嫌みだわ……。

少し口角の上がった村上さんを見ながら、薫は彼女の悪意を感じずにはいられなかった。

薫だって、ジュエリー関係の人間ではないが、これまでにある程度の買い物をしてきた。




2カラット以上のダイヤモンドは、どんな有名ジュエラーでもアポイントなしで訪ねれば、その店舗に1〜2点あるかどうか。

ましてや薫が欲しがるようなものは、ふらふらと宝石店を回ってもなかなかお目にかかることはできない。

飛ぶように売れる定番商品ではなく、数少ない、世界で在庫を共有しなければならないものだからこそ、移動や関税の関係もああるため、購入の意思がありそうな顧客に価格交渉を行う場合があるだけだ。

薫の方から「安くしてほしい」なんて言わないのだから「値切る」なんて言い方は、見当違いもいいところだ。

「自分が好きなものを買って身につけたいだけなのに、どうしてそんな風に言われるの?」

ふと本音が出てしまった。一度出たら、止まらなくなった。

「それに、そう言ってるあなたたちは、私が買うようなジュエリーは、きっと一生見てるだけじゃない。」

薫は、ある時から不思議に思っていた。

自分に宝石の細かい説明をしてくれるジュエラーの店員さんたち。彼女たちの知識の豊富さにはいつも感心する。

だが、ふと気付いてしまったのだ。

こんなに色んな知識を自分に教えてくれる彼女たちだが、そのジュエリーを彼女たちが所有することは、ないのだと。

「あ、私もう休憩終わりだから帰るね。」

一瞬の沈黙のあと、少しむっとした様子で村上さんは帰ってしまった。

会計には何も触れられず、薫はその場に取り残され、結局二人分の紅茶代を支払った。

せっかく東京で再会できた同級生。「友達」ではなかったけれど、道で再会すれば笑い合える関係だったはずなのに。

この日は結局、誕生日の品を決めることなく自宅へと帰った。

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信頼していた担当さんの、見たくない姿を見てしまう。