生物学者の福岡伸一氏

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 得意ではないと思い込んでいる分野の本については、なかなか手が伸びづらい。しかし、読まないと後悔する本が、この世には必ずある。生物学者の福岡伸一氏が選ぶ、文化系のための生命科学の本6冊を紹介する。

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 まずオススメしたいのが岩波の「岩波科学ライブラリー」。このシリーズ、科学読み物としてとても優れている。テーマの選び方と筆者の掘り出し方がすばらしいのだ。おそらく編集者がたいへんな目利きなのだろう。いずれもハンディで薄手。とっつきやすくスラスラ読める。

 たとえば、『ナメクジの言い分』(足立則夫著、岩波科学ライブラリー)。なよなよしたナメクジが、防御のために殻を持つように進化したのがカタツムリのように思えるが、そうではない。カタツムリが殻を脱ぎ捨てて出来たのがナメクジ。なぜこんな順序がわかるかといえば、ナメクジの中でまだ殻の痕跡を有しているものが存在するから。殻を作るにはたくさんカルシウムを摂取しなければならず、殻合成のためのエネルギーも多くいる。つまり持ち家は維持にコストがかかる。

 そこで、持ち家幻想から一歩踏み出したのがナメクジ。もちろん外敵に襲われたときのリスクは高まるが、身軽になった分、いいことも増えた。どこにでも自由に潜り込めるし、新しいエサも見つかった。そんなナメクジたちの率直な意見に耳を傾けてみよう。

 次に、先ごろ刊行された『昆虫の交尾は、味わい深い…。』(上村佳孝著、岩波科学ライブラリー)。機微な話題なのだが、生物学の真髄は細部に宿る。この季節、繋がって飛んでいるトンボを見かけることも多いが、よく見るとハートの形になっている! どちらがメスでどちらがオスかわかりますか? しかもなんであんな格好でシテいるのか。そこには深い理由があるのであーる。

 しかし近年、私が読んだ中で最高の奇書(と呼ぶにはその真面目な筆致にいささか失礼だが)は、『糖尿病とウジ虫治療マゴットセラピーとは何か』(岡田匡著、岩波科学ライブラリー)。重度の糖尿病患者の中には足が化膿し、切断を余儀なくされるケースがある。なんとか切断せずに助けられないか。しかし治療は難しく、化膿はなかなか治らない。悪化する場合もしばしば。

 そこに救世主が現れた。なんとウジ虫。もぞもぞ蠢くハエの幼虫である。ホラー映画ではない。ウジ虫(治療用に無菌養殖されたもの)を患部に乗せると、彼らは柔らかい化膿部分だけをきれいに食べてくれる。すると病巣は瞬く間に回復に向かうというのだ。

 こんな奇想天外なウジ虫の作用がどのように発見されたのか。いかにして治療法として確立されたのか。世評と戦いながら研究を進めた医学者たちの人物伝、そして著者を初めとした日本における普及活動に尽力している人々の奮闘努力。掛け値なく面白い。科学を身近なものにするためのコツは、科学そのものを勉強するよりも、科学の成り立ち、すなわち科学史を学ぶことである。本書はその典型例のような快著なのだ。

 岩波以外で近年の好著を挙げておくと、ひとつは『ウニはすごい  バッタもすごい』(本川達雄著、中公新書)。かつて動物のサイズという視点から生命現象を考えた『ゾウの時間ネズミの時間 サイズの生物学』で一世を風靡した生物学者・本川達雄先生の最新作で、生物の形態とその合目的性を余すところなく解説している。単なるモノ知りと教養の差がどこにあるのか教えてくれる。

 もうひとつは、『ゲノム編集とは何か「DNAのメス」クリスパーの衝撃』(小林雅一著、講談社現代新書)。世界中の分子生物学者を熱狂させている画期的な最先端バイオテクノロジーが、遺伝子情報を人為的に改変する「ゲノム編集」。将来、ここからノーベル賞受賞者が出ることは間違いないので、今から知っておくと自慢できる。

 最後に拙著『福岡伸一、西田哲学を読む 生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一』(池田善昭・福岡伸一著、明石書店)も紹介させていただきたい。生物学の真髄は細部に宿ると述べたものの、生物学の究極の問いは、生命とは何か、という大疑問に答えること。しかも、DNAを持つとか細胞からできているというふうに、生命の特性を列記するのではなく、生命の内部に降り立って、生命のありさまそのものを定義しようという試みだ。

 本書は、独自の哲学を打ち立てた西田幾多郎(1870〜1945。『善の研究』などで知られる哲学者)の生命観を手がかりにしながら、私自身の生命論である動的平衡(*)の理論を数年がかりで深化した。

(*合成と分解、酸化と還元、切断と結合など相矛盾する逆現象が絶えず繰り返されることによって、秩序が維持され、更新されている状況を示す福岡伸一のキーワード。)

●生物学者。1959年東京都生まれ。京都大学卒業。青山学院大学教授。『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書、サントリー学芸賞)を初め、生命とは何かを「動的平衡論」から問う著書多数。近著に『新版 動的平衡』(小学館新書)。

※SAPIO2017年10月号