【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】カタルーニャ独立とバルサ(前編)

 空っぽのカンプノウに、ボールの音だけが虚しく響く──。スペイン・カタルーニャ自治州で独立の是非を問う住民投票が実施された日曜日、FCバルセロナがラス・パルマスを本拠に迎えた試合は無観客で行なわれた。治安部隊による投票妨害で市民に多数の負傷者が出たことに対するバルサの抗議の表れだったが、同時にこのクラブの計り知れない存在の大きさを示す光景でもあった。カタルーニャの人々にとって、バルサとは何なのか。


無観客で行なわれたバルセロナ対ラス・パルマス戦でプレーするリオネル・メッシ(photo by Getty Images)

「投票しないという選択肢はない」

 FCバルセロナの主将と監督を務めたジョゼップ・グアルディオラ(現マンチェスター・シティ監督)は、6月にバルセロナで行なわれたデモに加わり、約4万人の参加者を前にこう宣言した。

 世界で最も人気のあるスポーツチームのひとつであり、スペイン・カタルーニャ自治州を代表する組織ともいえるFCバルセロナは、カタルーニャ独立の是非を問う10月1日の住民投票の実施を支持すると明らかにしていた。

 カタルーニャの人々が独立を選ぶかどうかについては中立な立場をとると、バルサは明言した。だがグアルディオラと同じく、バルサも1点だけ強く主張していたことがある。

 それは、カタルーニャの人々には投票する権利があるということ。マドリードの中央政府は、この住民投票を「違憲」としていた。

 もしカタルーニャが独立を達成したなら、バルサが及ぼした影響力は非常に大きなものになるはずだ。

 FCバルセロナは1899年に創設されて以来、「カタルーニャにはスペインとは別のアイデンティティーがある」とするカタルーニャ主義の象徴だった。作家のマヌエル・バスケス・モンタルバンはバルサを「カタルーニャの武装していない軍隊」と呼んだ。

 1919年から、バルサは自治権を求めるカタルーニャの主張に何度も支持を表明した。1920年代には、スペインの独裁者ミゲル・プリモ・デ・リベラに反対するデモで、カタルーニャの人々がバルサの青と赤の旗を振った。
 
 1960年代後半、フランシスコ・フランコ将軍の独裁に陰りが見えはじめると、バルサの本拠カンプノウでは、政府に禁止されていたカタルーニャの旗が掲げられ、カタルーニャ語も聞かれるようになった。そしてバルサが象徴するカタルーニャ主義は、フランコ亡き後のスペインで、過去40年余りにわたって力を持ちつづけた。

 バルサの理事の大半は、バルセロナに住む裕福なカタルーニャ人から選ばれる。理事会はたいてい、カタルーニャ語で行なわれている(多国籍な選手が使うロッカールームの共通語はスペイン語だが)。

 こうしたカタルーニャ的な伝統があるからこそ、バルサはクラブのスローガンでもある「メス・ケ・ウン・クルブ(フットボールクラブ以上の存在)」でいられる。

 バルサがカタルーニャ主義の非常に影響力のある象徴になったことから、多くのカタルーニャ人は、自分たちが持っていない国家の「代理組織」のような存在としてバルサをサポートしている。そう考えれば、バルサがファンの気持ちをこれだけ熱くするのも納得がいく。

 言ってしまえばバルサは、ヨーロッパの中規模の国にある第2の都市を本拠とするクラブでしかない。2005〜06年シーズンのチャンピオンズリーグ制覇に始まる黄金期を迎えるまでは、ヨーロッパ王者になったことも1度しかなかった。それでもバルサは、ヨーロッパ最大のスタジアムをほぼ常に満員にしてきた(カンプノウの現在の収容人員は9万9354人)。

 アメリカの経済誌フォーブスと、ソーシャルメディアやデジタルメディアでのスポンサー活動の価値について調査する米フーキット社による昨年の試算によれば、バルサのソーシャルメディア上のフォロワーは1億4500万人に及んでいた。それは地球上のどのスポーツチームよりも多く、アメリカンフットボールのNFL全チームの合計を上回る。
(つづく)

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