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もくじ

ー 「フラッハバウ」 聞いたことがありますか?
ー 930→964 わずか13%共通 大きな変化
ー 964 無数の派生モデル 全盛時代へ
ー 極めて異端 964フラッハバウのディテール
ー 964フラットノーズ 実際に乗ってみると……

「フラッハバウ」 聞いたことがありますか?

車名を聞いた後の沈黙は重く、文字にならない困惑の空気が辺りを包む。発音のしにくさも、困惑の理由だろうか。ドイツ語に堪能でもなければ「フラッハバウ」となめらかに発音するのは難しく、本当に存在する言葉なのか? とさえ思うかもしれない。

真相はどうであれ、このクルマを目の前にすると、以前のオーナーが自分好みに改造しただけのクルマではないか? とさえ思えてくる。なぜなら、同じクルマが1台として存在しないからだ。

あなたがこのクルマを初めて見るとしたら不思議でも何でもない。この超レアな派生車種は、当時からも積極的には宣伝されていなかったからだ。調べるほどに謎が深まっていくような気がして少し気が遠くなった。

製作はポルシェだが、中身はその最先端技術チーム(現在では特別部として知られている)が手掛けた。その上、ほとんどのフラッハバウは、プレスリリースのインキも乾かないうちに端から完売した。80年代後半に前世代のフラットノーズを買い漁ったロンドンのシティボーイたちでさえ、1台を見つけるのに苦労しただろう。

1993年の段階で、標準仕様の964ターボでさえ、買うのにほぼ£130,000(1700万円)かかった。いわんやここで紹介する仕様でカスタマイズされたクルマとなるとそのほぼ倍額だった。貴族か何かではなければ買えなかったと言ってもいいだろう。今、目の前にあるこの個体の最初のオーナーはブルネイ・ダルサラーム国のスルタン(=元首)であった。

さて、ポルシェ伝説における位置付けについて理解するためには、まず、標準仕様の964がそれまでの911と比べてどれほど斬新だったかを理解する必要がある。

930→964 わずか13%共通 大きな変化

964は、全体としては、930のわずか13%しか共通する部分がなかったのである。

なかでも1989年1月に導入された964のカレラ4は、極めて複雑な959/961のDNAを共有する技術的力作だった。4WDを特色とし、旧型のトーションバーサスペンションを省き、これをマクファーソンストラットとセミトレーリングアームに置き換えた、と言えばわかりやすいだろうか。

したがって、グループBの武器になったシステムを備えてはいなかったものの、928のS4由来であるボッシュのABSと高いグリップ力が自慢だった。パワーステアリングも装備していた。

当時では格段の進歩であり、コーナーで尻を振り、たちまちガードレールに突っ込むという危険が一瞬にして過去のものとなったのだ。それでもポルシェは物足りなかったのだろう。3.6ℓ空冷水平対向6気筒エンジンは、標準仕様でも254psに達していた。

その上、屋根や一部のサイドパネル及びボンネットを除いたボディは一新され、それまでのテールライトは左右にひと続きになり、リアウイングは80km/hを超えると展開。80km/h以下ではエンジンカバーと一体になる格納式電動スポイラーを搭載した。

930を見慣れていると、964のボディは、それぞれのパネルがなめらかに接続されている印象だ。それだけではない。テーマの変更に伴って、ディテールの変更点も無数に存在するのである。

964 無数の派生モデル 全盛時代へ

ポルシェは1989年10月にRRのカレラ2をクーペ、タルガ、そしてカブリオレの構成で提供し始めた。1990年1月にティプトロニックと呼ばれた自動変速機が装備され、その2カ月後には(930エンジンを搭載した)3.3ℓターボを導入した。

さらに混乱を引き起こしたのは、1991年8月からのカレラ2クーペとカブリオレモデルのオプションとして、駆動方式はそのままにターボ風の外観であるターボルックが選べるようになってからだ。

また、1993年2月に発売された派生車種、スピードスターの存在も忘れてはならない。もちろん、1992年10月の再発売に間に合わせて3.6ℓエンジンを搭載したターボ車も重要だ。これに続いてターボS、楽しさが尽きないカレラRS、そして驚異的なカレラRS 3.8などが続々と登場した。

当時は、まるで毎週のように旧モデルが退場するのと入れ替わりに新型モデルが登場するような感覚だった。むろん一部の限定版モデルは登場と同時に即完売。カゲロウのように儚く消えていった。

そんなアプローチは、ポルシェの愛好家にはわかりやすいとしても、一般大衆には不可解だったようで、あらゆる派生車種を投入したにもかかわらず、トータルでは後継の993ほども売れなかったのだ。

ポルシェの現在の活況を見ていると、4半世紀前のポルシェの業績不振を忘れそうになるが、当時、ポルシェの業績は厳しく、同じ基本設計の派生モデルを際限なく生産するというビジネスモデルを堅持するしかなかったのも頷ける。こうした業績不振は他メーカーも同じ。当時、多くのライバルメーカーが倒産しているという悲しい過去もある。

およそ6万2172台生産された964は、クラシックな911と1990年代半ば以降のハイテクモデルとを橋渡しする役割を担ったのだった。

964フラッハバウの話に戻ろう。

極めて異端 964フラッハバウのディテール

この種のクルマによくあることだが、超あいまいな血統に関しては一定の混乱がつきまとう。全てのフラットノーズ車が、フラットノーズを備えているとは限らないから、という理由もあるだろう。

また、日本市場向けの10台のX83は旧来のポップアップヘッドライトとサイドストレークを備える一方、日本以外の地域向けの27台のX84版は見慣れた968風フリップアップユニットを備え、米国市場向けの39台のX85版のライトも同様であった。

ところが、混乱に拍車をかけるように、米国には、さらにヘッドライトの処理を除く全ての物理的変更を加えた17台の非フラットノーズ「パッケージ」というモデルが輸出されることになっていた。

ボディのこうした改造は、新しいフロントスポイラーと959と同様のエアインテークを備えたリアウィングに及んだ。パーツの一部はテックアート社が製作。特にキャビンの処理など、全く同じクルマはふたつと存在しない。希望するスピーカーから電動シートアジャスター、上部彩色のフロントガラス、それ以外にも多くの装備を指定することができた。51人の投機家が今回のクルマと同じX88 3.6ℓのターボSエンジンを選択し、メーカーが公式に、ヘッドのリワーク、インレットマニホールドの修正、オイルクーラーの追加、そして4本マフラーなどのカスタマイズを加えたという記録が残っている。

このページの主役の場合、ほぼ全てのオプションが指定されているが、最初のオーナーを考えればそれほど驚きではない。ロンドンの金融街に佇むこのクルマは、23年後の今でも場違いには見えない。洗練された18インチのカレラカップアロイホイールを履いたメタリックブラックのボディは異様なオーラを放っている。

詩的な素晴らしさというよりも、比較的なじみのあるひねりを加えた快適さが同居している。前世代のフラットノーズほど激しく周囲の目を引かず、控えめでさえある。特別なクルマであることは感じ取れるものの、正確にどこが変更されており、特別であるかを特定するには少し時間がかかる。

まるで最初からそう設計されたようだ。そのスタイリングにはどちらかといえば965の面影を見る。しかしながら、誰もが、正体がわからないまでも、このクルマを畏敬の目で見ているようにも感じられた。

一方のインテリアは見慣れたポルシェとそう変わらない。

964フラットノーズ 実際に乗ってみると……

着座位置は比較的高く、ボディの隅々まで見渡すことができる。ダッシュボードや計器の配置も他のポルシェとそう変わらない。革張りのシートはとても快適で、体がむやみに挟まれるような感じはなく、ほどよく包み込まれる感覚だ。

低速では全く怖さを感じない。アクセルが敏感過ぎるということもない。他のクルマの経験をもとに言えば、ターボ車は、一般に4000rpmに近づくまでターボがあまり効かない。

一方このクルマでは、4000rpm付近に達した後も水平対向6気筒エンジンのレスポンスが瞬時であり出力特性がリニアなため、フィーリングは自然吸気エンジンに驚くほど近い。ターボエンジンであることを思い出させるのはタービン音のみ。音楽的とまでは言えないものの、特徴的な音色だと思う。

とてもよく走るクルマであり、加速はまるで弾道弾のよう(0-97km/h加速はおよそ4.7秒)。極めて扁平率の小さいタイヤを履いているにもかかわらず、乗り心地も悪くない。速度規制用のバンプを楽に越えていくことさえできる。

ギアチェンジをする際に手元に伝わる感触は少し硬く、カチリとした手応えである。これは他のポルシェも同じ。その一方で、ステアリングは軽いが、かえってこれが気持ちよい。大渋滞でもそれほど不安を感じることはない。クラッチは、徐行しても膝腱に負担がかかるほど重くなく、変な音もしない。「針が跳ね上がる」のを恐れ、計器の針を常時見張る必要もない。

唯一の弱点は、目の飛び出る価格だ。しかし新車購入時以来、966kmしか走行しておらず、これほど新車同様の964フラッハバウを目にすることは、後にも先にもないだろう。

ちょっとした「スペシャル」シリーズは、たいていそれなりに魅力的なものの、その価値は永続しないことが少なからずある。けれど、特にこの964フラッハバウは、オーダーメイドの分だけ魅力が増している。

フラットノーズを備えた極めて希少なポルシェ。誰が夢中にならずにいられようか。