実写版『亜人』はなぜ“原作とは異なる展開”で成功した? アクション映画としての潔さを考察

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 現在公開中の実写映画『亜人』。原作漫画は既刊11巻(未完結)、アニメは2クールで、劇場版アニメも3部作での公開だった。ただでさえ非現実的な設定が多いだけに、未完結の内容を1本の実写作品にどう落とし込むか、期待と不安に包まれていたファンも多かったのではないだろうか。

参考:佐藤健は真の“アクション映画”を生みだすーー『亜人』卓越した運動神経とストイックな役者魂

 まず、続編ありきで結末を曖昧にして作られる実写作品も多いなか、『亜人』は多少続きを匂わせながらも、2時間弱でしっかりとストーリーを完結させていた点を高く評価したい。こうした実写映画の場合、原作に忠実な作品と、オリジナリティの強い作品の大きく二種類に分けられる。本作は完全に後者のパターンだったが、「アクション映画」としての再構成が大変潔く、原作やアニメと異なる展開がありながらも、実写としては大きく成功を収めていたのではないだろうか。

 実写版『亜人』は、永井圭(佐藤健)が研究所で実験を受けているショッキングなシーンからスタートする。原作でキーマンとなる海人や中野は登場しないほか、永井が亜人と発覚して政府に追われる冒頭部分も大幅にカットされていた。また、原作で永井は医学部を目指す高校生だったが、本作では研修医となっているため、年齢にも10歳ほど開きがある。佐藤も本来は初老のキャラクターなのだが、30代の綾野剛が演じていることもあって、かなり若々しい印象を受けた。

 多くの実写版におけるこうした設定の改変は、しばしば“改悪”とも呼ばれ、原作ファンに忌み嫌われがちだ。しかし、本作は原作のプロットをただなぞるだけでなく、『亜人』の世界観を保ちながら、「アクション映画」として新たな一本筋を通している。さらに、それぞれの役者の演技にも説得力があったため、こうした改変も比較的受け入れられやすいものだったと感じる。

 アクションに強く、実写版『るろうに剣心』でもノースタントで抜群の運動神経を披露した佐藤健。声色や話し方はアニメ版の佐藤に寄せつつ、妖艶で鬼気迫る怪演をみせた綾野剛。田中も原作とはかなりビジュアルが異なるものの、2.5次元舞台経験もある城田優が演じたことで、原作以上に“2次元的”でキャラの濃い役どころとなっていた。

 しかしながら、全編に渡って「アクション」が主軸となっているためか、人間ドラマ――特に永井の心理描写はかなり薄まっていたように感じた。たとえば、永井が研究所を脱出する際に、原作では研究員を屋上から突き落として命を助けるシーンがある。この場面では、これまで自分を傷つけてきた研究員を見捨てられずに救おうとする永井の心の揺れや葛藤だけでなく、最終的に研究員が助かることで、これまで犯してきた罪に対する“許し”や、佐藤という強敵に抗う“希望”も描かれていた。

 こうした示唆的なパートが少なかったことで、原作ファンとしては少々物足りない部分もあったかもしれない。だが、極力シンプルな構成にしたことで、永井(正義)と佐藤(悪)の対立構造も見えやすくなっていた。

 佐藤にも悲惨な過去があるものの、近年描かれがちな“観客が思わず感情移入してしまう悪役”というよりは、サイコパス的な“ザ・悪役”としての面が強い。特に漫画やアニメでは、ラストで悪役が改心したり救済される展開は珍しくないため、悪役が最後まで極悪非道を貫く勧善懲悪作品は、逆に新鮮だった。日本の漫画原作に多く見られる“繊細さ”というよりも、ハリウッドのヒーロー映画に近い“潔さ”を感じられたとでも言うべきだろうか。

 原作やアニメ版『亜人』では、幾重にも連なる人間模様が物語に深みを与え、ファンの心を掴んでいる。ただでさえ批判的な声が目立ちがちな実写版で、そうした重要なファクターを断ち切って再構成することは、製作陣としても相当な覚悟が必要だったにちがいない。だが、そうした思い切りがあったからこそ、原作やアニメの単なる焼き直しにならない、「正統派アクション映画」としての新たな側面を創造できたのだろう。

■まにょライター(元ミージシャン)。1989年、東京生まれ。早大文学部美術史コース卒。インストガールズバンド「虚弱。」でドラムを担当し、2012年には1stアルバムで全国デビュー。現在はカルチャー系ライターとして、各所で執筆中。好物はガンアクションアニメ。