港区在住。遊びつくした男が、40歳で結婚を決意。

妻には、15歳年下で、世間知らずな箱入り娘を選んだ。なにも知らない彼女を「一流の女性」に育てたい。そんな願望もあった。

誰もが羨むリッチで幸せな結婚生活を送り、夫婦関係もうまくいっていたはず…だったのに。

世間を知り尽くして結婚した男と、世間を知らずに結婚してしまった女。

これは港区で実際に起こった、「立場逆転離婚」の物語。

15歳年下の妻・利奈(りな)から、突然離婚を切り出された昌宏(まさひろ)。利奈が2年前の出来事を思い出しているなんて知らず、昌宏はひとまず家を出てホテル暮らしをしていた。




赤坂見附の交差点をタクシーで左折し、青山通りを会社へ向かう。

青々としていた赤坂御用地の木々も、心なしか色づいてきた気がする。

家を出て、もう、一週間。

ホテルからのタクシー通勤に慣れてきた自分が空しくて、僕はため息をついた。

「別居」という形をとれば、利奈が冷静になり、気が変わるかも知れない。

それが希望的憶測に過ぎないことをわかっていながら、妻を問い詰めに家に戻る勇気も持てないまま、一週間が過ぎてしまった。

気が付けば、妻の顔ばかりが浮かんでいた一週間。

こんなにも妻のことを考えているなんて、たぶん結婚以来初めてのことだろう。

そして「妻のことばかり」を考えてみて、僕は「2つのこと」に気が付いた。

まず1つ目は。一緒にいない時の妻が何をしていたのか、ほとんど知らなかったということ。

結婚した当初は、習い事を始めたとか、誰と食事に行ったとか逐一報告してくれていたように思う。

その報告が無くなってどれくらいたったのか、僕にはわからなかった。

僕から尋ねることはあまりなかったので、1年…いやもしかしたら2年以上前から、僕は妻の行動を把握できていなかった。

もう1つは、僕たち夫婦が一度も喧嘩をしたことがない、ということ。

15歳の年の差のせいか、多少の意見の違いはあったとしても、彼女が自分の意見を押し通すことは無く、僕の意見に納得し従うことが多かった。

初めての喧嘩のテーマが「離婚」ってことになるのか…。

そんなことを思いながら、会社から歩いて数分の距離にある「ブルーボトルコーヒー」の前で、僕はタクシーを降りた。

会社の前までタクシーで行かない理由は、ドリップコーヒーをテイクアウトすることともう一つ。

元々自転車で通勤していた僕が、急にタクシー通勤になった訳を、会社のスタッフに勘ぐられたくなかったから。

コーヒーを受け取り歩き出すと、LINEの通知音が鳴った。

妻からかも、と期待して慌てて携帯を取り出したが、差出人のIDは「aiko」。

元恋人の、坂巻藍子からだった。

「今夜の予定は?シンガポールの案件で相談あり」

過去に恋愛関係にあったことなど、微塵も感じさせない、そっけない文章に苦笑する。

藍子は妻と出会う直前に別れた、いわば「結婚前の最後の恋人」だった。

妻とは正反対の、元恋人だ。


自分が思いあがっていただけか?自問自答を始める昌宏。



藍子は、僕と同じ年で仕事仲間として出会った。

仕事で意見がぶつかり合い、激しい口論になることも多かったが、それはお互いのことを認めていたからこそ。

その後、彼女から告白されたことをきっかけに恋人になり1年付き合ったが、結構ひどい別れ方をして、関係は終わった。

その後僕は結婚し、彼女は海外赴任が決まりアメリカへ渡った。

その間一切連絡は取っていなかったのだが、仕事相手として再会したのがおそらく2年程前。

日本に戻ってきたばかりという彼女はまだ独身だったが、お互いにもう過去のことは割り切っていたので、再会後は「何でも相談し合える同志」のような関係に戻った。

それ以来、ビジネスの情報交換のための食事会を開くようになり、月に1度は会っていると思う。

食事会は大人数のこともあったし、二人きりのこともあった。

「大丈夫だよ。21時は?」

僕がLINEを返すと、すぐにまた通知音が。

「OK。じゃあ店は任せた。決めたら連絡して」

了解、という意味のスタンプを送りかえして、思いついた。

そうだ、藍子に妻のことを相談してみよう。

情けなくて、今まで誰にも言えずにいたが、彼女なら口も堅いし、良いアドバイスをくれる気がした。




港区・南青山に僕の会社はある。

大きくは無いが3階建ての自社ビルで、社員は今年の春で300名を超えた。

アメリカのオーガニックスーパーと契約を結んだことをきっかけに、会社を立ち上げたのが15年前。

以来、ヨーロッパ家具や食器の輸入、そして企業や店舗、個人宅のインテリアデザインなど、ざっくり言うと「デザイン」に関するものなら何でも請け負う。

最近話題になった仕事は、美術館内のカフェのコンセプトデザインだ。

「社長、これ!さっき届きました!」

社長室に入ろうとすると、秘書兼広報担当のスタッフに雑誌を手渡された。それは「夫婦で」取材を受けた日本有数のインテリア誌だった。

テーマが「東京都心、夫婦のリビング」ということで、夫婦での写真撮影が必要になった。

妻は嫌がったが「この雑誌にうちの商品が乗れば、売り上げが上がるから!」と広報担当の彼女が拝み倒し、妻は根負けした形になった。

「ほら、これ!リビングの家具紹介がいい感じで、この“ピート・へイン・イーク”のテーブルへの問い合わせが殺到してます。」

ページには、リビングで妻の肩を抱き寄り添う僕。その横には「理想の夫婦の理想の暮らし」の文字。

何が理想の夫婦だよ…

雑誌を投げ捨てそうになる気持ちを抑え、心の中で毒づく。

その「理想の夫婦」の写真をよく見れば、のんきに笑っているのは僕だけで、妻の表情は明らかに固い。

隣でこんな顔をしていたなんて…全く気が付かなかった。

「あなたは、私のことを何も知らない」

家を出たあの日、僕にそう言った妻の声が脳裏によみがえり、妻の視線から逃げるように雑誌を閉じた、その瞬間。

僕の携帯が鳴った。


電話をかけてきたのは、意外な相手。


着信音を聞いて、気を利かせたスタッフが社長室のドアを出ていくタイミングで通話ボタンを押す。

「もしもし?」

「利奈さんの代理人弁護士の斉藤と申します。そちらに内容証明郵便を送らせて頂いたのですが、ご覧になりましたか?」




アンダーズホテル52階の『ルーフトップバー』。

バーの中では、東京で1、2を争う約250mという高さ。そのテラス席から望む夜景は圧巻で、港区生まれ港区育ちの僕でもグッとくるものがある。

「お帰りなさいませ。いつもの通りご用意させて頂いて宜しいでしょうか?」

僕が家を出て、このホテルで暮らし始めて1週間。

どんなに遅く帰ってきても直接部屋に上がる気にはなれず、毎日このバーに立ち寄っていた。

店員が言う「いつもの」とは、シングルモルトのストレート。

「マッカランの18年を1杯飲んで部屋に戻る客」というのが、この店で共有されている僕の情報なのだろう。

だが、今日はここで、藍子を待つことになっている。

ワインリストから「2001年のシャトー・ラトゥール」を選び、頼んだ。

付き合っている頃、藍子が好きだと言っていたことを思い出したのだ。

奮発しすぎたかな、とも思ったが、どうせ今夜は飲まずにはいられない。

注文を受けた店員が一礼し、立ち去るのを確認した後、スーツの胸ポケットから封筒を取り出す。

社長室に届いていた「妻の弁護士」から送られた封筒。その中から書類を取り出す。

そこに書かれていた内容は…予想以上のダメージを僕に与えた。

寝首をかかれるとか、飼い犬に手を噛まれる、とか。

妻をペットに置き換えるつもりはないが、味方に奇襲攻撃を受けたような、そんな例えしか思いつかない。

まさかごの僕が、15歳も年下の妻に振り回され、攻撃される日がくるとは。

数時間前、電話で話した妻の弁護士の言葉を思い出し…僕は途方にくれた。

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