新党「立憲民主党」結成を表明した枝野幸男氏(写真:日刊現代/アフロ)


 民進党代表代行の枝野幸男氏など左派が、新党「立憲民主党」を設立した。これは民進党が希望の党に合流したときから予想されていた展開で、前原誠司代表も「想定内だ」とコメントした。希望の党の小池百合子代表が憲法改正を否定する左派を公認するはずがなく、それが合流の目的だったと思われる。

 共産党はさっそく新党との共闘を表明し、全国で独自候補を取り下げ始めた。もともと小選挙区で共産党が勝つ見込みはないので、その票が立憲民主党に入ると、意外に健闘するのではないか。これで「自民・公明」と「希望・維新」と「立憲・共産」という3極の戦いになるが、この構図には既視感がある。

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よみがえる「社共共闘」

 55年体制で「革新勢力」が最盛期だったころ、社会党は共産党と組む社共共闘か、民社党・公明党と組む社公民共闘かで揺れていたが、東京都の美濃部知事をはじめとする革新自治体で選挙戦を制したのは社共共闘だった。

 その背景には、総評という労働組合の動員力があった。民社党系の同盟は大きな勢力にはなれなかったので、社公民は選挙に弱く、社会党の主流は「プロレタリア独裁」をめざす社会主義協会だった。これは共産党の方針とも似ていたので、1970年代まで「社会主義」が野党の共通の目標だった。

 1980年代には社会主義の実態が分かってきたので、社会党の土井たか子委員長は「護憲」を持ち出した。その中身は第9条の一国平和主義で、社会主義のように体系的な理論はないが、争いを好まない日本人にはなじんだ。立憲民主党は、このころの社会党に戻って「社共共闘」で生き残るつもりだろう。

 だが冷戦が終わると、社会主義と労働組合の力が弱まった。英米でサッチャー・レーガンの保守革命が起こり、日本でも中曽根内閣で国鉄と電電公社の民営化が行われた。小沢一郎氏のめざしたのは「小さな政府」で、彼が『日本改造計画』で描いた構想は、自民党と霞が関のコンセンサスに近かった。

 この構想は1992年まで順調に進んでいたが、彼が自民党竹下派の後継争いで敗れて挫折した。自民党を離党した小沢氏は93年に政権交代を実現したが、彼の強権的な手法に反発して、社会党は94年に非自民連立政権を離脱した。これによってできた村山内閣は自衛隊と日米安保条約を認めたために社会党は崩れ去り、ここから今に至る野党の迷走が始まった。

失われた日本の「保守革命」

 小沢氏の理念は、それなりに一貫していた。彼が自民党の幹部だったときは、ハト派を追い出して「社公民」と合併させ、保守とリベラルの二大政党にしようという保守二党論だったが、彼が自民党を離党して社公民と合流したことが混乱の始まりだった。

 細川政権の最大会派は社会党であり、何かにつけて小沢氏と対立した。この「ねじれ」を解消するため、彼は1994年に自民党の右派を引き込んで社会党などを切ろうとしたが、自民党は社会党の委員長を首相に指名する奇策で裏をかき、自社さ連立政権ができた。

 のちに小沢氏にインタビューしたとき「55年体制では自民党と社会党は地下茎でつながっていて、国会は実質的に全会一致だった。そうでなければ自社の連立政権なんかできるはずがない」というので、「ではなぜ自社さに裏をかかれたのか」と質問したら、「あそこまで節操がないとは思わなかった。私も若かった」と笑っていた。

 細川政権で実現した小選挙区制で、日本も英米型の二大政党になるはずだった。小沢氏も社会党を追い出したあと、新進党で二大政党をめざしたが、社会党とさきがけなどが民主党をつくった。このときの自民・新進・民主の3極も今回の選挙に近いが、消えるのは民主だと多くの人が予想した。

 ところが小沢氏はこのときも新進党をまとめるのに失敗し、1997年末に解党してしまった。これが彼の最大の失敗だった。このとき右派を自由党に結集しようとしたが、それは50人余りの小政党になってしまった。日本の保守革命は、このとき失われたままである。

 小泉政権は不良債権の最終処理という構造改革は実現したが、それ以外は大したことはできなかった。それは小泉首相の「個人商店」だったので、内閣が変わると自民党は昔の自民党に戻ってしまった。

日本の「長過ぎた社会主義」の終わり

 小池氏は新進党のときから小沢氏にずっとついて行った「元祖小沢ガール」だ。自由党で自民党と連立するところまで同じだったが、連立解消のとき自由党に戻らなかった。彼の失敗を見た小池氏は、その教訓を学んでいるだろう。

 その1つは、政治を動かすのは理念ではなく人気だということだ。小沢氏の理念は80年代の英米の改革の延長で、「新自由主義」といわれるような特殊な思想ではなかったが、自民党にも野党にも抵抗されて実現しなかった。日本人は大きな変化や強いリーダーをきらうからだ。

 小池氏には一貫した理念がないが、それは意図的だろう。「寛容な改革保守」という希望の党の理念は何も言っていないに等しいが、理念で投票する有権者はいない。テレビで受ける「原発ゼロ」などのキャッチフレーズがあればいいのだ(実現できなくても)。

 もう1つは、緊縮財政では選挙に勝てないということだ。小沢氏は『日本改造計画』で消費税率10%を提唱したが、それはいまだに実現していない。消費税の増税を掲げた政権は橋本内閣以降、必ず選挙に負けたからだ。

 10%を超えるインフレと高金利に苦しんだ1980年代の英米では財政規模の縮小が必要だったが、今の日本では国債をいくら発行しても金利が上がらない。アベノミクスはゼロ金利を利用して社会保障の負担を将来世代に先送りする「21世紀型ネズミ講」だが、永遠にゼロ金利が続かない限り先送りは続けられない。

「消費税の増税凍結」を掲げる小池氏は、経済は理解していないが、消費税が政治的な危険物だということは知っている。税収が増えないで社会保障給付が増えると将来世代の負担が増えるが、彼らは選挙権をもっていない。いま60歳以上の高齢者に何がアピールするかを考えるのが賢い政治家である。

 追い出される立憲民主党には、こういう狡猾さはない。その純粋さで同情票は集まるかもしれないが、彼らが社会党と同じ運命をたどることは確実だ。小池氏が彼らを排除して「社共共闘」に追い込んだのは一歩前進である。

 彼女は何も実のある改革はできない(政権も取れない)だろうが、真の政策論争は冷戦後も生き延びてきた社会主義の亡霊が消えたところから始まる。この25年、政治を混乱させてきた亡霊を追い払い、資本主義を取り戻すことが日本の残された希望である。

筆者:池田 信夫