春香が、24歳のとき。

心から愛していた男が、ある日忽然と姿を消した。

その日から、春香の時計の針は止まったまま。食事会に行っても新しい恋人が出来ても、まとわりつくのはかつて愛した男の記憶。

過去の記憶という呪縛から逃れることのない女は、最後に幸せを掴み取る事ができるのか?

3年前に最愛の恋人・祐也が姿を消してから、祐也への未練を吹っ切れずにいた春香。食事会もデートも失敗続きの日々が続くが、親友の恵子に喝を入れられ、目が覚める。

ようやく祐也からもらった指輪を外し、前に進む決意を誓うのだった。




春香と親友の恵子は、麻布十番の『紫玉蘭』で食事をしながら、会話に花を咲かせていた。

2人の話題は専ら、誕生日会についてだ。そう、来週の土曜日は、春香の27歳の誕生日なのである。

誕生日会の幹事は私に任せて、とすっかり張りきっている恵子に、春香はもじもじと切り出した。

「その件なんだけど…誕生日会は、誕生日当日じゃなくて、翌日の日曜日に変えてもらってもいいかなあ…?」

恵子は首をかしげる。

「えっ、じゃあ当日はどうするの?」

実は今日、春香には、親友を驚かせるビッグニュースがあった。なんと、3年ぶりの彼氏が出来たのだ。

そのことを伝えると、恵子は春香の手を握りしめて喜んでくれた。

「おめでとう!!春香ったら、いつのまに!どうしてもっと早く話してくれなかったのよ、水臭いんだから!」

春香は照れ笑いをして、うつむく。

これまで散々、今度こそ恋人ができるかもしれないと騒ぐだけ騒いで、1、2度のデートで失敗をするパターンを繰り返していただけに、今回は少し冷静になって恵子への報告を温めていたのだ。

「で、その彼氏っていうのは、どこのどなた?」

「うん、シゲって言うんだけどね…」

わくわくとした表情で身を乗り出す恵子に、春香は新しい恋人との馴れ初めを語り始めた。

春香とシゲは、高校時代の同級生である。

高校の頃は正直、シゲのことなんて相手にもしていなかった。当時、春香が夢中になっていたのはクラスで最も注目を浴びるような、「一軍」的グループのチャラチャラした男たちばかりで、学年で成績上位を競うようなガリ勉の眼鏡男・シゲには全く興味を持っていなかったのだ。

ところが、先日高校の同窓会に顔を出して、春香は愕然とした。


春香の新彼氏・シゲは、祐也を超える男なのか?


3年ぶりの恋


あの頃の一軍メンバーたちが霞んでみえるくらい、シゲは見違えるように素敵な男性へと様変わりしていた。

それまであまりに関心がなかったために春香は全く知らなかったが、シゲは高校卒業後現役で早稲田に入り、今は日系証券会社で働いているという。




つまり、いわゆるハイスペックな男へと変貌を遂げていたのだ。高校時代どれだけ目立っていたかという過去の栄光なんて、社会人になったら何の意味もないということを、春香はつくづく思い知らされた。まさに下剋上である。

そして同窓会で連絡先を交換した春香とシゲは、その後数回のデートを重ね、めでたく交際へと発展したのだった。

「高校の時は地味すぎて気がつかなかったけど、シゲってもともと顔も整っていたの!それでいて垢抜けたもんだから、ものすごいイケメンになってた」

声を弾ませて恵子に報告をすると、恵子は目を細めてしみじみと呟いた。

「春香、本当によかったねえ。やっぱり祐也くんの指輪を、思い切って捨てたからご利益があったのよ。勇気を出した春香への、天からのご褒美だわ」

本当は祐也の指輪を捨ててはおらず、単に片付けただけなのだが、そのことは黙っておいた。

それにしても、恵子の言う通りだ。

祐也との過去を断ち切り、前に進む強い決意をした途端、シゲとの出会いに恵まれるとは。こんなことならもっと早く指輪を外すんだった、と反省しながら春香は幸せを噛み締めた。



恵子と別れたあと、家に帰る電車の中で早速シゲにLINEを送る。

-お疲れ様!まだ仕事かな?私は、親友の恵子って子とご飯にいってきたよ!十番で中華食べたんだけど、そのお店がすっごく美味しくて…

思いのままに書き連ねていたら、果てしない長文になってしまったが、そのまま送信する。

仕事が忙しいシゲは、平日会うのはなかなか難しいと言っていた。春香としてはそれが少し物足りなかったが、仕方ない。週末にデートすれば良いことだ。

その夜、23時を回った頃になって、シゲからの返信がやってきた。

-はるちゃんお疲れさま。友達との食事、楽しくてよかったね!俺は寝ます!おやすみ!

画面を見ながら春香は硬直した。

「えっ…これだけ?」

たった数行の返信に戸惑いながらも、自分に言い聞かせる。

-平日は忙しいって言ってたもんね…。

大人の恋愛は難しい。春香は頭を抱えた。

その後も毎日のように、春香が1日の報告を長々とLINEで送り、夜遅くになってシゲからの短い返信がやってくる、という繰り返しが続いた。春香の不満は段々とつのり始めていた。


いよいよ、27歳のバースデーを迎える春香


恋の仕方を忘れた女


さすがに社会人だから毎日会いたいとまでは言わないけれど、お互いにその日何をしていたのか、そのくらいは把握していたい。恋人なんだから。

自分は求めすぎなのだろうか。LINEが長すぎる?それとも、LINEじゃなくて電話にするべき?せめて週に1度は会いたいと言ったら重すぎる?

悶々と考えた末に、春香は思わず呟いた。

「ダメだ…恋愛の仕方を忘れてしまった…」

3年間ろくな恋愛もせずにぼんやりしているうちに、恋人同士がどうやって歩み寄り関係を築いていくのか、そんな単純なこともわからなくなってしまった。

祐也の時は、ごく自然にお互いが引き寄せられて、付き合ったその日から毎日一緒に過ごすのが当たり前になった。2人の温度はぴったり一致していたから。

思えば、その祐也とも、大学時代に知り合って付き合い始めた仲だし、春香は27にもなって社会人らしい恋愛をしたことがないのだ。

新しい恋愛に活かせるようなテクニックも教訓も、何も学んでこなかった自分の人生を、恨めしく思う。

-シゲと、うまくやっていけるのかな…。

春香は不安でいっぱいになった。

でも、週末には誕生日がある。最後に会った時に、土曜日は一緒にお祝いしようねと言ってくれたシゲの笑顔を思い出し、祈るような気持ちで1週間を過ごした。



そして、誕生日はついにやってきた。

0時になるや否や、誕生日のお祝いメッセージを真っ先に送ってくれたのは、親友の恵子だ。

-春香、お誕生日おめでとう!過去と決別するのは本当に大変だったと思うけど、これから幸せな未来が待っているよ!

恵子の力強い言葉に胸がじんと熱くなる。恵子、私絶対幸せになるよ、と春香は心の中で強く誓った。

シゲから連絡が来たのは、その日16時を過ぎたころだった。

比べたくはないけれど、嫌でも祐也と過ごした誕生日のことを思い出してしまう。

前日には「前夜祭」と称して祐也は腕によりをかけた手料理を振舞ってくれた。そして0時になる瞬間を共に迎え、翌日の誕生日当日は1日ふたりでゆっくり過ごして、夜にはとっておきのレストランでのディナー…。




一方シゲは、こんな時間になってやっと連絡してきたかと思ったら、おめでとう!のスタンプと共に、店のURLと予約時間だけをポンと送ってきたのだ。

やりきれない気持ちでリンクを開くと、シゲが予約をしてくれたのは、銀座の『スリオラ』だった。

-あっ…一度行ってみたかったスペイン料理のお店だ…!

前回のデートで、スペイン料理が大好きだと言ったのを覚えていてくれたのかもしれない。そう思うと心がほんわかと温かくなる。

過去と比べてちゃいけない。27歳の人生はスタートしたばかり。今、目の前にある幸せと向き合うのが何よりも大切なことだ。

春香は気を取り直してお気に入りのワンピースに着替える。3年ぶりに過ごす恋人とのバースデーはどれほど素晴らしいものになるのかと、期待で胸を膨らませ、銀座へと向かうのだった。

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新しい恋人と過ごす27歳のバースデーは、祐也との思い出を超えるのか?