東京理科大学の小林宏教授は2004年にアクティブ歩行器の開発に着手し、現在はほぼ完成形の段階だという(撮影:梅谷秀司)

福祉現場での深刻な人手不足を背景に、国は2013年から介護ロボットの開発、普及に戦略的に取り組んでおり、2015年には52億円の補正予算を計上して、介護施設などへの普及に力を入れている。介護ロボットにはさまざまな種類があるが、大きくは2つに分けられる。介護する側をサポートするのが「介護支援型」。利用することで、車いすなどの移乗や入浴などの介護にかかる力を低減できる。そしてもう1つは、「自立支援型」。体が不自由な人をサポートするもので、リハビリや機能回復、生活動作の補助に役立てる器具だ。

特に前者の、介護者をサポートする器具については多くのメーカーが開発しており、国や県の補助を受けて普及が進みつつある。

一方「自立支援型」だが、こちらも用途に応じてさまざまなタイプが開発されている。ただし体が不自由な人が身に着けて用いるものとなると、体の状態がそれぞれ異なるため汎用化が難しく、安全性確保の面でもハードルが高い。

”動けない人が動けるようになるためのロボット”目指し

それら開発・普及に困難の伴う「自立支援型」のなかでも、自分の足で立って歩けるようサポートする「アクティブ歩行器」に取り組んでいるのが、東京理科大学でロボットを開発する小林宏教授だ。

「私がロボットの開発に取り組み始めたのは2000年。夢のある人型ロボットの開発が話題になっていたが、私自身は、“動けない人が動けるようになるためのロボット”を目指していました」(東京理科大学工学部機械工学科の小林教授)

アクティブ歩行器の開発に着手したのは2004年。歩行が困難な人に試してもらう“治験”で改良を繰り返しながら試作品を製作しており、現在、ほぼ、完成に近い段階に至っている。


歩行器による訓練の様子。この女性は麻酔事故がきっかけで植物状態(遷延性意識障害)に陥り、27年寝たきりだという。この日歩行器を初めて使用する(撮影:梅谷秀司)

アクティブ歩行器は、本体(フレーム)で上体を支えて立位を保ちながら、下肢に装着した“人工筋肉”によって歩行動作を行うもの。本体下部に取り付けられた4つの車輪で、歩行に合わせて前進する。大きな特徴が、正しい姿勢で歩行動作を行え、しかも転倒の危険がないことだ。

これまでに、車いす型と寝台型を開発している。いずれも人がその上に座ったり、寝たりして装具をつけた後、モーターで立ち上げて、立位の姿勢にもっていく。寝台型のほうが、自身の車いすからスムーズに移乗することができるので、介護者の負担が低い。

なお、このアクティブ歩行器に採用されている“人工筋肉”は、1960年代に開発された「マッキベン型」と呼ばれるタイプだ。ナイロンメッシュ生地で覆われたゴムチューブに圧縮空気を注入すると、チューブは径が膨張すると同時に、長さが縮む。人間の筋肉と同様に、伸び縮みにより動力を得る仕組みだ。介護支援型の機器に採用されているほか、人型ロボットなどの技術としても活用されている。

単に歩行が可能になるだけではない

まだ試作段階にあるアクティブ歩行器だが、治験を通し、多くの人に希望を与えてきた。脳性麻痺による左半身まひで、一生寝たきりだと思われた女性が、3年間歩行器による訓練を行ったところ、自らの足で歩けるようになり、3kmのマラソンを完走した例もあるそうだ。この女性の場合、左足は麻痺したままだが、左足をつっかい棒のように使って、バランスをとりながら歩くことができる。「動きのパターンを体が覚えることによって可能になった」(小林教授)のだそうだ。

単に歩行が可能になるだけではない。小林教授によると、「立位による2足歩行」が、機能回復の面で大きな役割を果たすという。足裏を大地につけて歩くということが、全身に振動を伝え、筋肉組織や心肺機能など全身を活性化させる。脳への影響も大きい。

ただし一点、注意しておかねばならないのは、現在のところ、アクティブ歩行器を利用できる人の条件が限られていることだ。まず、立位をとると血圧が下がるので、血圧に問題がない人であること。また、四肢に歩行できる程度の可動域があることも重要だ。


口腔ケアを担当する方の手を借り、筆談で意思を伝える向井文孝さん。向井さんのわずかな手の動きを感じ取って文字にしていくのには、特別な技能は必要ないものの、できる人とできない人があるという(筆者撮影)

現在も治験に通っている方にお話を伺うことができた。向井文孝さん(60歳)は、2009年、事故が原因で脳を損傷し、一時は植物状態と判断された。しかし妻の由子さんがあきらめることなくさまざまな治療を探し、2012年に意識が覚醒。現在は、右手がわずかに動くようになり、他者の手を借りた筆談によって意思を表現できるほどに機能を回復してきている。

向井さんは2015年の1月より、月1〜2回のペースでコンスタントに治験に訪れている。向井さんによると、初めて使ったときは「つらかった。首が痛くて、胸も痛く、苦しかった。頭に酸素が行かず、気分も悪くなった」(向井文孝さん)という。アクティブ歩行器では、胸の部分をベルトで本体に固定するため、胸が押さえつけられた格好になる。車いす生活の長い向井さんは立ち上がるとどうしても前傾してしまうため、ベルトに体重がかかりよけいに苦しかったのだろう。

“自分が歩いている”という事実

しかし、その印象は徐々に変化するようになる。

「いつからか、自分の視線が懐かしい位置にあることがわかって、やっと立っていると実感しました。自分で動いているのではなく、動かされる感じだけど、久しぶりに顔で、体で風を切れました」(向井さん)

立ち上がったときの視線の高さ、風を顔に受けて実感する“自分が歩いている”という事実。そのとき、向井さんは、目の前で世界が変わるような感動を覚えたのではないだろうか。

また、最初は無理矢理引っ張られているような感じがしていたが、現在は「機械と一緒に進む感じ」で歩行訓練ができているという。

「もっともっとよくなるように頑張る。以前のように、仲間とファゴットを演奏するのが夢。そしていつか、一人で歩きたい」(向井さん)

由子さんは2年の間に生じた変化について「背中や腰、太ももなどに筋肉がつき、持久力も上がった」と語る。また訓練の初期と最近の動画記録を比べると、姿勢がまっすぐになっているのが素人目にも見てとれる。

もっとも、歩行訓練と平行してリハビリを行ったことも大きかった。作業療法士のもとで、自宅の柱を利用して立位を維持するトレーニングを行ったことで、首がまっすぐに立つようになってきたそうだ。そのほか向井さんは、由子さんの激励のもと、トランポリンを使った音楽運動療法を始め、各種のリハビリに日々励んでいる。それらが相乗的に効果をもたらし、回復を助けているといえるだろう。

「自分のようにリハビリに行ける人は恵まれている。そうでない人も自宅でリハビリが受けられるようになってほしい」とし、そのために「もっと簡単に装着でき、誰でも使えるよう改良してほしい」(向井さん)という。

確かに、現時点では機器の装着に時間と手間がかかる。また身長が高い人など、体格によっては正しい姿勢で装着できない場合があることも課題だ。


アクティブ歩行器を開発した小林教授。歩行困難者ができる限り自立した生活を行えるよう、ロボット技術を通じてサポートしたいという(撮影:梅谷秀司)

「どんな人でも利用できるよう、さまざまなレパートリーの機器を開発する」(小林教授)のが今後の目標だ。しかし、向井さんをはじめとして、「今のままでいいから自宅に置きたい」という人も多い。訓練しないことによる機能低下というリスクと、日々戦っているからだ。そして価格という障壁も立ちはだかってくる。現在は試作品として、メーカーに1台1台特注しているため、原価だけでも100万円程度かかってしまう。

現在小林教授の研究室には、月に延べ20名程度の方が治験に訪れるほか、他県からの希望者が多い場合、出張する場合もある。治験に要する時間は一人あたり30分から1時間。学生をアシスタントに、研究の範囲内で行っているため、時間および費用の限界がある。障害者家族の会などの口コミで治験を希望する人も多くなっており、今がほぼフル稼働に近い状態だ。

実は小林教授は、アクティブ歩行器にも採用されている人工筋肉を使った介護支援型ロボットをすでに開発、大学発ベンチャーのイノフィスを通じ、「マッスルスーツ」という商品名で2014年に発売している。介護者支援のほか工事や農業など用途が広く、累計3000台を販売。試作段階の半額程度の約60万円という価格で販売できているそうだ。

困難を抱える人にとっては「希望の星」

アクティブ歩行器も、家庭で使える機器として実用化できればもっとコストを低く抑えることは可能だろう。しかし、「商業ベースでは実用化にはまだ時間がかかる」と小林教授は考えている。

「マッスルスーツも、もともとは、“動けない人が動けるようになる”自立支援型を目指したものですが、開発時、福祉の業界からは注目されませんでした。メーカーからすれば、安全面の評価基準が厳しく、行政の許認可が下りないため、実用化が難しいというのが理由です。その意味では、アクティブ歩行器も同様です」(小林教授)

よって、小林教授は2つのルートによってアクティブ歩行器を広めていきたいという。1つは、「今すぐにでも欲しい」という人に向け、原価に近い価格で販売する方法。もう1つは、地方自治体などに買い取ってもらい、より多くの人が利用できる環境を整えていく方法だ。それらを行うためのNPO法人の立ち上げも進めているという。

このようにまだ多くの課題があるアクティブ歩行器。しかし、困難を抱える人にとって「希望の星」(向井さん)であることに間違いはない。現時点では、すべてが小林教授一人にかかっている。まずは環境面の整備が急がれる。