ハリルホジッチ監督が、予選突破を決めたオーストラリア線で「やりたいこと」がやれたのには、いくつかの好条件が前提としてある。写真:佐藤 明(サッカーダイジェスト写真部)

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 ロシア・ワールドカップ出場を決めた日本代表。ヴァイッド・ハリルホジッチ監督は「縦に速いサッカー」や「デュエル」を強調し、結果を残したが、一方で日本人選手の特性を軽視した戦い方に疑問を呈する声もある。彼の志向するスタイルは、日本サッカーの未来にとって有益なのか。サッカージャーナリストの後藤健生氏に見解をいただいた。
 
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 日本代表が予選突破を決めたオーストラリア戦は、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の「やりたいこと」が見事にはまった試合だった。結果はもちろん内容的にも高く評価していい。だが、そういう試合になったのには、いくつかの好条件が前提としてあった。
 
 まず、気温22度という気象条件。日本の選手たちは90分間、安心して最後まで走り切ることができた。
 
 そして、それほどテクニックがあるわけでもないのに後方からパスをつなぐことにこだわった、オーストラリア代表のアンジュ・ポステコグルー監督の哲学。日本が前からプレスを掛けると、オーストラリアの選手たちはミスを繰り返した。
 
 さらに前線の柱であるトミ・ユリッチが怪我で先発から外れ、日本キラーのティム・ケイヒルもベンチというオーストラリアの攻撃が迫力を欠いたため、負担のさほど大きくなかった日本の守備陣が、思い切って前線をサポートできたことも勝因のひとつだろう。
 
 しかし、そうした前提条件が覆った最終節のサウジアラビア戦では、「やりたいこと」をやらせてもらえなかった。もちろん高温多湿の気候、長距離移動や休養日の差(サウジアラビアは中6日、日本は中4日)など悪条件が重なっていたので、サウジアラビア戦の結果をそれほど深刻に捉える必要はないだろう。それに、ワールドカップ開催地のロシアでは暑さの心配もない。
 
 とはいえ、本大会で対戦する相手はサウジアラビアよりもさらにテクニックがあるはずで、サイズでも、パワーでも、日本が「個の力」で劣勢に立たされるのは間違いない。だとすれば、やはり「個」ではなく「集団」で戦うべきではないか……。
 
 第二次世界大戦前から、日本のサッカー界はそうした考えのもとに、パスサッカーを志向してきた(当時想定されていた目標は、アジアの強豪だった中国=香港や日本の統治下にあった朝鮮のチームだった)。そして、戦後も韓国に勝つために、さらに世界と伍して戦うために、日本はパスサッカーに磨きをかけてきたのだ。テクニックと敏捷性を武器とする日本の選手は、戦術にも忠実なプレーができる。そんな特長を活かしたサッカーでもあった。
 
 このようなスタイルを、元日本代表監督の岡田武史は「接近・展開・連続」、同じくイビチャ・オシムは「日本サッカーの日本化」という言葉を使って表現した。
 
 だが、パスサッカーを突き詰めて、ある程度の自信を持って挑んだブラジル・ワールドカップで惨敗を喫したことで、その方向性に対する疑問が生じた。そこで、「速い攻めも使えるように」との意向でハビエル・アギーレが招聘され、アギーレの退任を受けてハリルホジッチが日本代表監督に就任したのだ。
 
 ハリルホジッチ監督は、高い位置でボールを奪って速く攻めるサッカーを志向し、「個の戦い」すなわち「デュエル」を強調。ある意味で、それは「日本サッカーの欧州化」だった。
 
 実際、パスサッカー一辺倒で勝てるはずはない。緩急、長短を使い分ける必要はある。また「個の力」を伸ばすことはどんなサッカーを志向するにしても避けて通れない課題だ。
 
 ただ、日本人選手の特性を考えた時、「パスサッカー」という武器は、やはり大事にしなければいけないのではないか。「パスサッカー」をベースにして、そのうえで速いサッカーもできるようにすること。それこそが、目指すべき道であるはずだ。
 
 ハリルホジッチ流の、つまり「個の戦い」を挑むサッカーで世界を相手に勝つのは難しいだろう。だが、論ずべきは「ロシア大会で勝てるかどうか」ではない。
 
「日本サッカーは将来、どのような方向に進んでいくべきなのか?」
 
 ハリルホジッチ以後の監督選びを考える際には、ぜひそうした視点から議論を積み重ねてもらいたい。
 
文:後藤健生(サッカージャーナリスト)
 
※『サッカーダイジェスト』9月28日号(同9月14日発売)「THE JUDGE」より抜粋