7日に行われた朝鮮労働党中央委員会第7期第2回総会(2017年10月8日付労働新聞より)

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北朝鮮は10日、支配政党である朝鮮労働党創建72周年を迎える。7年前の同日に行われた朝鮮労働党創建65周年記念の軍事パレードで、金正恩党委員長の動く姿が初めて確認された。

既に父・金正日総書記の後継者として内定し、北朝鮮国営メディアもその名前を報じていたが、金正恩氏にとって2010年10月10日が表舞台での正式デビューだったといえる。

そして、翌2011年12月には金正日総書記が死去、金正恩時代が始まったわけだが、この6年間は「身内殺しと血の粛清の6年間」だったと言っても過言ではない。

ミンチにして処刑

金正恩時代の粛清政治は、彼が最高指導者になった翌2012年から始まった。7月15日の政治局会議で、父・金正日氏が金正恩氏を支える側近として抜擢した朝鮮人民軍参謀長の李英鎬(リ・ヨンホ)氏が電撃的に解任され、表舞台から消え去った。

この粛清劇については叔父である張成沢(チャン・ソンテク)氏が主導したとの説もあるが、最終的に金正恩氏が決断したのは間違いないだろう。

金正恩氏が主導する粛清政治が本格化するのは、2013年からだ。先述の李氏の粛清を主導したとされている張氏が、北朝鮮メディアで「犬にも劣る人間のゴミ」と罵倒されたうえ、時をおかず処刑された。張氏処刑以後、金正恩氏は北朝鮮史上希にみる恐怖政治をはじめた。暴君へと変化するターニングポイントがこの時だったと言えるだろう。

金正恩氏の恐怖政治の対象は政治家だけにとどまらなかった。2015年3月には、金正恩氏の妻である李雪主(リ・ソルチュ)夫人も一時期在籍していた「銀河水管弦楽団」のメンバーらが銃殺された。北朝鮮での銃殺刑は珍しくないが、メンバーらは凄惨きわまりない殺され方で銃殺されたと伝えられている。

(参考記事:「家族もろとも銃殺」「機関銃で粉々に」…残忍さを増す北朝鮮の粛清現場を衛星画像が確認

同年5月には、玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)人民武力部長が公開銃殺された。この時は人間を文字通り「ミンチ」にする「高射銃」が用いられた。北朝鮮の歴史は、国内の派閥闘争と粛清の歴史だ。しかし、わずか6年間で、ここまで大規模な粛清の嵐が吹き荒れるのはありえなかった。

極めつけは、今年2月に金正恩氏の母親違いの兄である金正男氏が猛毒のVXによって暗殺された事件だ。

金正恩氏の父である金正日氏は、叔父の金英柱(キム・ヨンジュ)氏や母親違いの弟である金平日(キム・ピョンイル)氏との後継者争いに勝利し、最高指導者に登り詰めた。しかし、建国の父である金日成氏の血を引くこの二人を手にかけることはなかった。一方、金正恩氏は金正日氏の長男である金正男氏を暗殺した。北朝鮮の権力闘争史上、はじめて金日成氏の血を引く身内に手をかけるというタブーを犯したのだ。

残忍きわまりない金正恩氏の恐怖政治も2017年に入ってなりを潜めているという説もある。その理由として金正恩体制が磐石になったからという分析もあるが、筆者はそうは思わない。

今のところ金正恩氏は核・ミサイル開発など、対外的な政治に重きを置いている。これがある程度落ち着いた時、必ずや国内統治に関心が向く。その時、またもや金正恩氏の恐怖政治の嵐が吹き荒れるかもしれない。