一代で世界的ブランド「ナイキ」を創り上げたフィル・ナイト氏の知られざる素顔とは?(写真:AP/アフロ)

刊行以来全米で話題となり、翻訳が待望されていたナイキ創業者の自伝『SHOE DOG(シュードッグ)』日本語版が、10月27日、ついに発売される。そこに描かれているのは、知られざる日本とナイキとの深い関係と、熱狂して人生を生きることのすばらしさだ。
ハブスポットCEOのブライアン・ハリガン氏から本書の英語版を紹介され、1年以上前に読み終えていたという篠田真貴子・ほぼ日取締役CFOに、その感想とインパクトを聞いた。
(聞き手:東洋経済新報社出版局 佐藤 朋保)

――この本とどう出会ったのですか。

ハブスポットという会社をご存じですか? アメリカのボストンにある、「インバウンドマーケティング」というウェブ上のマーケティング支援を行っている会社です。縁あって「ほぼ日」は数年前からこの会社と交流があり、ちょうど1年くらい前、CEOのブライアン・ハリガン氏が来日したときに、彼にお会いしたんです(そのときのほぼ日糸井重里氏との対談はこちら)。

決して読み終えたくない本


「SHOE DOG」特設サイトはこちら

彼が読書家だということは以前から知っていたのですが、その彼が「僕はすごくたくさん本を読むけど、なかでもこれはすごくいい!」といって熱く薦めてくれたのが『Shoe Dog』だったんです。

一緒に食事をしていたときだったと思うのですが、その場で「わかりました。すぐ読みます!」と言ってキンドルで買いました。

英語だし、まとまって読む時間も取れないし、読み終えるのに2週間くらいはかかったと思うのですが、読み終えるときはとても名残惜しく、「ああ終わってしまう」というさみしい気持ちになりました。お気に入りの連ドラが終わってしまうような感じでしたね。

――原書が出たのが2016年の4月でした。それから半年くらい経って、この本への評価が高まっているときですね。

マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏や著名投資家のウォーレン・バフェット氏も、本書を絶賛する推薦文を寄せていますよね。

バフェットの会社、バークシャー・ハサウェイの株主総会は有名で、本社のあるネブラスカ州のオマハという街は、そのときの数日間はお祭り騒ぎになります。

総会自体は数時間で終わりますが、バフェットや、共同経営者のチャーリー・マンガーの話が聞きたくて、多くの株主が集まってきます。そこでは、同社が投資している会社の商品の販売会があったり、地元の本屋さんが、その年のバフェット氏のお薦め本を大量に仕入れて売ったりしているようです。同社のHPでも読める株主への招集通知を読んだら、2016年はフィル・ナイトの『Shoe Dog』を売ります、ということが書かれていました。

バフェットにせよ、ゲイツにせよ、自ら事業を創ってきた人たちがあれほど称賛するということは、内容に納得し、共感したから、さらに言えば、自分よりすごいと思う何かがあるから、きっと本気で推薦されているのではないかと思いました。

仲間たちと熱狂してビジネスを楽しむ


篠田真貴子(しのだ まきこ)/株式会社ほぼ日取締役CFO。慶應義塾大学経済学部卒、1991年日本長期信用銀行に入行。1999年、米ペンシルべニア大ウォートン校でMBAを、ジョンズ・ホプキンス大で国際関係論修士を取得。マッキンゼー、ノバルティスファーマ、ネスレなど大手外資系企業勤務を経る。2児の母になり今後の働き方について考え始めたことを契機に2008年「ほぼ日刊イトイ新聞」を運営する東京糸井重里事務所に入社。2009年に同社CFOに就任。

――印象に残ったのはどの部分ですか。

それはもう、全部です!1962年、1963年といった具合に、年号が各章のタイトルになっていて、この本にはそれが18年分入っている。18年もの間、毎年毎年、こんな大変な出来事があったなんて、という驚きがあります。それだけの出来事が入っているから、とにかく中身が濃い。ビジネス書は、最初の1〜2章だけ著者の魂がこもっていて、あとはその流れでさっと読める、というものも多いのですが、この本は最初から最後まで濃密でした。

時代背景の記述も新鮮でした。日本に行きたいと言った若きナイトに、おばあちゃんが、「日本人は私たちを殺そうとしたのよ」と言っているシーンからは、アメリカ側から見た戦争や日本のイメージが伝わってきましたね。あるいは、いまはたくさんの人が違和感なくやっているジョギングが、当時はクールでもなんでもなくて、変わった人がやることにすぎないと思われていたとか。

それから、登場人物たちのキャラクターがすごく立っていますね。共同経営者になるビル・バウワーマンは、実はオリンピック陸上チームの監督をするくらいすごい人なのに、フィル・ナイトの大学時代の鬼コーチというイメージが強く印象に残り、すごさを感じない。ほかの創業メンバーたちも、かつて陸上選手として活躍したり、他社で活躍していた立派な人なのに、なぜかみんな変な人たちに見える(笑)。飲み過ぎ・太り過ぎの公認会計士とか、手紙魔の元陸上選手がいたりして。

最初は、ずいぶん大げさに書いてあるのかな、とも思いましたけど、最後までそのトーンで貫かれているから、「本当にこんな人たちなの?」ってびっくりしてしまう。

フィル・ナイトも個性的です。仲間がいる中での個性ですよね。この本の記述からは、歳も歳だし、かっこつけるつもりもないっていう、すごくざっくばらんな姿勢を感じます。本人が目の前でしゃべっているようなドライブ感がありますね。ぼろぼろだけど何か熱気があるオフィスの様子とか、取引相手がそのひどいオフィスを見に来て驚いて無言で去っていくときの冷たい「ひやっとした」感じが、伝わってきます。

まるで、映画やマンガを見ているような印象がありました。個性的な若者たちが集まって、困難を乗り越えて事業を大きくしていくさまは、少年漫画と同じような世界観かなあ、と思いました。

――ほぼ日のチーム経営と重なるところはあるでしょうか。

リーダーが細かい部分に入り込みすぎず、各々のチームメンバーの個性が生きるようなチームになっているところは、ほぼ日の組織運営の目指すところであり、共感します。

創業メンバーでの経営会議のシーンがありますよね。すごく大事なことを話しているのに、いつもバーを占拠して酒を飲んで大騒ぎして。でも、それに参加しないで宿で本を読んでいるメンバーもいる。メンバーはみんな個性的で魅力的だけど、ずっと一緒にいないとダメ、といったべたべたした感じがしない。私はあのシーンも好きなんです。

『インディ・ジョーンズ』のような冒険物語

――CFOとして共感できるところはありましたか。

フィル・ナイトはずっと資金繰りに追われていますよね。お父さんからおカネを借りて初めて靴を輸入するところから、社員の両親のなけなしの貯金も借りて運転資金にあて、日商岩井に資金援助を頼むまで。それでも足りなくて、上場するところまでも。ひたすら資金繰りに窮する話ですよね。

ナイトの経営方針がそうさせたという面もありますが、資金調達の手段が銀行借入しかないというのは、大変だったろうなと思います。今はベンチャーキャピタル(VC)などもあり、当時よりすごく恵まれた環境です。今だったら、ブルーリボンはもっと速く成長できたかもしれません。速く成長することがいいかどうかは別問題ですが。

それと、ナイトは公認会計士で、おカネがないと言いつつも、状況をちゃんと把握して、計算ができていた、というのも実は大きいと思います。理論的には、会社を動かすとはどういうことかを彼は知っていた。ほかの創業メンバーは、靴が好きだったり、陸上が好きだったりしても、経営はできなかったと思います。

ナイトは、靴のビジネスを始めてから数年は並行して、会計士になったり、大学で教えたりと、何年も別の仕事をちゃんとしていましたよね。夢としては靴のビジネスだけをしたいけれど、食えるかどうかわからないから、他の仕事をきちんともたないと、というまじめさも持っていた。そういうところも、好感が持てます。本では、そういうまじめな面はあまり強調されていませんが。

――日本との関係も深いですよね?

ブルーリボン(ナイキの前身)がオニツカ(現アシックス)の代理店だった、という表面的な知識は持っていましたが、両社の間に、こんなに深い関係、こんなに深いやり取りがあったということは、知りませんでした。最初は良好な関係と思われたものが、猜疑心(さいぎしん)、敵愾心(てきがいしん)に変わって訴訟に至るまでのストーリーとか。

現代の私たちは、ナイキという企業が大成功を収めたことを知っているので、これは成功に向かっていく話なんだ、という根底の安心感があったのですが、それでも読んでいる途中で、これは本当に成功に向かっているのか、どうしてこれで倒産しないのか、というハラハラ、ドキドキから逃れられなくなります。

私のなかでは、映画の『インディ・ジョーンズ』とかぶりました。基本は冒険物語です。ピンチの連続ですが、ときどきユーモアが入ってきて、読者を飽きさせない。本のクライマックスのシーンでは、映画でも流れるあの有名なファンファーレが頭の中で鳴り響いていました。

ダメ男、フィル・ナイト

――ストーリーがリアルで、迫真に迫るということですか。

はい。リアルに大丈夫かな?と思わされてしまう。オニツカ社にサンプルをくださいと言って、おカネも払ったのに、1年もそれが届かないとか。そのままだったら、そもそもナイキはいま存在していないことになりますよね。それにナイキのロゴマークであるスウッシュができたときの話も偶然の重なりのようなもの。ちょっと信じられない。

創業者が書く自伝は、現在の成功を前提として、そこにつながっていくようにきれいにエピソードを並べがちになりますね。無意識にそうなるということもあるでしょうし、関係者への配慮から、そうならざるをえないという面もある。結果、つまらなくなることが多い。

でもこの本は、そこがちゃんと書いてある。神戸にあるオニツカ社を訪れたときに、本当はないブルーリボンの東海岸の支店をあるとハッタリを言ってみたり、その支店をつくるために社員を無理やり異動させるんだけど、彼にそれを言い出せなくて数日間も黙っていたりとか、そんな細かいリアリティがすごい。

資金繰りの問題とか、仲間との問題とか、創業した人は何かしら困難を経験すると思うのですが、そうした困難に直面したときのナイトさんのダメな感じがすごくよく描かれていて、きれいすぎないんですよね。人間が一所懸命になっているときの無鉄砲な感じとか、困ったときにちょっと現実から逃げようとしちゃう感じが伝わってくる。

ビジネスって、1人では創れない。自伝は「俺はすごかった」という話になりがちですが、実際は、多くの人と密な関係を築くなかで、助けてもらったり、けんかする相手もいれば、顔も見たくないと思うくらいに憎む人も出てくるかもしれない。そんなリアルな人間関係が描かれていて、俺様だけの自慢話では決してない。予定調和の部分が少ないからこその面白さがあると思います。

――現代の起業や経営に通じるところはありますか。

もちろん、たくさんあります。タイプライターしかなかったあの時代に、顧客名簿をつくって、その全員に手紙を書いたりして。これはナイトさんではなく、正社員第1号のジェフ・ジョンソンがやっていたことですが、マーケティングの王道ですよね。

冒頭で紹介したハブスポットのブライアン・ハリガンは、デイヴィッド・ミーアマン・スコットと共著で、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』という本を書いています。

グレイトフル・デッドも、ニュースレターを送るために、ファンの名前と住所のリストをつくっていて、ツアーをするときには、この人たちに優先的にチケットを売りますという案内をすることで、ファンを増やしていったんです。ブルーリボンも、それと同じことをしているんですね。

お客様との1対1の関係をつくっていく、という姿勢は、ほぼ日の基礎にもあるもので、とても共感しました。

それに、共同経営者のバウワーマンも、さまざまな素材や構造の工夫で靴のソールを改良しようと試みていますよね。自分も製品のユーザーであってお客様との距離が近い。ユーザー(自分)が喜ぶために何でもする、どんどん探究していくという姿勢は、いろんな業態で支持されるものです。

そして、ナイトは運がいいですね。やるべきことをやらない起業は失敗が必然ですが、やるべきことをやったからといって成功が保証されるわけではない。ビジネスには、運の力も必要です。ロゴマークができたときのエピソードや、日商岩井との出会いのシーンなどは、運がいいという表現があてはまるなあ、と思います。

屋台でラーメン屋をやりたい人にも読んでほしい

――最近売れているシリコンバレー起業本との違いはなんでしょうか。

具体事例の分厚さですね。シリコンバレーで成功している会社でも、社歴が10年以上ある会社というのはほとんどないでしょう。この本は、創業から上場に至るまでの約20年の長さを書いたものですから、ビジネスの厚みが違います。

シリコンバレーに住んだり、働いたことはないので、確かなことは言えませんが、誰に向かって事業をしているか、ということも違うと思います。もちろんシリコンバレーにもいろいろな会社があると思いますが、先端のテクノロジーで世界を変えていくというのが、基本的によしとされる方向でしょう。

一方、この本で扱われるのは、靴。一人ひとりに自分たちの靴を履いてもらいたい、もっと走ってもらいたい、という商売です。もちろん、テクノロジーは必要ですが、最終的には人が、感覚的にこれはいい!と感じるところで売れていくものです。洗剤も、飲み物も、手帳も、消費財はみんなそうですね。屋台でラーメン屋をやろうかな、という人にも共通点があります。

自分が好きなラーメンがあって、もっとおいしいラーメンを自分も食べたい、人にも食べてもらいたい、という気持ちがあって、そのために材料や調味料の配合を探究していく。1号店がうまくいって、2号店を出すことになって、高校のときの仲間に協力してもらって……というストーリーがあるとすれば、本書とほとんど同じですよね。

そういう意味では、多くの人の共感を得られる、汎用性の高い本だと思います。英語版を読み終えたとき、英語が読める人はみんな読んでと、この本のことを紹介しました。「日本語が読める人はみんな読んで!」と声を大にして言いたいです。