ドジャース・ダルビッシュ有【写真:Getty Images】

写真拡大 (全2枚)

若生監督が語るダルビッシュ、「いったいどこまですごくなるんだろうと」

 東北高校(宮城)と九州国際大付属高校(福岡)の野球部を率い、春夏合わせて11度の甲子園に出場し、2003年夏と11年春に準優勝。通算16勝を挙げた若生正広監督(67)が、26年ぶりに“初任地”である埼玉栄高校に復帰して3年目の秋季大会を戦い終えた。準々決勝で新興チームに敗れると、かつての教え子を引き合いに出して現チームとの違いを解説。技術論より闘争心と情熱についての言及が多かった。

「野球はアメリカで育ったスポーツだから、積極性のある攻撃的な人間のほうが向いているよね。ダルビッシュなんてその典型で、米倉とは正反対だったなあ」

 今夏、米大リーグのレンジャーズからドジャースへ移籍したダルビッシュ有投手は、若生監督の母校・東北で指導した中でも最高傑作の選手に違いない。一方、現在、埼玉栄2年のエース米倉貫太は最速146キロを誇る183センチの大型右腕。指揮官は1年生の時から「ダルビッシュ以来の好素材、受け持った投手の中でも潜在能力はピカイチ」として期待を寄せる。しかし大リーグで活躍する右腕との大きな違いが、闘争心だという。

「怒っているのを見たことがないし、人間としてはいい子。でも打者に向かっていく迫力が足りない。あれだけの球を持っているのだから、打てるものなら打ってみろ、という気持ちがあれば打たれやしません。そこへいくと、ダルビッシュは常に強気だった」

 今の埼玉栄はチーム全体がおとなしく、いい子が多いという。まじめで人間的に素晴らしく、悪いことをしないから生活面での心配は無用だそうだ。

「教えてきた中にはおとなしい選手だってたくさんいましたよ。三好にしても、めちゃくちゃおとなしかった。でも味方がエラーなんかしたら、そりゃもう顔色変えて打者に向かっていき、いきなり150キロ近い速球を投げ込んだもの。やっぱりピッチングに野球にプレーに魂をぶつけるものね」

指揮官の脳裏に焼き付く真摯な姿勢、「だから今のダルビッシュがある」

 九州国際大付属のエースとして選抜大会で準優勝し、プロ野球の楽天加入後は野手に転向して活躍する三好匠の、いざ勝負という時のたぎる闘志を紹介。さらに投手と打者で超高校級だった東北の教え子、高井雄平(ヤクルト)について、「野球が大好き。テスト中でも勉強せず、いつも練習場にいたほど野球のことしか考えていなかった」と回想する。

 ダルビッシュは高校在学中、喫煙中の姿を写真週刊誌に掲載された。未成年、ましてや高校生の喫煙が許されるはずもないが、若生監督は「野球と普段の生活をはっきり区別していた」と振り返る。野球に対しては嘘や偽りはなく、いつも真摯に向き合っていたということだ。

「野球を考える頭はすごく賢い子だからね。しゃにむに練習したら、いったいどこまですごくなるんだろうって最初から思った。160キロ出すんじゃないかって。練習をまじめにやるのかなと思っていたんだけど、一生懸命やったよね。そういう姿勢があるからこそ、今のダルビッシュがあるんでしょう。まあ、あの子は当時からモノが違った」

 現在、米大リーグはレギュラーシーズンを終え、ダルビッシュはドジャースの一員とワールドシリーズ制覇を目指して戦っている。今季は10勝12敗で3年ぶりに2桁勝利を挙げ、日本ハム時代の93勝と合わせ、ここまで日米通算149勝。ダイヤモンドバックスとの地区シリーズでも第3戦で先発登板して勝利投手となり、ポストシーズンでの自身初勝利も挙げた。

 あれだけの大投手になることを想像できたのか尋ねると、「当時から持っているものがすごかったから、それほど驚きはない。200勝はするでしょう。投手として完成されているので特にここを磨くということもないが、あと何年くらい現役を続けられるか見守りたい。日本を代表する偉大なピッチャーになってくれたことが、何よりうれしい」と、一番弟子の出世栄達を語る表情は、敗戦の弁から一転し緩んでいた。(河野正 / Tadashi Kawano)