「「インターネットがよかった時代」はもう来ない──いまアイデンティティを問うための3つの視座」の写真・リンク付きの記事はこちら

自分にとっての「アイデンティティ・ソング」を背負いながら、学者、起業家、フォトグラファー、さらにはアフリカから招聘されたアーティストや、世界に名を馳せるギタリストまでがステージへ上がっていく──。

3セッション計10組が登壇した「WRD. IDNTTY.(ワイアード・アイデンティティ)」は約6時間にも及んだ。その濃密な時間のすべてを、ここでレヴューすることは到底叶わない。

ただ、いま現実問題としてフェイクとヘイトが蔓延する世界で、ネットとリアルの間で揺らぐ「わたし」を再形成するために必要であると信じられた、3つのマインドセットをまずはまとめておきたい。

1.ネットのログで「わたし」は形づくられていく

プログラムの2番手として、アメリカからSkypeで登場した17歳のトリーシャ・プラブは、「ヘイトを含むSNS投稿」を抑止する『ReThink』を開発している。それらの投稿を感知すると「あなたが後悔するようなことを言ってはいけない!」(“don’t say things that you may regret later!”)といったメッセージが表示されるようになるウェブサーヴィスだ。

当時13歳のトリーシャは「2年のサイバーいじめを受けて自殺した11歳の女の子」のストーリーをオンラインで読み、衝撃を受けた。トリーシャはリサーチを進め、SNSで10代がネガティヴな発信を「してしまう」理由を脳の成長過程と紐付けた。脳全体の90パーセントは13歳までに形づくられるが、意思決定で使われる前頭葉を含む部分はさらに13年ほどの月日が必要となる。つまり、10代の未発達な脳は判断力が弱く、衝動に走りがちだというのだ。

そこでトリーシャは10代の若者に「考える手間」を与えることにした。『ReThink』を設定したティーンエイジャーの93.4パーセントがヘイトを含む投稿を思い留まり、攻撃的なメッセージを投稿する意欲をもつ人も71パーセントから4パーセントにまで低下した結果も出たという。

関連記事:誇りがあればヘイトに負けない──10代のネットいじめを止める17歳のCEO

本誌編集長の若林恵が言うように、2009年にフェイスブックが言明した実名でのアカウント取得を、ネット空間とリアル空間における「自分=アイデンティティ」が一致しはじめた地点と見るなら、トリーシャはそれらの隔たりがない環境でアイデンティティを形成してきた世代になる。

かつてのネット空間では情報が容易にコピーされ、占有や独占が発生しない環境だからこそ、その世界に潜む人々の「アイデンティティ」も、匿名性や「分人性」といった特性を帯びたまま漂うことができた。

昨今のネット空間からその特性が失われつつあり、フェイクやヘイトに辟易しそうな現在から、「インターネットがよかった時代」を回顧することもできる。しかし、すでに世代は変わってしまった。ネットとリアルがつながる時代を生きるのであれば、ぼくらのアイデンティティも合わせてアップデートしなくてはならないだろう。

関連記事:ひとを疎外するイノヴェイションに抗うために(編集長エディターズレター号外)

『ReThink』の成果を胸にしたトリーシャは、「ネット=リアル」のアイデンティティが当然である世代らしく、オンラインに残るログの全てが自分の過去と結びついていく意識の大切さを訴えかける。

「どういったアイデンティティをインターネット上でつくりたいのかを考えてほしい。それは、“どういった人間でありたいのか”を考えてほしい、ということでもあります。オンラインに入力することは、自分の誇りにできることで、あなたの人格を反映していると言えるようにしてください。それがポジティヴであり、幸福であるかたちのはずです」

トリーシャに先立って壇上に上がったトニー・ガムは、本イヴェントのため南アフリカから来日。本誌VOL.29の表紙にも登場した「南アでもっともクールな女の子」だ。PHOTOGRAPH BY KAORI NISHIDA

2.ダイヴァーシティは「わたし」を理解することから始まる

スクリーンへのプレゼンテーションを背に、6番目のプログラムに登壇したTENGAヘルスケアの中野有沙は「ダイヴァーシティやアイデンティティが“氾濫”して、それらをもっていることがあたかもステータスになっているかのようだ」と話し始めた。

中野はダイヴァーシティを「アイデンティティの集合体」と表す。つまり、額面通りにダイヴァーシティ=多様性と捉えるだけでは本質には遠く、本当の意味でダイヴァーシティに向き合うためには、他者よりもまず自分の「個」を見つめなければいけないと考えている。

中野にとって見つめるべき「個」は、幼少期から抱えたセクシャリティに関する悩みだった。女性として生まれるも「男性のような見た目をしていた」と言う中野は、性自認の差を受け止めきれずに育った。性同一性障害やバイセクシュアルといった“性的な所属先”も決めきれず、自らのセクシャリティの不確かさと向き合い続ける日々を送る。

関連記事:TENGAヘルスケア・中野有沙が目指すセクシャル・ウェルネス

やがて「自分が自分でいられる場所でありさえすればいい。アイデンティティは自らの選択によって育てるものだ」と中野は結論を出す。つまり、中野はセクシャリティを見つめ続けたことで、結果的にアイデンティティとも本質的に向き合えたのだ。

「自分のあり方をもっていなければ(入り組んだ多様性の世界で)道に迷ってしまいます。アイデンティティと向き合うきっかけは、いきなり社会を見るのではなく、まずは性のあり方といった、自分にしか語れないものから見つめてみるのも切り口になる」

PHOTOGRAPH BY KAORI NISHIDA

3.意志によってのみ「わたし」の行動は成り立たない

今回のカンファレンスを締めくくった10番目のプログラムは、哲学者・國分功一郎と医師・熊谷晋一郎の対談だった。共同研究をする仲のふたりは、國分が今年3月に上梓し、第16回小林秀雄賞も受けた『中動態の世界 意志と責任の考古学』でも説いた「中動態」について話し始める。ただ、「中動態」の考え方は國分の著書はもちろん、過去に「WIRED.jp」で公開したふたりのトークイヴェントをまとめた記事に詳しいため、ここでは省く。

ふたりが問題視するのは、ぼくらの意思決定が「能動態/受動態」を基準にしすぎていることだ。自分が「〜する/〜される」という強い基準は、言い換えれば「(行動者の)意志」によって行為の「責任」が生じるとみなされやすい。しかし、現実に、人は全て自分の意志でのみ行動しているわけではない。國分はそれを「行動の行き過ぎた私有財産化」と喩えたうえで、「行動を人に帰属させるために意志が使われている」と話した。

熊谷は共感を示し、「人間の行動には原因群がある」と依存症のケースを挙げる。幼少期に虐待を受けた被害者は「安心して他人に頼れない」という性質を帯びることがある。そこで他人を頼れない代わりに、ドーピングをしてまで自力での解決を図ろうとする。あるいは、暇や退屈を感じると虐待のトラウマが蘇るため、覚醒物質や仕事のように打ち込めるもので時間を満たす。つまり、幼少期の虐待こそが薬物をはじめとした依存症のはじまりであり、いずれも本人の意志だけが問題とはいえない。

「お前の意志でやったからお前の責任だろ、と意志(の強弱)ばかりを問うことは、行動が(過去の)何かにつながっている因果関係を切断してしまう」と國分。重ねて熊谷も「薬物依存症の自助グループでも採用されている『12ステップ』の最初は、“自分の意志で薬物依存から抜けようとしない”です」と、意志に頼りすぎない大切さを問う事例を加えた。

このプログラムでは大きく2つの学びがある。ひとつは、世界には「能動態/受動態」だけでは語れないこと(=「中動態」)も多くあると知ること。もうひとつは、行動は必ずしも意志によってのみ成り立たないことだ。「意志薄弱」という言葉に縛られず、時に心の動きにゆだねる感覚を身につけることは、あらゆることに意志決定を求められる現代人にとって、今後も必要な「自らの有り様」を見つめるキーになるかもしれない。

関連記事:「中動態」と「当事者研究」がアイデンティティを更新する理由

盛況のうちに幕を閉じた「WRD. IDNTTY.」。カンファレンスの各セッションは「WIRED.jp」でもこれからレポートを公開し、また12月に発売される本誌「アイデンティティ」特集号でも総括が掲載される予定だ。それらすべての言葉たちが、自分自身の、そして関わる誰かのアイデンティティを照らし、ダイバーシティをつなぐ糸になることを祈って。

世界中のミレニアルズから信頼を集めるメディア『Refinery29』のクリエイティヴディレクター、ジョン・ブレットの登壇は、メディア関係者からも大きな注目を集めた。登壇後は、「今後『WIRED』日本版とも一緒に何かできそうだね」と、弊誌編集長と固い握手を交わした。PHOTOGRAPH BY KAORI NISHIDA

RELATED

あなたの「アイデンティティ・ソング」を投稿しよう! 特別キャンペーン実施中 ! #identitysongs