鶴瓶的な生き方に学ぶ

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ここ30年ほど、テレビに出ている顔ぶれは変わらないと言われています。もちろん新人は現れているのですが一定のペースで消えて、これまで出続けていた人がまたテレビに映っています。その中でも、一貫して露出を続けているのが笑福亭鶴瓶でしょう。

気づけばそこにいる存在

当たり前にいる存在でありながら、前にでしゃばるわけではなく、それでもテレビに出続けている笑福亭鶴瓶とは何者なのか、その存在に迫ったものが戸部田誠(てれびのスキマ) による『笑福亭鶴瓶論』(新潮新書) です。著者はもともとバラエティ番組を偏愛するブロガーとして知られ、現在では多くの芸能関係の著作を持つ戸部田誠です。

鶴瓶的なポジション

笑福亭鶴瓶的なるものとは果たして一体どのようなものなのでしょうか。例えば『笑っていいとも!』(フジテレビ系)が32年の歴史に幕を降ろす時、レギュラーでもない曜日に乱入して「いいともが終わるって本当か」と尋ねたのは笑福亭鶴瓶でした。これは乱入を装いつつも入念なリハーサルを重ねていたようです。国民的番組である「いいとも」の終わりが告げられる瞬間に立ち会う、そうしたポジションこそ笑福亭鶴瓶であったといえるでしょう。テレビに欠かせない存在が鶴瓶なのです。

生い立ちから迫る

本書ではテレビタレントとしての笑福亭鶴瓶ばかりではありません。落語家としてはもちろん、上岡龍太郎、明石家さんま、中村勘三郎らほかの芸能人たちとの交流などがていねいに描かれています。著者はインタビューの記事や、書籍資料、エッセイなどを駆使しながら、刹那的に消費されてゆくテレビ業界や芸能界を、ひとつの筋として浮き上がらせることに長けた書き手です。本書でもてれびのスキマ節がきっちりと組み込まれているといえるでしょう。誰もが知っているはずの笑福亭鶴瓶の、誰も知らない話がここには描かれています。