育児とチート ――なんて厄介な世の中だ

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じつはこのところ、うんざりしている。

それは、小学生の子を持つ親に対しての進路指南記事あれこれ……いや、記事だけということではない。ネットで目にする文字類全部を含めておこう。

時代が違うというのは重々承知なのだが、私の思い描いていた小学生の子育ては、あまりにアウト・オブ・デイトだということを、これでもかと世間から示されていることに、なのだ。


■“昭和の子”として生きて


筆者は東京都23区城北地区の公立小中高を卒業した。
お世辞にも裕福とはいえない、大家さんの物置を改築した家に生まれ育ったが、「これやりたい!」と勝手に決めてきてしまった習い事をいくつもさせてもらった。

学習塾への通塾の必要性は、本人も家族も感じたことはなかった。
小学校のテストでは、100点を取れなかったと泣いて、同級生から総スカンを食らったことがある。

中学時代。
髪の毛を染め、スカート丈が短くなり、夜出歩くようになったが、学年トップから陥落することはあまりなかった。

テストの成績がいいと、不思議と素行不良を先生から注意されないことも覚えた。
どうしても芝居をやりたくて、信頼している先輩のいる高校に進学する。入試の点は上位10番以内だったときかされた。

私の人生の中心は今でも高校時代にあるような気がしている。
あんなに楽しく、自由で、変な人ばっかりだった場所もそうそうない。そんな環境だから自分が多少変でも気にならない。自分たちで得る自由とは何か。そのことについて考え続けた3年間、偏差値はおそろしく落ちた。

「私はファッションの道に進もう」。

大学の推薦を断って専門学校に進学するも、2年で中退。

「同じことやるのに、学校に行ったらお金払わなきゃいけないけど、自分で服作って売ったらお金がもらえるんだよ!」

短絡的な理由で学校をやめたことを、最後まで父親は反対していた。
高校中退→定時制入学→大学入学→中退して専門学校、と、“中退のプロ”である父親は、自分の反省をもとに娘を諭したかったに違いないのだが、おそらく失敗したのだろう。

その娘は今、ファッションでもなんでもない職業を非正規雇用者としてこなしながら、ここにいる。

■「学校」ってなんだ


小1の長男がひらがなのテストで46点中の5点を取ってきたとき、“小学校のテストというのは普通に学校に行っていれば満点がもれなく取れる”と思っていた筆者は大変なショックをうけた。

しかし、本当に危機感をあおったのは「全員合格するまでテストを続ける」という担任の言葉だ。

自分の子どもに「僕はできない子だ」という劣等感を持たせてはならない。そういった劣等感にさいなまれた同級生を何人も見てきたからだ。

ここで今、私にできそうなことは何か。

1.テストの合格基準を聞いてそこに照準を合わせた指導をする
2.字をていねいに書けない原因を探る

1.については担任への問い合わせであっさり解決した。逆にいうと、聞かないと出てこないということだ。2.についてはわかっていた。眠気である。

基礎体力のない長男は慣れない小学校生活にまだ体が追いついていなかった。
21時をすぎると眠気でとたんに粗暴になる。学童は友だちと遊んでしまって宿題をやらないこともわかったので、17時から20時までの3時間に食事、お風呂、宿題の3工程をすべて終わらせ、ごほうびとしてテレビを見るゆとりまで与えるというミッションが親には課せられた。

……実際のオペレーションは祖父母だったのだが。

宿題の様子を写真で撮って送ってもらい、私が「何番目の字をこう直して」と赤ペン先生のように返す。それでもグダグダでやらない日はあり、そういうときは21時過ぎに帰宅した私が鬼軍曹となって戦わねばならないこともあった。泣きながら宿題をやってなんになるのかと、こちらも思いながら。

親がやる気になってからのテストの点はみるみるあがっていった。

筆者は理解した。
この(区立)小学校は、基本軸が家庭学習であり、学校とはその成果発表の場であると……。「じゃあ、学校の意味ってなんなのさ!」と思ったが、実際がそうなのだから仕方がないのだろう。

学校生活での必勝ルートを親が調べて、先回りして学習させてナンボだ。
方針が決まったらやることはひとつ。教材探しだ。

■子どものタイプを見極めろ


ちょうど夏休みにならんとしているころだった。
学校から配布された夏休みのドリルを最初の数日で終わらせてしまい、完全に暇をもてあましていた長男に追加のドリルを探すことにした。

そんな中で、“教科書の内容に沿った問題が出るドリル”というのを発見する。自分の使っている出版社のものを選ぶと、教科書の内容から出題されるというものだ。ためしにひとつ買って帰ることにした。

本人に見せると、先のほうのページをパラパラとめくり、「ここ、やってない!」と怒っている。

そりゃそうである。教科書のまだ半分も終わっていないのだから。

「やってないからやらない」。

幼いころは場所見知りが激しいタイプだった長男、既知のものに対する安心感と未知の物に対する過剰な不安感があるようで、予習がむかないタイプと判断した。

しかしその数日後、漢字の勉強をしたいと言ってきた。学校ではやっとひらがなが終わったばかりというころだ。

「○○ちゃん、漢字ドリル持ってきてるの。いっしょにやりたい」

仲良しの友だちが学童で漢字の勉強をしているという。
学校の教材のコピーを取って渡すと、毎日1ページずつ書いてきた。字が汚かったが、ひらがなのときのことがあったのでとにかく褒め、やる気を持続させるように努めた。

ひらがなとカタカナのプリントも渡してはいたが、そちらはいっこうにやってこなかった。漢字をすでに学んでいる彼女に、「まだひらがなとかカタカナを書いてる」と思われるのがイヤだったのだろう。

“異性の友だち”の前で、親は無力だ。

■“コソ練”に投資する


体操の家庭教師というサービスがあり、たまに利用している。
保育園の運動会では器械体操があったので、鉄棒の練習やマット運動、跳び箱など。同じところがかけっこ教室も開催していたのでそちらも何度か参加した。料金は都度払いで1,500〜2,000円といったところだ。

「できないのはいや、でもみんなの前で練習したくない」というめんどくさい性格の長男にはもってこいの“コソ練サービス”である。

今年も運動会直前にフォーム調整を目的に申し込んでいたのだが、その直後、実は選抜リレーの選手に選ばれていたことを担任から知らされる。

さぞかし喜んでいるかと思いきや、そうでもない。

「なんで俺、リレーの選手に選ばれたんだろう……」

あるときそんなことを言い出したので、突っ込んで聞いてみることにした。

「クラスに4人いる中で遅いほうだからさー」

≪……これは、プレッシャーだな?≫

そんなタイミングでかけっこ教室が行われた。
来るのはもちろん、現在早く走れずにいて、コツを知りたい子どもたちである。ウォーミングアップし、フォームを確認したのち、何本も走るのだが、高学年と当たっても長男が圧倒的に速いのだ。

ゴールをするたびにこちらに向かってピースサインをする長男。帰り道はご機嫌で、いかに自分の足が速かったかを延々と喋り続けていたのだった。

かけっこ教室にはこのような使い道も、たぶんある。

■育児とチート


筆者が行っている行為は、ソーシャルゲームでいうところの“課金”である。
『ポケモンGO』で「できるだけノー課金で行きたいけれど、孵化装置だけには課金して効率的にゲームを進める」。そんなノリに近い。

育児という視点でいうならば、これは一種のチートなのだろう。
しかし、育児とチートはいつも背中合わせの存在である気もしている。

たとえば、なぜ都会の親は中学受験をさせようとするのか?

もちろん地域的に“中受の一択”になってしまうところもあるとは思う。
しかし、大半の場合は、「子どもによりよい環境を求めて」「中3の大事な時期を受験でつぶさずのびのび過ごさせるために」「その後の進学ルートを考えて」などがあげられると思う。

「受験勉強の経験がのちに役立つ」なんていうのもあるのだろうか。
受験のための勉強というのは効率的な方法で高得点を狙わなければいけないので、かなりのコツが必要になるジャンルである。

公立の小中高を経て国立大を受験するルートが「青春18きっぷ」だとすれば、私立小中受験は「ファーストクラス」と言い換えることもできよう。しかも、どういう学校にいくかによって、ゴール地点が変更になることもある。

大卒資格のない筆者は正社員就業経験がない。これは齢40をすぎた今、大変なリスクとなっている。

でも、そんなこと18のときに誰も教えてくれなかったし、教えてくれたところで聞く耳を持たなかったことだろう。今だからわかることというのは両手にあまるほどあるのだ。

だからこそ自分の子どもには悔いのない人生を! なるべく損をしない歩み方を! と思ってしまい、今こうなっているのだが、今ある職業のいくつが20年後残っているのだろうと考えると、この課金、不毛なのではないかと考えるときがある。

まもなく平成も終わり、大学入試システムも変わる。
その変化に柔軟に対応できる子を育てる能力が今求められているのだとしたら、なんて厄介な世の中だと思ってしまう。

なんとも無粋な話だが、40年生きてきて思うのは、「お金は自分を裏切らない」ということだ。

「いかに自分でお金をたくさん稼げるかを考えなさい。」

ゴールはそこに設定して、あとは本人が納得して楽しめればいいのではないか。
大枠では今そう思っているのだが、何が起きるかわからない世の中である。来年私がどう思っているかは、正直わからない。

ワシノ ミカ
1976年東京生まれ、都立北園高校出身。19歳の時にインディーズブランドを立ち上げ、以降フリーのデザイナーに。並行してWEBデザイナーとしてテレビ局等に勤務、2010年に長男を出産後は電子書籍サイトのデザイン業務を経て現在はWEBディレクター職。