人妻が恋するのは、罪なのか。

裕福で安定した生活を手に入れ、良き夫に恵まれ、幸せな妻であるはずだった菜月。

結婚後に出会った彼は、運命の男か、それとも...?

人妻の菜月は、独身の達也と出会い、恋に堕ちてしまう。それを知った達也の恋人・あゆみは菜月の職場に乗り込み修羅場と化し、さらに夫にまで浮気を知られてしまうが、二人はめげずに愛を誓った。




「菜月さんと離れるなんて、絶対に嫌だ」

バルコニーを照らす日差しが少しずつ傾いていく空を眺めながら、菜月の胸は、彼の声に合わせて静かに高鳴る。

「一緒にいられる方法を考えようよ」

達也が強く言ったとき、これまでのどん底のような痛みとはうってかわり、甘い感情が全身に広がった。

悲観的だった菜月とは対照的に、彼はずっと情熱的で、勇敢だったのだ。

「本当に?私、達也くんと一緒にいられるの?」

彼の提案は、とても簡単なことのようにも、ひどく難しいことのようにも思える。

これほど他人を巻き込み、今まで積み上げた生活を失うリスクを背負ってまでも、この狂おしく不安定な恋を貫こうというのだろうか。

これ以上の泥沼に足を踏み入れる覚悟が、本当にあるのだろうか。

しかし、気づけば菜月は、夢中で身支度を整えていた。

この数日、ろくに手入れもしていなかった顔に丁寧に化粧を施し、赤味の強い口紅をひく。家を出るときには、強めのコロンを全身にふりかけた。

もう、どうなってもいい。

達也と一緒にいられるなら、どんな困難も、きっと乗り越えられる。

菜月は抗えない強い衝動に駆られ、達也のもとに向かった。


劇的な再会を果たした二人は、ますます盲目になるが...?


愛しさの影に潜む、不穏な気配


久しぶりの再会で二人が直面したのは、堰をきったような激しい感情だった。

背徳感ゆえなのか、それとも、正真正銘の運命的な相性ゆえなのか。もはや判断はつかないが、少なくとも、お互いを切に求め合う気持ちに嘘はない。

「あの子、達也くんと婚約してるって言ってたわ」

失った体力を回復するように、ぐったりと深い呼吸を繰り返していた菜月が、突然小さく呟いた。

黒目がちの瞳が、じっと達也を見上げている。

その少し拗ねたような口調と表情がたまらなく愛しく、自分の腕の中にすっぽりと収まった華奢な身体をさらに強く抱き締めた。

「本当に、そんな関係じゃないよ。それに、もう彼女とはちゃんと終わらせたから」

これは事実だった。

あゆみが結婚をもくろんでいるのは薄々気づいていたが、その気は一切なかったし、そんな話に触れたこともない。

あの事件のあと、彼女は嫌がる達也にしばらく付きまとったが、面倒になり無反応を決め込むと、「本当に私に興味がないのね」と、意外にも大人しく去って行った。

それから数週間、音沙汰はない。




「他の女に指一本触れないって、約束したのに」

「触れてないよ、本当だよ」

できるだけ真摯に優しく囁いたが、菜月は不満気な表情のまま、達也の汗ばんだ背中に爪を立てた。そのチクリとした痛みすら、今は愛おしくて仕方がない。

「迷惑かけて、本当にごめん。でも、菜月さんとこんなことしてたら、他の女なんて目に入らないよ」

この歯の浮くようなセリフも、本心だった。

実際、菜月と逢瀬を重ねるようになってから、これまでの女性関係はどれも味気なく思えたし、今日も一刻も早く彼女に会いたいために、仕事すら中途半端に投げ出して帰宅してしまったのだ。

「次からは、絶対許さないから」

菜月はそう言って達也の肌に軽く噛みつくと、今度は無邪気な笑顔を見せた。

女性というのは、短期間でこれほど変わる生き物なのだろうか。

どこか遠慮がちで、いつも何かに怯えるように瞳を揺らしていた儚い彼女とは、まるで別人のようだ。

度重なる修羅場で何かが吹っ切れたのか、今日の菜月からは、一皮剥けた強い意志のようなものを感じる。

そして、真面目な人妻をこんな風に変えてしまったのは自分なのだと思うと、顔も知らない夫への優越感で男のプライドをくすぐられると同時に、空恐ろしいような感情もチラついた。

「私、あの人とはもう別れる」

だが、ここで少しでも怯んだ態度など見せようものなら、自分はただの人でなしだ。

「...うん、俺と一緒になろう」

達也は愛しさの影に潜む不安を掻き消すように、柔らかな菜月の身体をもう一度強く抱いた。


離婚を切り出す菜月に、夫の反応は...?


すべてを捨て、単なる“浮気”でないと証明したい


―離婚して、達也くんと一緒になるー

このシンプルな目標を設定してしまうと、菜月の葛藤や心細さは一気に消えた。

問題は、妻の不貞に妙な冷静さと理解を示す夫の宗一に、どう合意してもらうかだ。

よくよく考えてみれば、菜月が達也に溺れたことに関して、彼には特に落ち度がない。

賢く物静かな宗一はもともと結婚向きの男という印象が強かったが、実際に良き夫だった。

経済力はもちろんだが、彼はそれを鼻にかけることはなく、主婦業にも尊敬の念を示すことを忘れなかった。それに、適度な自由だって与えてくれていた。

そもそも、達也と出会う前まで、菜月は夫を愛していたと思う。

妻として夫以外の男を愛する選択肢は当然なかったわけだし、恋人時代の激しさは失っていたものの、決して夫婦不仲というわけでもなかった。

でも、だからこそ、達也への思いは本物なのだと胸を張って言える。

自分はよくありがちな欲求不満の人妻ではなかったし、自ら刺激を求めて外の世界を彷徨っていたわけでもない。

悪いのはもちろん菜月であり、宗一には心から申し訳なく思っているが、他の男に完全に心奪われてしまった今、このまま夫婦を続けるのはどう考えても不可能なのだ。

そして達也との愛を証明するためには、すべてを捨て、離婚する以外に方法はない。




「宗一さん、話があるの。あなたには感謝してるけど、私、こんな生活を続けるのはやっぱり無理なの。これからのこと、相談させてくれませんか...」

夕食の席で、菜月は思い切ってハッキリと告げた。

ダイニングテーブルには、デパートの総菜が並んでいる。もう、夫に手の込んだ料理を作る気力もない。

「...分かってないね。菜月は、本当に甘いな」

溜息をつきながらも、夫はいつものように温厚な笑みを浮かべている。

「ほら、またこんなモノがポストに入ってたよ。気づかなかったの?君は、その男に遊ばれてるんだよ。こんなことをする人間が彼サイドにいるんだからね」

宗一は、数枚の写真を静かにテーブルに並べた。

そこには、肩を抱き合う男女の姿がくっきりと写っている。見覚えのある風景は、間違いなく達也のマンションのエントランスだ。

「君は今、一時的に頭がのぼせてるだけだよ。これ以上馬鹿な行動はしない方がいい」

細心の注意を払っていたつもりだったのに、またあの女が、自分たちの跡をつけて嫌がらせを企んでいたのだろうか。

「僕だってね、大事な妻にちょっかいを出されて、いつまでも穏やかでいる気はないよ。君のことは僕が守るけど、彼は日系企業のサラリーマンだろ?こんな写真が出回ったら、どうなるか分かってるのかな...」

夫の言葉が、刃物のように胸に突き刺さる。

―どうして、みんな邪魔するのよ...?

ただ、愛する人と一緒にいたいだけなのに。

こんな言葉をぐっと我慢しながら、菜月は今にも気が狂いそうになるのを必死に耐えた。

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盲目な恋に溺れる菜月。冷静だった夫の反撃が、とうとう始まる...?!