『5時に夢中!』番組ホームページより

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「(小池百合子は)ちょっとなんか、器が小さかったかな」
「無神経、馬鹿じゃないと総理大臣ってできないと思うのよ。安倍ちゃんなんて馬鹿の象徴じゃない?」

 現在、ワイドショーで放たれたこんな言葉が波紋を呼んでいる。

 その発言の主は、マツコ・デラックス。マツコは10月2日放送『5時に夢中!』(TOKYO MX)にて、小池百合子と安倍晋三をこのように評した。

「(小池百合子は)ちょっとなんか、器が小さかったかなっていう感じの......。まあ、報道だけを見る限りでは、もうちょっとなんか無神経な人じゃないと、なかなか総理ってキツいよね。大胆っていうよりは、無神経。馬鹿。じゃないと総理大臣ってできないと思うのよ。安倍ちゃんなんてもう馬鹿の象徴じゃない? あれ、もうさ。あれぐらいのさ、アホな人じゃないと、多分あんなことやれないと思うんだよね。この時期に解散とか、普通の神経だったら言えないじゃん? でも、それを言えちゃうだけの図太ささだったり、無神経さだったり、どっか病気じゃないとやれない職業だと思うのよ」

 この解散の目的が森友・加計問題隠しなのは誰がどう見ても明白だ。その大義のなさは、解散の理由について教育無償化やら北朝鮮危機やらと、言うことが朝令暮改の様相を呈していることからも丸わかりなわけだが、それでも安倍首相は恥ずかしげもなく、いまも人前で堂々と「国難」などと詭弁を呈している。そして現在では、演説を聞く人々からのヤジを恐れ、ステルス演説などという前代未聞の恥ずかしい遊説を続けている。「丁寧な説明」とやらはどこへ行ってしまったのか?

 まともな神経の持ち主なら、あまりにロジックが崩壊している「言い訳」と「逃避」の連続に、我に帰る瞬間やつい軌道修正したくなる気持ちがうまれそうなものだろうが、周知の通り、安倍首相の行動にそのような「ためらい」や「とまどい」が浮き出る瞬間はない。これは、安倍が常人の域を遥かに逸脱した無神経さや愚鈍さをもちあわせている人物、つまり"馬鹿"だからだ。

 そういう意味では、マツコは間違ったことはなにひとつ言っていない。ただただ事実だけを指摘する発言だ。

 ところが、ネトウヨたちはマツコのこの発言に激高。ネット上にはマツコをディスるこのような言葉が氾濫しているのだ。

〈なんだこのデブ男が!!共産党の回し者か!最近、売れてきて、なんでも言いたい放題だから、調子のってんじゃないのか!!お前がバカだろ。〉
〈不快過ぎて見るのが辛いほど。多分台本なのだろうけど、そんなこと視聴者は知らない。自分の意見として責任を持て!マツコ・デラックスには心底失望した。とにかく安倍総理はディスれというオーダーなんだろう。安倍総理のどこが馬鹿?具体的に言ってみなさいよ。〉
〈安倍総理よりマツコ・デラックスのほうがバカでアホで病気やと思いますよ。そんなやつにこれを言わせてるテレビが異常。〉

 マツコは小池百合子も「小物」と批判しているが、安倍批判だけが炎上しているところに、ネトウヨの安倍妄信とミソジニーが表れているが、それはともかく、マツコが安倍首相を批判したのは、別に今回が初めてではない。

 たとえば、昨年8月22日放送『5時に夢中!』では、リオ五輪閉会式における「安倍マリオ」について、「突き抜けていないよね。恥ずかしいんだったらやるんじゃないよ! すぐ脱ぐんだったらやるな、断れって話。ヒゲもないし中途半端」と語っていた。

「EX大衆」(双葉社)14年12月号掲載のコラムではもっと的を射た批判を展開している。そのコラムのなかでマツコは、「アベノミクス」のお題目の一方、実際に行われていることは結局、バカの一つ覚えのように公共事業に投資し続ける、昭和の時代から何も変わらない化石のような手法でしかないと喝破した。

「結局、安倍さんのやろうとしている経済政策って、おじいちゃんの時代とほとんど変わらないんだよね。
 東京五輪で莫大な経済効果がもたらされると思い込んでいることもそう。巨大インフラ整備や公共事業投資に力を入れれば、再び日本経済が右肩上がりになるって信じているのね。信じているというか、それしか術を知らないというか」
「安倍さんも結局、既得権益を持つ人たちとは仲良くしていたいのね。所詮は、昔のやり方と同じことやっているのよ」

 アベノミクス批判に、安倍首相の心に巣くう「おじいちゃんコンプレックス」までも軽く浮き彫りにさせたキツい一発。しかし、こうした批判については、あまりに的を射ていて、ぐうの音もでなかったのか、これまでたいした炎上はしなかったし、安倍応援団から批判の声もあまり上がらなかった。

 ところが、今回の「馬鹿の象徴」発言については、ネトウヨは大袈裟に騒ぎ立てている。どうも、連中に言わせると、「馬鹿」という言葉が「名誉毀損」だというのだ。

 いや、ネトウヨだけではない。したり顔の中立厨もこんなことを言い始めている。

〈これは酷いなぁ...
 公共の電波で安倍総理を病気とか言っちゃってるけど、これって名誉棄損で訴えられるんじゃないの?
 一般常識では言っちゃいけないと分かると思うけど芸能人だとタガが外れちゃうのかねぇ?〉

 こういった意見の人たちはとんでもない勘違いをしている。一国の総理大臣を「馬鹿の象徴」と評しようとそれは「名誉毀損」でもなんでもない。むしろ、権力者であるからこそ、「馬鹿の象徴」と評されることは積極的に認められるべきである。それは、過去の判例から裁判所が法的に認めていることでもある。

 2000年のこと。月刊誌「噂の真相」(休刊)が、時の総理大臣・森喜朗が早稲田大学在学中に売春取締条例で検挙歴があることをスクープ。これに対し森喜朗が、名誉を傷つけられたとして、謝罪広告および1000万円の慰謝料を求めた民事訴訟を起こした。

 このとき、森は「噂の真相」が記事内で自分のことを「サメの脳ミソ」「ノミの心臓」と表現したことについても、「意見論評の域を超えている」として、名誉毀損の対象となると主張していた。

 しかし、翌年の4月28日、東京地裁はこの部分について、原告・森喜朗の主張をしりぞけた。判決は、問題とされた「サメの脳ミソ」「ノミの心臓」という暗喩表現について、〈低能、小心者を想起させる表現であり、原告は内閣総理大臣を務める適正を欠くかのような印象を与え、原告の名誉感情を害しかねない〉と前置きしつつ、〈具体的事実を適示するものではなく、いささか品位を欠く表現ではあるけれども、表現自体が違法性を帯びるようなものとはいえない〉とした。そして、こう続けている。

〈原告は政治家で、しかも内閣総理大臣である。その資質、能力、品格が政治的・社会的に厳しい批判に、時には揶揄にさらされることは避け難い立場にある。こうした立場を前提に本件雑誌を読む一般の読者も、風刺的表現として理解するにすぎないであろう。「サメの脳ミソ」などの表現をもって、直ちに原告の社会的評価を低下させるとするのは相当ではない。この程度の表現は受忍すべきだ。〉

 この判決の2日後、森喜朗は内閣総辞職し、総理の座から退いたのだが、それはともかく、裁判所は総理大臣など「公人のなかの公人」と言える人物に関しては、「厳しい批判」や「揶揄」も「受忍すべき」という判断を明確に示したのである。

 当然だろう。それがいかに辛辣で品位を欠く表現であろうが、為政者に対して自由に批判できることこそが民主主義国家としての絶対条件、最後の砦なのだ。

 実際、先進国ではどの国でも、メディアやジャーナリスト、お笑い芸人たちが自由に大統領や首相などの権力者を批判し、揶揄し、茶化し、バカにしている。もちろん、権力者の側もそれを圧力で封じ込めたりすることはない。日々大量につくられ続ける、ドナルド・トランプを皮肉ったジョークの数々からもそれはわかるだろう。

 しかも、今回のマツコの場合は、前述したように、ごく真っ当な論評だ。

 10月9日放送『5時に夢中!』で、マツコは呆れ返った表情で吐き捨てるようにこのような言葉を放っていた。

「ずっとテレビもこの話題ばっかりだけど、私たち何に付き合わされてるんだろうって本当に思うよね。そもそもが何で解散したんだろう?から始まって、何を私たちいま聞かされてるんだろうっていう」

「この時期に解散とか、普通の神経だったら言えない」というごくごく真っ当な分析に対して、「名誉毀損」だなど平気で口にするのだから、その意識は到底、民主主義の国で生活している人間のものとは思えない。

 だが、まるで中国や北朝鮮のようなこうした価値観がネットにはびこるようになったのも、まさに安倍政権に原因がある。

 実は日本でも以前はもっと自由に政権批判ができていた。メディアでは辛辣な政治家の批判やスキャンダルが報道され、タレントたちもテレビで政治家をギャグにし、茶化していた。政治家もだからといってメディアに圧力をかけたり、名誉毀損で訴えたりすることはなかった。

 ところが、安倍政権はこうした批判報道を力で封じ込めようとし始める。報道に逐一抗議をし、メディアはどんどん萎縮していった。そして、自民党はネットサポーターを別働隊にして、自分たちへの批判者に「炎上攻撃」を仕掛けることで、批判意見をさらに封じ込めていった。そうして現出したのが、今の状況である。

 これ以上「表現の自由」が侵害されないためにも、我々は安倍政権をどうしても止める必要がある。
(編集部)