70年前に何があった? 親日国ウズベキスタンと日本の知られざる関係

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 ウズベキスタン共和国と聞いて、正確な位置が分かったり、イメージが湧いたりする人がいたらすごい。

 地理的には中央アジアに位置し、中国の西隣のキルギスやタジキスタンと東側で国境を接している。北と西には広大なカザフスタンがある――と聞いても今一つピンと来ない。

 その遠く離れたウズベキスタンには親日家が多いという。理由を説明するには70年ほどさかのぼらなければならない。

 旧ソ連時代の1945年から1946年にかけて、極東やシベリアから約2万5000人の日本人抑留者が今のウズベキスタンに強制移送された。そのうち首都タシケントの収容所「第四ラーゲル」に収容された457人が国立オペラバレエ劇場の「ナボイ劇場」建設に携わった。抑留者だった新家苞(にいのみ・しげる)さん(92)は、「われわれ日本人がやったから早く完成した。向こうの連中も本当にできるかどうか分からなかったようだ。完成間近になったら、それまで無愛想だった現場監督がニコニコしながら声を掛けてきた」と当時の様子を振り返った。新家さんは帰国後、4回もウズベキスタンを訪れ、交流を続けている。

 ウズベキスタンで日本人のすごさが改めて知られることとなったきっかけの一つが、1966年に発生した地震だ。タシケントを震源とするマグニチュード5の地震によって、建物の70%が倒壊した。ところが日本人が造ったナボイ劇場はほぼ無傷で、避難所として活用された。日本人の実直さや勤勉さに感謝と尊敬の念が生まれたという。

 また、ウズベキスタンのジャリル・スルタノフさんは、日本人抑留者がいろいろな建造物を造った話を子どものころに知り、そうした歴史に関心を持っていた。ところが、旧ソ連時代は資料や情報収集もままならなかった。ウズベキスタンが独立した後、当時の品や写真などを集め、1998年、自宅内の敷地に私費で「日本人抑留者資料館」を開設した。

 日本政府は2015年9月、日本との友好親善関係の貢献に対して、スルタノフさんに外務大臣表彰を贈った。翌2016年1月に安倍晋三首相の招きで訪日したスルタノフさんは、本人たっての希望で、京都府舞鶴市の「舞鶴引揚記念館」を訪ね、地元の小中学生や市民ら120人の歓迎を受けた。

 舞鶴市に上陸したシベリアなどからの引き揚げ者は、終戦直後からの13年間で約66万人に上り、新家さんら「第四ラーゲル」の抑留者も1948年に舞鶴港で再び日本の地を踏んだ。記念館に所蔵されているシベリア抑留と引き揚げの資料570点は、2015年にユネスコの「世界記憶遺産」に登録された。

 こうした深い縁から舞鶴市は2016年、「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会」で、ウズベキスタンのホストタウンを申請し、今年5月、レスリングと柔道の事前合宿を行うことが内定した。

 駐日ウズベキスタン共和国大使館のアスカラリ・ハサノフ2等書記官は「ナボイ劇場は現在も使われており、歴史や日本人の勤勉さと優しさを、ウズベキスタン人は今も覚えている。850人ほどの日本人抑留者の墓は、政府によって大切に守られている」と話す。「今後はスポーツだけでなく、政治や経済、文化、観光、教育などで両国の交流を深めていければ」と熱い思いを語った。

 2017年11月には多々見良三舞鶴市長がウズベキスタンを訪問し、同国のオリンピック委員会と「合宿実施覚書」を交わす予定だ。