2017年度のノーベル物理学賞、化学賞が出ました。物理は大方の予想通り重力波、基本的な業績を挙げられたパイオニアの表彰、これについてはJBpressでも専門家である小谷太郎博士の解説などが出ると思います。

 本稿では今年のノーベル化学賞について、やはり分かりやすい切り口からスケッチしてみたいと思います。

 どことは言いませんが新聞の見出しで「ノーベル化学賞 欧米の3氏へ」というヘッドラインを見かけました。意味ないですね。

 「日本からの受賞が何年連続であったけど・・・」といったことしかデスクの興味がないのでしょう。予定稿を準備した記者も災難です。

 私は大学外交の担当者としてドイツのミュンヘン工科大学と緊密にご一緒していますが、今年のノーベル化学賞はミュンヘン工大出身のヨアヒム・フランク教授など、クライオ(低温)電子顕微鏡の開発に基礎的な貢献のある3人の先駆的な生物物理学者/生物学者に贈られました。

 ノーベル化学賞なのに、物理と生物に与えられているあたりに、ポイントがあります。

 受賞の報を目にして、早速ミュンヘン工大へは(一応 東大総長の意も含めて、として)ただちにお祝いをメールしておきました。

 私も昔は極低温物性実験を学んでいましたので、今回はこのノーベル化学賞の業績をイノベーションや技術経営に役立つ切り口を選んで、簡単に解説してみましょう。

 現在実験に携わっていない私自身の言葉ですので間違っている可能性もあると思います。瑕疵がありましたらどうか編集部までご一報いただければ、謙虚にお教えを受けたいと思います。

 本稿は、必ずしも専門家でなくとも、ノーベル賞褒賞の報道から知れる時代と人智のフロンティアやインベストメントの可能性に、多くの読者、特に若い皆さんが興味や好奇心を持ってもらえれば、と思って記すものです。

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フランク教授の「ポートレート」

 突然ですが、写真でしか見たことのない人と実際に会うと、印象が大きくことなることがありますよね?

 写真は2次元の静止画です。これに対して人間は3次元的な存在で、かつ生きて動いています。

 この違いをどうやって補正してやればよいでしょうか?

 カメラしかないとすると、1つの方法として、できるだけ多くの写真を撮って、アルバムを作ることが考えられます。

 同じ1人の人が様々な横顔を持っている。それを「立体的」に示すことが、アルバムという冊子でも一定可能になる。

 でも、ここで仮にデータベース的に考えて、様々な2次元の写真データを、例えばマネキンの人形の頭のようなフォルダに重ねて言って、いわば「復顔術」のようにして3次元的な描像を合成することもできるはずです。

 そうやって3次元的なデータを作ったら、3次元プリンターで形にすることができるかもしれません。

 さらにそうやって作った3次元データの細部について、AIの助けも借りて「レンダリング」を施せば、さらにリアルなあなたの3次元マネキンを推察することができるでしょう。

 こうした作業を人間の身体、臓器、というか生命を担う物質であるたんぱく質や膜構造などについて実現したのが、ヨアヒム・フランク教授が1975年から80年代にかけて推進した仕事にほかなりません。

 専門の言葉では「単粒子再構成・低温電子顕微鏡法」と呼ばれる手法、やや古いですが、日本語で分かりやすい(20年ほど前の)物理学会誌の解説もリンク(http://leading.lifesciencedb.jp/5-e010/)しておきましょう。

 つまりこういうことです。

 生命の様々なメカニズムを秘めたたんぱく質の立体的な構造を知りたいという、例えば次のような本質的な要請に、フランク教授は先駆的な形で答えたわけです。

 マネキンのごとく、あなたの顔を3D復顔するように、様々な電子顕微鏡の2次元写真を組み合わせて、生き生きとした3Dで、一個一個の原子の配列から詳らかなたんぱく質やアミノ酸、あるいは細胞膜などの原子分子構造を知りたい・・・。

 単粒子(single particle)と言っていますが、初期でも数百数千、今では何十万という単位にもなるような多数の写真データを、たった1種類の分子の解像度を上げるのにフル活用するわけです。

 つまり、1つのたんぱく質や膜構造の「ポートレート」を、無数のデータの「ポートフォリオ」から3次元的に構成しようという発想ですね。フランク教授の「ポートレート」作戦というわけです。

 いわば「画像ビッグデータ」活用のはしりといった側面があり、また近年では最後の仕上げ、補完にベイズ統計などの推測手段を併用することで、近原子解像度(生命の秘密を宿すアトムの立体的な配置が、生きた状態のまま一個一個見える!)にまで高められる、本質的な進展に到達しています。

 「ベイズ統計」

 この言葉でピンとくる方もあるでしょう。つまり本質的な意味でAIの原理を併用することで、不確定性の雲の中にまぎれてしまう生命を担う原子分子のクリアなピクチュアを確定することに、いまや「クライオ電子顕微鏡」は到達しているわけです。

 器官や細胞、例えばがん細胞の表面の原子一個一個の、リアルな動態が判明すれば、それに原子レベルから有効な創薬研究などに決定的な力になります。

 ノーベル化学賞を伝える比較的良心的な報道に「創薬」とありましたので、少し補っておきます。

 物理学という専門を学ぶと、こうしたことをブラックボックス最小で一つひとつ跡づけることができ、今回の「化学賞」の受賞者も、生命を担う物質をターゲットとする物理学者3人が受賞しているのは言われのないことではありません。

 「生命の秘密を暴くビッグデータ活用」に「AIの原理的活用」で出た今年度のノーベル化学賞と理解しておくと、関連の仕事に従事するビジネスマンにも大いに役立つ可能性がぱっと広がるでしょう。JBpressに記すゆえんです。

 では改めて、どうしてこういう方法を工夫したのか?

 工夫したから新たな自然の秘密が解き明かされ、ミューズの女神の「ヴェールめくり」(ノーベル賞のメダルに描かれています)に成功したわけです。その背景にも触れて起きましょう。

DNAは「二重らせん」ではない?

 分子生物学の曙と言えば何と言ってもDNAの二重らせん構造の解明でしょう。ワトソンとクリックの両氏はこれで、シュレーディンガーが予言した科学の扉を開きました。

 でも、この「二重らせん構造」実はとても人工的で、生きた生命の中ではもっとダイナミックな動きがあることが、必ずしも大学1年生などに強調して教えられていないように思います。

 DNAの原子・分子構造を知るために最初に用いられたのは「X線結晶解析」と呼ばれる方法でした。原子の間の距離程度の短い波長を持つ光、X線で撮影してやれば、その程度の大きさでピンボケしない写真を撮ることができます。

 X線回折像と呼ばれるものです。でもそれを撮影するには、DNAが規則正しい結晶構造を持つよう、試料を整えねばなりません。これが1953年時点での人智の限界でした。

 他方「電子顕微鏡」はX線(光です)ではなく電子線、言うまでもなく電子で、マイナスの電荷を帯びた量子を用いて、やはり原子分子の間の距離に相当する極微の空間構造を克明に見ようとする道具です。

 うまく利用してやれば、生命を形作る物質を、精製・結晶化などすることなく、あなたの体の中に存在するままの形で、うまく見ることができる可能性がある。

 ここが、発想の目のつけどころです。

 透過型電子顕微鏡を用いれば、生命のメカニズムを原子分子の構造から詳らかにする(構造生物学と言います)うえで、物質の「死んだ形」結晶ではなく「生きた形」あるがままの様態を探れる可能性があるわけです。

 透過型電子顕微鏡を用いれば、生命のメカニズムを原子分子の構造から詳らかにする(構造生物学と言います)うえで、物質の「死んだ形」結晶ではなく「生きた形」あるがままの様態を探れる可能性があるわけです。

 X線構造解析が可能なように結晶化したDNAは二重らせんの構造を持っている。これは間違いありません。

 でも、例えば分かりやすい話、紫外線などにアタックされてDNAが破損したときは必ずしもきれいな二重らせん構造を持っているわけではないはずです。

 ところがそれを修復する、驚くべき復元の力を生命情報は持っている。これはやはりノーベル化学賞を2015年に受賞した(参照=https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/chemistry/laureates/2015/)DNA修復のメカニズムにほかなりません。

 生体内でゲノムの情報が活用されるとき、DNAやRNAは多様な形で動いており、本当の意味では、まだ、それらがどのように「動いて」いるのか、人類はつまびらかに実態を理解、把握しきれていないと思います。

 生殖にとって決定的な「減数分裂」など考えれば明らかなように、ゲノムはけっしてじっとしているわけではなく DNAは多様に構造そのものも変化、変容しながら、生命活動という動態を維持している。

 「静止画のような二重らせん」を超えた、ゲノムを構成する原子・分子のダイナミックな動きこそが、いま最もホットな、人類の叡智の最前線と言えるでしょう。

 下馬評では今年ノーベル化学賞の呼び声の高かった「CRISPR」クリスパーという仕事は早晩ノーベル賞を取りますから、そのときまたお話したいと思いますが、これはCas9と呼ばれる因子を用いて、自在にDNA2本鎖を切断し、好きなように遺伝情報を編集する技術として確立され、バイオテクノロジーに明らかな新時代をもたらしました。

 そういう「原子分子のダイナミックで3次元的な運動、構造、機能」として生命現象を理解する、基本的なプラットホームを、クライオ顕微鏡は準備したと言うことができるでしょう。まさに ゲノミクスの王道を一歩前に前進させたわけです。

 さて、そうした原子・分子が結合し合うような、ごくごく短い距離を詳らかに見るためには、電子線のエネルギーを上げる必要があります。

 高校の現代物理で教える範囲で、ちょっと面倒なので、ここでは「胸のレントゲン写真を撮るとき」の例を想起していただくにとどめて説明します。

 レントゲン撮影では、若干ですが人は「被曝」します。撮影に必要ない部分、例えば生殖器などに鉛のエプロンをして保護しますよね?

 こうした保険物理は重要で、無用の被曝は人間の細胞を壊し、場合によってはガン化などの変成もきたしてしまう。

 電子レンジは「電子」と言っていますが、あれはマイクロ波という光でX線の仲間、生卵を容器に入れ、ラップをして「チン」すれば、マイクロ波照射の強度や時間によって半熟卵にも、固ゆでにも、黒こげにもなります。

 もし電子顕微鏡で細胞を「生きている状態」のまま撮影しようとしたら、つまり「生卵」の状態を知りたいとしたら、半熟であれ「ゆで卵」にしてしまうと、意味がないですよね?

 ゲノム創薬で、生きた人間の細胞膜にアクセスする原子分子の立体構造を知りたいのに、人間の肉をチンした「ソテー」の分子構造を知っても意味がありません。

 電顕は、極微の構造を知るために高エネルギーのビームを照射せねばならず、この結果ターゲットを破壊・変成させてしまう。これを何とかしたい。どうしましょうか?

 生卵をチンすると30秒で茹で上がってしまうかもしれない。でも冷凍食品のポテトフライは、まず解凍しないと過熱できませんよね。解凍以前は「生」の構造が保たれます。

 クライオ電子顕微鏡=「低温電顕」のポイントはここにあります。

 つまり冷やしてやる。氷漬けにした卵なら、同じ量電子線を照射しても、茹でて変成したのではない、本来の「生きた」構造が見えるはずです。

 ただし、シャーベットのように濁った氷では撮影できませんから、透明な氷漬けを作らないとうまくいきません。

 この「透明な氷漬け」を急速冷凍で可能にしたのが、今回ノーベル化学賞を受けたスイスの生物物理学者ジャック・デュボッシュ教授の1970年頃の仕事。

 そのようにして撮影可能になった「たんぱく質の多数の横顔」を“ビッグデータ解析”して、「生きたまま」の鮮明な画像として生体高分子の3Dピクチュアを初めて生き生きと再現したのがヨアヒム・フランク教授の1975-80年代の仕事。

 これらの基礎に基づき、いわば「AI」な画像処理の巧みな工夫を併用して、初めて原子レベルの精度で、生体高分子のクリアな姿を描き出すことに成功したのがリチャード・ヘンダーソン教授の仕事。

 要するに「デバイス開発」→「ビッグデータ処理」→「AI解析」という3つの段階を経て、旧来は結晶化した試料をX線で解析するしかなかった生命の原子分子構造に、物理と生物の双方からアプローチすることで、

 「生命現象のメカニズムを生きたままの立体化学構造として確定」

 することに成功した3氏に「ノーベル化学賞」が与えられたんですね。

 化学業界の利便で賞が決まるわけではなく、リチウム電池その他有力な化学賞候補業績、どれも応用上は素晴らしいものですが、今年のノーベル化学賞は、人類の叡智が生命の原子分子構造、つまりケミカルな構造にどこまで肉薄できたか、2013年以降急速に伸びたクライオ電子顕微鏡技術の確立者3氏に贈られたというものです。

 どうでしょう、分かり難かったら私が至らず申し訳ありません。少しでも分かりやすかったらとてもうれしいです。

 1999年に人事があってから、私はこの18年間、物理を背景に技術の本質を見抜き、イノベーションに応用する「マネージング・プロフェッサ」業務を1音楽家としての研究室主催と並行して続けてきました(そういう業務のご依頼も、大学事務方にお問い合わせいただければご相談させていただきます)。

 毎年どんな仕事にノーベル賞が出ても、数時間でこの種の解説を公開しているのは、私がどうこうではなく、物理学が有効であること、ツブシが利くというだけの話に過ぎません。

 逆に、基礎科学の根の根、原理から立ち上がる叡智は、およそ多様な応用に開かれています。

 今年のノーベル賞は物理が宇宙の時空構造、化学が生命の物質構造、医学生理学が意識の時間認知構造の本質に肉薄する素晴らしい業績をラインナップした、実に品位あるセレクションになっていると思います。

 そういう総論や、文系3賞を含む今年のノーベル賞全体のレビューなどはまた来週記したいと思います。

 特にAI、IoTなどディープ・イノベーションに関わる方、今回の「デバイス-DB-AI」というプロセス、ポケーッと見てるとせっかくの魚を全部逃してしまいます(笑)。

 世界観、宇宙の見立ては、日常目にする風景を、どこまで本質から逆手に取って武器にできるかで天地の開きが出ることでしょう。

 まずは、業績の本質、自然と物質の特徴と、困難を巧妙に乗り切って人智のフロンティアを拡大したクライオ電子顕微鏡の業績のコアを、しっかり楽しんでいただきたいと思います。

(つづく)

筆者:伊東 乾