春香が、24歳のとき。

心から愛していた男が、ある日忽然と姿を消した。

その日から、春香の時計の針は止まったまま。食事会に行っても新しい恋人が出来ても、まとわりつくのはかつて愛した男の記憶。

過去の記憶という呪縛から逃れることのない女は、最後に幸せを掴み取る事ができるのか?




春香は時々、かつての恋人・祐也からよく言われた言葉を思い出す。

「春香は嘘がつけないところが、かわいいんだよね」

春香の髪がくしゃくしゃになるまで頭を撫でて、祐也は嬉しそうに笑った。

春香が祐也と出会ったのは、22歳のときだ。親友の恵子にくっついて顔を出した大学の飲み会で、すぐに祐也と意気投合した。

今思えば、お互い一目惚れのようなものだった。初めて会った日にはもう、恋に落ちていたのだ。

恋が上手くいく時はトントン拍子で事が運ぶもので、恋愛の始まりにありがちな余計な不安も、無駄な駆け引きも必要ない。春香と祐也も急速に引き寄せられていった。

大学を卒業してからも二人の仲は変わらず、付き合っていた2年間、春香の世界はまさに祐也一色だった。曖昧な将来の約束を本気で信じ、まだ見ぬ未来を心に描いて過ごした日々。

だけどある日、祐也はいなくなった。春香の前から忽然と姿を消してしまったのだ。

LINEのメッセージが既読になったのを最後に、祐也の消息は途絶えた。

会社にまで電話をすることをしなかったのは、真実を知るのが怖かったからだ。それでも勇気を振り絞って一度だけ、祐也のマンションを訪ねてみたが、チャイムを押しても何の気配もなかった。

ごめんごめん、なんて笑いながら、いつかふらりと姿を見せるかもしれない。しかし、待てど暮らせど祐也は現れなかった。

そして気がつくと、3年が経過していた。


3年後、春香は祐也を失った悲しみから立ち直ったのか?


27歳、新たな出会いを求める春香


祐也が姿を消して3年。まもなく27歳になる。

彼を失った悲しみも徐々に癒え、春香は新しい出会いを求めていた。

-今夜こそ、いい人に出逢えるかもしれない。

春香は相当な気合いを入れ、西麻布『ダルマット』での食事会に臨んでいた。

「春香ちゃんって可愛いのにほんとに彼氏いないの?どれくらいいないの?」

ノリのいい男に尋ねられ、春香は笑顔で答える。

「うーん、3年くらいかな」

するとその場の空気が静かに凍りついてしまった。

-あれっ、みんな引いてる…?

春香はしまったと思ったが、もう手遅れだった。



食事会からの帰り道、親友の恵子が春香をたしなめる。

「春香ったら…。3年も彼氏がいないだなんて、何も正直にバラさなくても…」

だって本当のことだもの、と春香が口を尖らせると、恵子は肩をすくめた。

「あのね。この歳でそんなに長いこと彼氏がいないなんて、何か問題があるか、よっぽどモテない子だと思われるわよ。1年くらいって言っとけばいいのに、本当に馬鹿正直なんだから」

ぶつくさ言っている恵子を横目に、春香は祐也からよく言われた言葉をそっと思い出して、胸がちくりと痛んだ。

-春香は、嘘がつけないところが可愛いんだ。




『ダルマット』での食事会から数日後、春香は男性陣のひとりから誘いを受けた。

恵子にあれほど駄目出しをされた割には、どうやら食事会は失敗というわけでもなかったようだ。

優しくていい人そうだったその男性は、国内最大手の通信会社に勤めていると話していた。途端に「結婚向き」という単語が春香の頭の中をちらつく。

-彼氏なしの3年に、いよいよ終止符を打つ時がやってきたかもしれない!

春香は意気込んで、指定された店・恵比寿の『アポンテ』に向かった。

実は、彼から店の名前がLINEで送られてきたとき、春香は動揺した。ここは、祐也と何度も足を運んだ店なのだ。

カウンター席に腰掛けて、男性は店内をきょろきょろ見回しながら嬉しそうに話す。

「ここ、同僚から美味しいって聞いて、一度来てみたかったんだ」

思わず春香は大きく頷いた。

「うん、ここのお店、私も大好き!レモンクリームのパスタがすっごく美味しいんだよ」

勢い余ってそこまで言いかけて、すぐに気がついた。

-あっ…またやってしまった。

あれほどいつも恵子から、デートではとりあえず「こんなの初めて」を連発しておけと口を酸っぱくして言われているのに…。

すぐに彼の表情が曇る。

「あ、春香ちゃん、来たことあったんだ…。もしかしてデートだった?前に話してた、3年前の彼氏?」

春香は慌ててすぐに話題を変えたが、後の祭り。彼の表情は晴れないままだった。

そのあと、2度目のデートに誘われることはなかった。



恵子にデートの失敗談を報告すると、予想どおり説教をされてしまった。

「よりにもよって、祐也くんの話をデート相手にするなんて…。呆れた」

恵子は大きくため息をつく。

「春香は恋愛経験が乏しすぎるのよ。世の中にはたくさんの男がいるってことを知った方がいいわ」


恵子は春香を六本木に連れて行く。新しい出会いはあるのか?


永久に止まったままの時計の針


恵子は『アールツー サパークラブ』に春香を連れて行った。週末の店内は、確かに恵子の言う通り、たくさんの男たちで溢れかえっている。

春香は、外資系投資銀行の男に声をかけられたり、外国人男性にドリンクを奢ってもらったりと、それなりに六本木の夜を満喫した。

楽しそうな春香を見て、恵子も満足そうだ。

「ねえ、春香。あの人ちょっといいんじゃない?」

恵子がそっと囁いた。でも、春香は首を横にふる。

「顔はかっこいいけど、着ている服がダサいのよね。私、おしゃれな男の人が好きなの」

「オシャレな男なんて、ナルシストで厄介じゃない…?あっ、じゃあ、あっちの人は?さっき春香に声かけてたよね」

「ああ、あの人はね、話したら亭主関白ぽくて無理だった。私、かわいい雰囲気の人がタイプだから」

それまで上機嫌だったはずの恵子の顔色がさっと変わった。

「春香。さっきから言ってる条件、どれもこれも祐也君のことばっかりじゃない。一体いつまで祐也君の思い出にしがみついてるの?」

春香はムッとした。食事会にも出向いているし、積極的にデートだってしている。新しい恋をするため前向きに努力しているつもりだ。

しかし春香の胸の内はお見通しだというかのように、恵子は続ける。

「いくら食事会の回数を重ねても、そうやって心の奥で祐也君のことを思い出してる以上、次の恋愛には進めないんだよ。春香、そんなに器用じゃないでしょう」

そして春香の右手を冷ややかに見つめた。

「前から言おうと思ってたけど、そのリング、祐也君から貰ったものでしょ?そんなものいつまでも身につけてるから忘れられないし、男だって近寄らないわよ。さっさと捨てちゃいなさい」

慌てて手を引っ込めた春香に、恵子はさらに畳み掛ける。

「いい?春香がそうやってる間に、限られた20代の時間は過ぎていくんだよ。春香の時間は永久に止まったままだけど、もう3年もの月日が経ったの」

恵子の辛辣な言葉が、胸にぐさりと突き刺さる。そして春香は目を覚ました。長い眠りから解き放たれたかのように。




自宅に帰った春香は、薬指から指輪を外し、小さな箱に丁寧にしまい込む。

春香にとっては、小さな儀式のようなものだった。3年経ってやっと言える、祐也へのさよならの儀式。

結局春香は、心のどこかでずっと待ち続けていたのだ。合鍵を持った祐也が、ある日突然玄関のドアを開けて、ひょっこり戻ってくるのを。だから絶対に引越しもせず、電話番号も変えなかった。

春香は玄関の扉をぼんやりと見つめる。もう、祐也は帰ってこないんだ。

指輪を外すと、まるで足枷が外れたかのような解放感に満たされた。ずっと止まったままだった時計の針がようやく動き出したのだ。

-ごめんね、祐也。私、前に進むよ。さよなら…。

しかし、この時の春香はまだ、過去との真の闘いはこれから始まるのだということを知る由もなかった-。

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祐也への未練を断ち切ることを誓った春香。ついに理想の相手が現れる?