抜群の身体能力に加えて世界屈指のテクニシャン。多くの名手たちがロナウドを「世界最高」あるいは「歴代最高」の選手と称え、彼と対峙したDFたちは皆、苦痛と絶望の表情を浮かべた。写真はマドリー時代。 (C) Getty Images

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 本誌ワールドサッカーダイジェストと大人気サッカーアプリゲーム・ポケサカとのコラボで毎月お送りしている「レジェンドの言魂」では、サッカー史を彩った偉大なるスーパースターが、自身の栄光に満ちたキャリアを回想しながら、現在のサッカー界にも貴重なアドバイスと激励を送っている。
 
 さて今回、サッカーダイジェストWebに登場するのは、天性の身体能力と磨き上げられたテクニックで、世界の名DFたちを恐怖せしめ、記憶に残るゴールを量産し続けたサッカー王国ブラジルのレジェンド、ロナウドだ。
 
 クラブ、代表に多くのタイトルをもたらした偉大なる「フェノメノ(怪物)」の軌跡を、ここで振り返ってみよう。
 
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 ロナウド・ルイス・ナザリオ・デ・リマがブラジル・リオデジャネイロ郊外に生まれたのは、1976年9月22日のことだった。
 
 貧しい家庭に育った彼の楽しみといえば、もちろんサッカー。幼少の頃からこの競技に熱中し、早くもその才能を垣間見せる。練習場に通うお金がないため、憧れのフラメンゴへの入団は諦めざるを得ず、自宅に近いクラブ、サン・クリストバンでプレーした。
 
 しかし、そんな優秀な選手を周囲が放っておくはずがない。ブラジル・サッカーのレジェンド、ジャイルジーニョに見出されたロナウドは16歳の時、ミナスジェライス州の名門クルゼイロへ移籍することとなる。
 
 93年5月25日の州選手権カルデンセ戦でプロデビューを果たした彼は、同年11月7日のバイーア戦で5ゴールを決め、ブラジル全土から注目を浴びる存在となった。
 
 2シーズンで州選手権、コパ・ド・ブラジルの優勝に貢献したロナウドは、当時のブラジルで最も注目される若手であり、欧州の多くのクラブからオファーが舞い込んでいた。そのなかから彼が選んだのは、オランダのPSVだった。
 
 母国の英雄、そして偉大な先輩でもあるロマーリオの助言によってオランダの地に舞い降りた17歳は、かつてロマーリオがそうだったように、1シーズン目から大活躍。いきなり30ゴールを挙げた彼は、2年目にはKNVBカップ優勝を飾り、欧州で最初のタイトル獲得を経験した。
 
 2シーズンで十分すぎるほどのインパクトを放ったロナウドは、スペインの名門バルセロナに引き抜かれる。PSV入りした際の移籍金は60万ドルだったが、わずか2年でその金額は1700万ドルにはね上がっていた。
 
 欧州の最高峰リーグとも言えるリーガ・エスパニョーラの舞台に立った彼は、ここで数々の伝説を作るが、なかでもコンポステーラ戦で見せた60メートルものドリブルシュートは、彼のプレーの特長、そしてその偉大さを表わすものとして、いまだ人々に記憶されている。
 
 34ゴールを挙げ、コパ・デル・レイ、カップウィナーズ・カップをチームにもたらし、自身はリーグ得点王に輝いたロナウドは、当時の指揮官ボビー・ロブソンをして「ロナウドこそが戦術」と言わしめるほどで、バルサにとって不可欠な存在だった。
 
 違約金が日本円にして100億円を超える額に設定され、絶対にアンタッチャブルな存在のはずだったが、わずか1シーズンを終えたところで、彼のバルセロナでの生活は終焉を迎える。十代の頃からロナウドについていた代理人が、さらなる価値の上昇を狙って暗躍していたのだ。
 
 これに応えたのが、イタリアのインテル。当時の世界最高額で移籍が成立すると、ロナウドはカルチョの舞台でも驚異的なプレーを次々に披露する。大きな武器を得たインテルは、UEFAカップを制し、セリエAでは王者ユベントスと最後までデッドヒートを繰り広げた。