【コラム】夢の舞台が射程距離に…遅咲きのハードワーカー・倉田秋はロシアを目指す

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 秋本番の冷たい雨が降りしきる6日夜、豊田スタジアムで行われたニュージーランド代表とのキリンチャレンジカップ2017。すでに2018 FIFAワールドカップ ロシアの出場を決め、勢いに乗っているはずの日本代表だったが、思うように相手の堅守を崩せず、ゴールをこじ開けられなかった。後半立ち上がりに大迫勇也(ケルン)のPKで1点を先制し、何とかリードを奪ったが、相手エースのクリス・ウッド(バーンリー)にヘッドを食らい、ドローの危機に瀕した。

 そんなチームを救ったのが、82分から井手口陽介(ガンバ大阪)に代わってピッチに立った倉田秋(G大阪)。乾貴士(エイバル)の左クロスを酒井宏樹(マルセイユ)が折り返した瞬間、ゴール前にポッカリとスペースが生まれたのを背番号7は見逃なかった。彼は思い切り頭を合わせ、値千金の決勝弾を叩き出すことに成功。日本を救うと同時に、強烈アピールをしてみせた。

「『出たら絶対やってやろう』という思いで今日前半からずっと見てたから、ホントにそういう形になって良かった。意外とヘディング、俺、年に1回くらいは取ってるから」と小柄なダイナモは満面の笑みを浮かべた。2015の東アジアカップ・韓国代表戦(武漢)で初キャップを飾ってから2年2カ月。28歳で挙げた代表初ゴールの味は格別だ。「前まで手に届かないというか、『すげぇとこやな』と思っていたワールドカップに行ける可能性出てきた。やっぱ世界でやりたいって思いは強くなってきますね」とも話し、8カ月後に迫ったロシアの大舞台に思いを馳せた。

 大阪府高槻市で生まれ、地元のクラブ・G大阪のアカデミーで育った倉田が表舞台に出るのは早かった。U−14日本代表を皮切りに、10代の頃は年代別代表をコンスタントに駆け上がり、2004年のAFC U−17選手権(藤枝)にも参戦している。この大会の日本は最終予選1次リーグで敗退する憂き目に遭ったが、同じチームに内田篤人(ウニオン・ベルリン)、権田修一(サガン鳥栖)も名を連ねていた。彼ら同様、倉田も将来を嘱望される一人だった。

 だが、2007年にG大阪のトップチームに昇格してから大きな壁に直面する。明神智和(AC長野パルセイロ)、遠藤保仁、橋本英郎、二川孝広(ともに東京ヴェルディ)といった代表経験者の並ぶ豪華な中盤に割って入ることができず、2010年にジェフユナイテッド市原・千葉へのレンタル移籍を強いられたのだ。すでに千葉はJ2に降格しており、倉田自身にとっても初の2部リーグ参戦だったが、「J2で厳しい戦いをしたことがすごく良かった」と本人は述懐する。プロ入り後、初めて1シーズンを戦い抜いた経験は彼を一回り成長させた。

 その活躍が買われて翌年にはJ1のセレッソ大阪へ再レンタルされる。この1年がまた倉田の人生を左右するほど大きかった。当時のレヴィー・クルピ監督は中盤のアップダウンを厭わない倉田を重用。清武弘嗣、キム・ボギョン(柏レイソル)らと2列目を形成することで輝きを増したのだ。ボランチに扇原貴宏(横浜F・マリノス)、山口蛍らロンドン五輪代表コンビが陣取っていたことも、倉田のパフォーマンスを加速させた。結局、この年は33試合10ゴールとキャリアハイの数字をマーク。古巣も彼を呼び戻す決断をした。

 G大阪の下部組織出身者の場合、一旦レンタルに出されても、古巣に戻れるケースはほんの一握りだ。苦労と努力を経て、その高いハードルをクリアした倉田はコンスタントに出場機会を得て、重要な戦力になっていった。2014年にはG大阪の国内3冠の原動力となり、2015年には前述の通り、悲願だった日本代表入りも果たした。

 ただ、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督体制の代表攻撃陣は欧州組がほとんどで、国内一筋の倉田はなかなか定着が叶わなかった。2016年はほぼノーチャンスだったが、そこで諦めないのが泥臭い男の信条だ。2017年に入って一気に存在感を高めた倉田は、最終予選重要局面の3月のUAE代表戦(アルアイン)、6月のイラク代表戦(テヘラン)でジョーカーとして出場。彼の豊富な運動量と献身性が指揮官に高く評価されていることがハッキリした。

「『動きを止めたら倉田じゃない』ってのはいつも言われています。『止まったプレーは絶対にするな』と強く指示されるので、ずっと動き続けるようにしたいですね」と本人も強調したが、そのスタイルが今の日本代表にフィットしているのは明らかだ。

 しかしながら、ロシア行きの懸かった8月31日のオーストラリア代表戦(埼玉)に、残念ながら招集されなかった。

「オーストラリア戦? 家で見てました。一人で(苦笑)。勝って出場が決まったのはホンマ、嬉しかったですね。陽介が活躍したのも喜んだ。ワールドカップを決めてくれましたからね」と倉田は複雑な進境を吐露したが、肝心なのは8カ月後にメンバー23人に滑り込むこと。そのためには、ここから強烈アピールを続けていくしかない。ニュージーランド戦での一撃が大きな一歩になったのは紛れもない事実だ。

 国際Aマッチ152試合という偉大な記録を持つ先輩・遠藤が長年つけていた背番号7は重いだろうが、それを死守すべく、10日のハイチ代表戦(横浜)ではより一層の活躍を見せる必要がある。今回は代表デビュー戦以来のスタメン出場が有力視される。頭からピッチを駆け回り、攻守両面で力強くスイッチを入れる倉田により一層、注目したいところだ。

文=元川悦子