【インタビュー】元韓国代表チェ・ヨンス「日本でのプレーが僕の人生を変えた」

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インタビュー・文=大林洋平

 崔 龍洙(チェ・ヨンス)――。その名を聞いて、1998年フランス・ワールドカップのアジア最終予選をはじめ常に日本代表の前に立ちはだかった韓国代表の大エースと言えば、すぐに思い出すミドル世代以上のファンも多いのではなかろうか。

 近年では韓国・Kリーグの雄・FCソウルを率いた青年監督としてもアジアに名を轟かせており、いまのファンにも馴染みのある名前だろう。

 その往年の名FWが、現役時代に所属していたジェフユナイテッド市原・千葉の『スタートトゥデイ(ZOZOTOWN) Presents ジェフユナイテッド市原・千葉レジェンドマッチ』(7日、午後0時半キックオフ)に出場するため、来日中。日本での思い出や監督としての考え方、そして一部報道で取り沙汰されたJクラブ監督への就任話など、鬼気迫るピッチでの表情とは打って変わり、穏やかかつ紳士然と答えてくれた。

◆日本でプレーした5年間は人生が変わるきっかけになりました

――現役時代、Jリーグで2001年から5年間プレーされました。最初の3年間在籍したジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)の思い出を聞かせてください。

崔 私が加入した3年間はチームが新しく作られていたときで、(イビチャ・)オシムさんら偉大な監督と一緒に仕事をしたことが良い思い出の一つです。

――その3年間はジェフの長い歴史の中でも好成績を残しました。

崔 冷静に見ると、チームの実力は真ん中かそれよりも下だったと思います。ただ、真剣に練習に臨んで、みんな監督から“習う”という気持ちでやっていました。完成されていないチームが一つになり、みんなでチームスピリットを作り出して、勝利を目指していました。

――2003年には後に日本代表監督となるイビチャ・オシム氏からも指導を受けました。

崔 オシムさんはいつも色々な選手を組み合わせて先発を選んでいました。計画を立て、勝つためにチームに身内の雰囲気を作り、ときには厳しく、ときには優しく指導していたことが印象に残っています。

――オシム氏らしい、いい意味で皮肉めいた言葉を受けたこともあるのでは?

崔 オシムさんは選手への期待値が高かったので、満足できなかったかもしれません。でも選手たちは勝利のために一生懸命頑張っていました。ときには否定的な話もありましたが、それは我慢しながらゲームに臨んでいましたし、コミュニケーションは積極的に取るようにしていました。目標は同じですから自分の考えをはっきりと発言しなければならないし、発言をしないとチームは一つになりません。指導者になってからも、表現の仕方が大事だと考えて、気を付けて発言しています。

――当時のチームメートとの思い出もたくさんあると思います。

崔 ジェフに入団した1年目、ケガをしてつらい時期もありました。今だから言えますが、何人かのチームメイトとお酒を飲みに言ったことがあるんですよ。私は焼酎を7杯くらい飲んだのですが、それを見て、みんなは「酒が強い!」と驚いていた。韓国ではそれくらい飲むのが当たり前なので、驚いたのはむしろ私のほうです(笑)。当時のジェフでは試合に勝っても負けてもみんなでご飯を一緒に食べに行くことが多く、それによって信頼関係が構築されていった覚えがあります。その信頼関係があったからこそ、試合ではチームのことを考え、仲間のために走ることができたのだと思います。

――いい時間だったのですね。

崔 もちろん。千葉で3年、日本では計5年プレーしましたが、人生が変わる大きなきっかけとなりました。ただ、私はサッカー人生の36年間、一度も休んだことがありません。だからいまは自分の人生を振り返る休息時間となっていますし、リカバリーをする時間でもあり、家族と一緒に過ごす時間にもなっています。

◆山口さんのループシュートは本当にすごかった

――韓国代表としても大エースとして君臨し、69試合27得点という輝かしい経歴をお持ちです。特に両国で盛り上がる韓日戦で最も記憶に残る試合はありますか。

崔 東京・国立競技場での1997年(9月)のフランスW杯最終予選ですね。ものすごい雰囲気でした。2-1で逆転したゲームでしたが、山口(素弘)さんのループシュートは本当にすごかった。

――ヨンスさんはそのゲームでアシストをして活躍しました。

崔 頭と足で2点ともアシストしました。もっとも、チームとして勝利したことが何より心に残っています。先制されてしまってからは「本当に負けたくない」という気持ちを前面に出すことができたし、強い犠牲心を発揮してプレーしました。サッカーで最も大事なのはメンタルです。私の趣味の一つであるゴルフと同じように(笑)。

――成功体験を繰り返してきたと思いますが、逆に後悔していることはありますか?

崔 2002年の日韓W杯にはつらい思い出があります。大会直前に行われたフランスとの練習試合、私は「アピールしなければ」という思いが強すぎて結果を残せず、大会を通じて何もできずに終わってしまいました。もちろん、チームとしては結果を残すことができたので、国民のために戦い、チームの一員としてその舞台にいられたことはものすごくうれしかったです。悔しい思いもありましたが、時間が経つにつれ、代表の一員として参加できたことは光栄だと思えるようになりました。

――では、ストライカーに必要な要素について教えてください。

崔 私の場合、私が優れたストライカーだったというより、私のチームメイトが優れていたからこそたくさんの点を取ることができたと思っています。私は一生懸命練習したし、点を取る技術を自分のモノにするために頑張りました。優れたFWになるには仲間の動きや判断を理解しなければなりません。ただ、ゴールを取るためには欲張りでないといけないとは思います。

――“我”を出すことも大切であると。

崔 そのようなイメージトレーニングもしていましたね(笑)。

◆14年ぶりにサポーターの前に……本当にドキドキしています

――では監督業についてお聞きします。いつから監督を志されたのでしょうか。

崔 (現役最後の2006年、FCソウルでの)プレーイングマネージャーのときに監督を志しました。コーチを5年、監督は7年やりましたが、5年間のコーチ時代は常に「監督になるために何をすべきか」を考え、監督になるための準備をしていました。コーチ時代は我慢する時間でした。監督には気を付けて発言しなければならないし、監督の指示どおりに動きながらも、頭の中では「自分がどういうサッカーをしたいのか」を考えていました。

――監督業の魅力を教えてください。

崔 大きなストレスを受ける仕事だと思っていますし、競争も激しいです。自分についていろいろな話が選手に伝わることもある。監督としてはそれをコントロールし、選手の立場も考えて対話をしながら信頼関係を作ると、そこに愛が生まれます。選手のために私が存在するということを伝えていますし、選手には私を信じてもらわなければなりません。

――その中でオシム氏のサッカー哲学を生かしていることはありますか。

崔 全く一緒ではいけません。オシムさんはとにかく厳しい監督というイメージでしたが、私はもう少し柔軟性を持って、選手の“兄貴分的”に対話することを心掛けています。

――FCソウルでの監督初年度の2012年にKリーグで優勝し、すぐに結果を出しました。

崔 いいフロント、いいコーチングスタッフと出会ったことが結果につながった秘訣です。指導者は結果を出すために存在するし、内容が良くても結果を出さなければ、何も残りません。結果が出れば、ファンも増えるし、選手もビッグクラブに移籍することもできます。良い内容の試合は年間で5試合ぐらい。だから勝たなければならないのです。

――ACL(AFCチャンピオンズリーグ)で準優勝した2013年にはアジア最優秀監督にも選ばれました。

崔 運が良かっただけですよ(笑)。正直なところ、受賞するべきではないとも考えていたのです。やはりACLで優勝した監督が受賞するべきものであると思いますから。

――これまでACLで多くのJクラブと対戦されてきましたが、Jリーグをどう見てますか。

崔 クリエイティブな選手が多いし、技術も高い。以前と比べれば、メンタリティの強さが見えるプレーも多くなったし、球際も強いです。個性やチームの強みを出すサッカーをしている点にも好感を覚えますね。

――今後については?

崔 それについて話すのは、もう少し先のことになりそうです。次のチームを選ぶことは私の人生の中でも大事なことだと考えています。だから、そのチームの地域文化も理解しなければなりません。焦って、次の仕事を決めようという考えは全くありません。

――では、千葉のレジェンドマッチへの意気込みを聞かせてください。

崔 14年ぶりにジェフのサポーターの前に立つので、本当にドキドキしています。在籍した3年間、熱量のある応援をしてくれた声がまだ耳に残っていますし、感謝をしています。このような舞台を用意してくれたジェフの皆さんにも感謝しています。以前とは違うプレーを見せるかもしれませんが、頑張りますよ(笑)。

――現役時代、ホットラインを結んでいた村井慎二氏も出場しますね。左サイドのクロスからの得点も期待しています。

崔 ぜひハットトリックしたいですね(笑)。そうそう、ユニフォームのデザインも素晴らしい。とにかく楽しみにしています。