女はいつしか、3つのカテゴリーに分類されてゆく。

「独身」か「妻」か、はたまた「ママ」か。

結婚・出産でライフスタイルが急変する女の人生。恋愛から結婚、そして子育て。それぞれのカテゴリーで、興味の対象も話題もがらりと変わってしまう。

大学時代からの仲良し3人組、あゆみと理香、そして沙耶。

未だ独身、広告代理店でキャリアを積む沙耶は、早々にママとなった理香、最近結婚したばかりのあゆみとどんどん疎遠になってしまう。

新プロモーションのチームリーダーにも選ばれ、仕事が楽しくて仕方ない沙耶。しかし、女の人生は突然狂う。

もう1ヶ月以上生理が来ていないことに気がついて...。




計算外の出来事


-とにかく、落ち着こう...。

ガーデンテラス紀尾井町の『GARB CENTRAL』。目の前に置かれたラテに口をつけるのも忘れ、沙耶はただただ混乱していた。

朝イチの定例会議を終えてすぐ、オフィスを飛び出した。

できるだけ会社から離れたところで“確認”したくて、ここまで黙々と、ひたすら足元だけをみて歩いた。ドラッグストアで検査薬を買い、レストルームに駆け込んで...。

震える右手を見つめるたったの数分が、どれほど長く感じられただろう。

期待か不安か、それとも恐怖なのか。自分の感情に名前をつけられないまま、徐々にくっきりとした縦線が表れるのを、沙耶は息をするのも忘れて見つめた。

-...まずは、隼人に相談しよう。

混乱した思考の末にそう考え至って、ようやく彼のことを思い出した。

頭に浮かぶ隼人の笑顔はいつも通り無邪気で、沙耶はわずかに落ち着きを取り戻し、そして同時に一抹の不安も感じた。

年下の隼人は、まだ27歳だ。世の中一般的にはどうか知らないが、フリーカメラマンとしてこれからという彼に、今すぐ父親になる心づもりがあるとは思えなかった。

そもそも沙耶自身だって、自分が母親になる覚悟なんてない。それどころか、今日までの日常とあまりにかけ離れた世界で、想像すらできなかった。


計算外の、妊娠。それを知った隼人の反応で、沙耶の心は変わっていく


キャリアを捨てる気はない。そう思っていたけれど…


「...えっ!?」

絶句するようにして、言葉を飲み込んだ彼。

「妊娠したかもしれない」と言った瞬間の、隼人の反応はおおよそ予想通りだった。

会社からの帰り道に“話があるから家に来て欲しい”とLINEをしたら、隼人は何事かと慌てて来てくれた。そして家に上がるや否や「どうしたの、何があったの」と沙耶を質問攻めにする。

もったいぶるつもりはないのだが、彼がどういう反応をするだろうと思うと口にするのが躊躇われる。

ようやく口を開くことができたのは、不安げに佇む沙耶を後ろから抱きしめ、隼人がこう言ってくれたからだ。

「何があっても、俺は沙耶ちゃんの味方だから」




「私、妊娠したかもしれない...」

沙耶の言葉を聞いた直後、さすがに驚きを隠せず絶句した隼人。

しかしその後すぐに、彼は手放しで喜んでくれた。隠すことなく、喜びを全身で伝えてくれた。

「えっ...そうなの!?妊娠...って、子どもができたってことだよねって、当たり前か(笑)そうなんだ、そっかぁ...嬉しいなぁ!」

興奮しているのか、部屋中をうろうろと歩き回って、何度も何度も「嬉しい」と繰り返す隼人。その笑顔に、迷いや不安は1ミリも浮かんでいない。

そんな彼を眺めていると、沙耶は、これまで戸惑いで埋め尽くされていた心にそっと火が灯る思いがした。

「沙耶ちゃん、僕と結婚してください」

リビングをぐるりと一周して戻ってきた隼人が、沙耶の手をとり、まっすぐな目を向けた。

目の前にいる彼も、繋いだ手も、ドラマのようなセリフも。全て現実なのに、どこか他人事のようだ。夢見心地のまま、沙耶も隼人の手を強く握った。

「うん...はい、もちろん。よろしくお願いします」

-私、幸せだわ...。

自然と、手がお腹を撫でていた。私と隼人の、新しい命がここにある。

そう思ったら、沙耶がこれまでの人生に感じたことのない「愛しい」という強い思いが、身体中から湧き上がってくるような気持ちがした。

「すごいなぁ。ここに、命が宿っているなんて」

隼人もそっと、壊れ物を触るようにして沙耶のお腹を撫でる。

「でもまだ、わからないのよ。ちゃんと病院に行ってみないと」

検査薬にはくっきりと線が出ていたからほぼ確定ではあるが、隼人があまりにも喜んでくれるので、後からがっかりさせてはいけないと一応の弁解を入れておく。

しかし彼はそんな言葉など聞こえない様子で、沙耶をまた力強く抱きしめるのだった。

女の人生は、突然狂う。

夢だった広告代理店に入社して順調に積み重ねてきたキャリア。30歳を過ぎてようやく評価され始めたところだ。

これからも仕事を手放さずにいられるだろうか?抜擢されたばかりの、リーダーとしての責任は果たせるだろうか?

結婚にはこだわらない。キャリアを捨てるつもりもない。

ずっとそう思っていた、はずだった。

-でも今はそんなこと、どうでもいい...。

愛する男からのプロポーズを受けて沙耶の心に広がるのは、幸福感、ただそれだけなのだった。


妊娠発覚、そしてプロポーズ。沙耶が幸せの絶頂で思うこと


幸福の絶頂で


「沙耶さん、体調大丈夫ですか?」

翌朝、オフィスエントランスで後輩の香織が駆け寄ってきた。

「心配かけてごめんね。ちょっと...ただの、寝不足だわ」

妊娠のことは、まだ話すわけにいかない。なんでもないわ、と手を振ると、香織は笑顔で応じ、何かを思い出したようにしてスマホを取り出した。

「そうそう、さっき電車で見てたんですけど...こういうのをSNSにアップするのって、すごい神経だと思いません?」

彼女は失笑しながら、沙耶に香織の友人らしき女性のFacebookタイムラインを見せた。

そこに投稿されていたのは、大きく膨れ上がったお腹を露わにして撮影した、いわゆる“マタニティフォト”である。

「自分では見慣れているのかもしれないけど...第三者から見たら同性でもなかなかに生々しいんだけど。わざわざ公衆の面前に晒すもの?って思っちゃう」

“マタニティフォト”はここ数年でかなり定着し、最近は見る方にも免疫がついてきたが、確かに沙耶も最初に見かけたときは、「これをネット上にアップしちゃうのか」と驚いた。

「マタニティ期って脳内お花畑になるっていうから、自分のことを女神様か何かだと勘違いしちゃうんですかね(笑)」

香織の辛辣なセリフに、沙耶は「あはは」と乾いた笑いを返す。

以前の沙耶なら、もっと共感しただろう。しかし今の沙耶は、香織と一緒になってマタニティフォトの彼女を批判する気分になれなかった。

むしろ、記念に残しておきたい気持ちも、良く撮れた写真を皆に見てもらいたくてSNSに投稿する気持ちも理解できる、と思えてしまう。(沙耶自身は、SNSは閲覧しかしないので投稿することはないけれど。)

確かに、幸福に酔う女の鈍感さには、沙耶だって過去に何度も辟易させられてきた。

大学時代からの仲良し3人組だったあゆみは、結婚が決まった途端に上から目線で語り始めたし、投資ファンドを経営する夫と息子とともに広尾で暮らす理香には、27歳でフリーカメラマンの隼人のことを「結婚するには不安定」などと批判されたこともある。

-幸福に酔いしれた女は、頭のネジが何本か緩んでしまうのだろうか。

彼女たちのことを、沙耶もそんな風に思って苛立っていた。

しかし今、自分が幸福の絶頂に立ってみてわかることがある。

理性など、女の幸せの前ではいとも簡単に崩落するものだ-。

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