1984年から2007年まで、夏目漱石が千円札の肖像だった(写真:スズカケ / PIXTA)

モノ情報誌のパイオニア『モノ・マガジン』(ワールドフォトプレス社)と東洋経済オンラインのコラボ企画。ちょいと一杯に役立つアレコレソレ。「蘊蓄の箪笥」をお届けしよう。
蘊蓄の箪笥とはひとつのモノとコトのストーリーを100個の引き出しに斬った知識の宝庫。モノ・マガジンで長年続く人気連載だ。今回のテーマは「夏目漱石」。今年は夏目漱石生誕から150周年に当たる。あっという間に身に付く、これぞ究極の知的な暇つぶし。引き出しを覗いたキミはすっかり教養人だ。

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1. 夏目漱石は維新の前年、1867年(慶応3年)誕生。2017年は生誕150周年の節目の年

2. 生家は江戸牛込馬場下横町。現在の新宿区喜久井町、早稲田駅の近く

3. 夏目家は代々町名主をつとめた家柄で、生家が面する坂は漱石が生まれる前から「夏目坂」の名がついていた

4. 本名は夏目金之助

5. 8人兄弟の末っ子として誕生し、生まれてすぐに里子に出され、その後養子に出された

6. 学生時代の夢は建築家

7. 23歳頃の記録によれば身長約159cm、体重48.8〜53.2kg

8. 「漱石」とは、「負け惜しみが強い頑固者」の意味。「漱石枕流」の故事成語に由来

9. 「漱石」の筆名を初めて使ったのは、正岡子規の和漢詩文集『七草集』に批評文を書き署名した22歳のときのこと

10. 作家としてデビューしたのは38歳

日本で最も売れている文庫本は?

11. 日本で初めて印税契約をした作家である


12. 夏目漱石が千円札の肖像だったのは1984年から2007年までの23年間

13. 明治安田生命が2016年 8月に実施したアンケートでは、「千円札で思い浮かぶ人物」は1位「夏目漱石」(41.6%)、2位「野口英世」(35.0%)、3位「伊藤博文」(15.4%)で、いまだに夏目漱石の認知度が高いという結果に

14. 千円札の夏目漱石の肖像は45歳当時、明治天皇大喪を記念して撮影された写真で、黒いネクタイを着用し、腕には喪章を付けている

15. 幼少時に受けた種痘が原因で疱瘡に罹り、顔に残った痘痕が生涯のコンプレックスで、写真では修正されている

16. 2月21日は「夏目漱石」の日

17. 44歳のときに文部省より博士号授与の通達を受けたが、漱石はこれを辞退。この通達を受けた日が2月21日

18. 日本で最も売れている文庫本は夏目漱石『こころ』

19. 新潮文庫の『こころ』の発行部数は718万部。新潮文庫の漱石作品17冊の合計は3020万部を超える

20. 新潮文庫の売上による夏目漱石の人気作品上位は、『こころ』『坊っちゃん』『三四郎』『草枕』

21. 2008年夏の文庫フェアでは、集英社文庫の『こころ』の表紙を『DEATH NOTE』の小畑健が描きおろし、売上増加

22. 「ロマン」を「浪漫」と意訳したのは漱石

23. 漱石は当て字を多用した作家で、「沢山」「兎に角」「場穴(バケツ)」なども漱石が使い始めたもの

24. 「I love you」を「月がきれいですね」と訳したのはつとに有名なエピソード

25. 「忘年会」という言葉が最初に使われたのは『吾輩は猫である』という説があるが、それより100年以上前の1772年に書かれた随筆が初出という記録がある

26. 日本の小説において口語体を用いて言文一致体を完成させたことが作家としての夏目漱石の功績

27. 漱石はその生涯において17回引っ越しをしている

28. 漱石は17歳で大学予備門(のちの第一高等中学校)入学。ここで22歳の頃同窓生として正岡子規と出会う

29. 1890年、帝国大学(後の東京帝国大学・現在の東大)文科大学英文学科に入学し、93年に大学院に進学

30. 卒業後は愛媛県尋常中学、熊本の旧制五高に英語教師として赴任した

英国留学、「漱石発狂せり」

31. 熊本では新婚時代、妻の自殺未遂、長女誕生、ボートレース出場など濃密な4年を過ごす

32. 熊本時代に阿蘇山に登り、悪天候で遭難しかけたことも。この経験がのちの『二百十日』の創作につながる

33. 1900(明治33)年、文部省が派遣する国費留学生第1号として英国留学

34. ロンドンでは孤独とストレスにより神経衰弱に陥り、留学仲間から「漱石発狂せり」と報告されるほどに

35. 帰国後の精神状態が不安定な漱石に、気分転換として小説執筆を勧めたのは子規の後継者・高浜虚子

36. こうして生まれた処女作が『吾輩は猫である』。これが1905年「ホトトギス」に掲載されると大人気に

37. 『吾輩は猫である』は当初一篇で完結のはずだったが、リクエストが殺到して十一篇まで連載が続いた

38. 『吾輩は猫である』の最初のタイトル案は『猫伝』

39. 1906年には教師と作家の二足のわらじで『坊っちゃん』『草枕』『二百十日』を立て続けに発表

40. 『坊っちゃん』は物語の着想を得て書き始めるまで3日、脱稿まで約 2週間というスピードで完成させたとされる

41. 「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される…」の有名な書き出しで始まる『草枕』は、熊本で友人と旅した小天温泉が舞台となっている

42. 1907年、教師を辞め、朝日新聞社に専属作家として入社。入社1作目として執筆したのが『虞美人草』

43. 1908年からは「前期三部作」と呼ばれる『三四郎』『それから』『門』を発表

44. 『門』の題名は、連載開始を目前にして門下生の森田草平にタイトル決めを一任。困った森田ら弟子がたまたま開いた本『ツァラトゥストラかく語りき』のページにあった言葉「門」になった

45. 43歳のとき胃潰瘍となり療養先の修善寺温泉(静岡県伊豆市)で一時危篤状態に陥り、仲間や弟子が駆けつける騒ぎとなった。いわゆる「修善寺の大患」

46. 「修善寺の大患」前後のことを随筆として書き記したのが『思い出す事など』

47. この後、「後期三部作」となる『行人』『彼岸過迄』『こころ』を執筆

48. 1915年発表の『道草』は漱石初の自伝的小説

49. 1916年12月9日に胃潰瘍による腹部の大内出血により自宅で死去。享年49

50. 朝日新聞連載中だった『明暗』は、漱石の死により未完に終わった

独自の創作を貫き続けた「余裕派」

51. 漱石の葬式の受付係を務めたのは芥川龍之介

52. 夏目漱石の墓は雑司ヶ谷霊園にあり、誰でも参拝することができる。戒名は「文献院古道漱石居士」

53. 「則天去私」は漱石が晩年に理想とした境地。私心を捨て、身を天地自然に委ねて生きるという漱石自身の造語

54. 文壇の派閥に属さず、独自の創作を貫き続けた漱石は「余裕派」と呼ばれた

55. 英国から帰国後、3年間住んだ文京区向丘の家は『吾輩は猫である』の舞台であり『坊っちゃん』『倫敦塔』『草枕』の名作が生まれた漱石文学発祥の地


夏目漱石旧居跡(写真:郄橋義雄 / PIXTA)

56. 「猫の家」とも呼ばれたこの旧居跡に置かれた碑の題字は川端康成筆。近くの塀には猫の像も設置されている

57. 旧居の建物は現在愛知県犬山市の「博物館明治村」に移築・保存されている

58. 朝日新聞入社後、新宿区早稲田南町に転居、「漱石山房」と呼ばれた家で晩年の9年を過ごし、終の棲家となった

59「漱石山房」では、毎週木曜日に漱石との面会時間が設けられ、「木曜会」と呼ばれた。木曜会は文学サロンの側面をもち、芥川龍之介、内田百輭、菊池寛などが集った

60. 門下生たちは漱石の死後も親交を持ち続け、命日である12月9日にちなみ毎月9日に「九日会」を開催した

61. 『吾輩は猫である』のモデルになった猫は夏目家に住みついてしまった迷い猫。名前はなく、「ねこ」と呼ばれた

62. 猫より犬好きという説もあり、漱石は犬も飼っていた。犬の名は「ヘクトー」。トロイの英雄から名づけられた

63. 1908年、モデルとなった猫が亡くなると、墓標に「猫の墓」と書いて桜の下に埋葬、「この下に稲妻起こる宵あらん」という句を添えて友人たちに猫の死亡通知を送った

64. この「ねこ」の後、漱石は少なくとも 2匹の猫を飼った

65. 『吾輩は猫である』に登場する「芋坂の団子」は日暮里に実在する『羽二重団子本店』のこと

66. 『坊っちゃん』はこれまで 5回映画化されている。1977年版で主役を演じたのは中村雅俊

67. 『坊っちゃん』に登場する清の墓は、小説のとおり小日向の養源寺に実在する

68. 井上ひさしは『坊っちゃん』の最後の 1行の「だから」は日本文学史上最も美しく最も効果的な接続語と評した


三四郎池(写真:SUYA / PIXTA)

69. 東京大学構内にある心字池は、『三四郎』で主人公とヒロインが出会う場所として有名で、「三四郎池」の名で親しまれている

70. 寺田寅彦は漱石の門下生で、『吾輩は猫である』の寒月、『三四郎』の野々宮宗八のモデルとされている

原稿執筆に行き詰まったときの癖

71. 『三四郎』に登場する与次郎は鈴木三重吉、里見美禰子は平塚らいてうがモデルともいわれる

72. 漱石は原稿執筆に行き詰まると鼻毛を抜いて原稿用紙に並べる癖があった。これを大切に保管したのが内田百輭

73. 内田百輭は門下生というより熱狂的漱石ファン。のちに『漱石先生雑記帳』などを著した

74. 漱石が原稿執筆にも愛用していたのはオノトの万年筆。インクはセピアを好んだ

75. 漱石特注の原稿用紙は、橋口五葉デザインによりヘッドに双龍模様と「漱石山房」の篆書をあしらったもので、当時の新聞小説の版組に合わせて19字詰め。神奈川近代文学館ではほぼ原寸大に再現した原稿用箋を販売

76. 神田淡路町の老舗洋食店『松栄亭』の「洋風かき揚げ」は漱石のリクエストにより初代店主が開発したメニュー

77. 漱石は下戸であり極度の甘党。とくにイチゴジャムが大好物。『吾輩は猫である』には漱石をモデルとする苦沙弥先生が、ジャムを舐めるシーンが登場する

78. 銀座の老舗『空也』の「空也もなか」は漱石がこよなく愛した和菓子のひとつ。『吾輩は猫である』に登場する「空也餅」はこの店で年2回だけ販売される期間限定品

79. 自宅に業務用アイスクリーム製造機を所有し、病気療養先にも持ち込んでアイスクリームを作らせていた

80. 朝食はトースト、夕食は牛すき焼きが定番だった

81. 三ツ矢サイダーのルーツとなった、兵庫県の天然炭酸水「平野水」を愛飲していた。小説『行人』にも平野水が登場する

82. 『中央公論』に寄稿した「予の愛読書」のなかで、好きな作家としてスティーブンソン、メレディスをあげている

83. 漱石の俳号は愚陀仏。残した俳句は2600句にのぼる

84. 漱石は落語好きで寄席通いを趣味としていた。贔屓は初代三遊亭円遊、三代目柳家小さん

85. 漱石は能の愛好家でもあり、自らも宝生流の家元に謡を習って一時うたうことに熱中した


両国国技館(写真:のびー / PIXTA)

86. 相撲好きで、国技館で朝から最後の取組まで観戦したことも

87. 漱石の家紋は「菊菱」

88. 夏目漱石の先祖に三河武士の夏目吉信がいる。三方ヶ原の戦で徳川家康の影武者となり討死している

89. 夏目漱石は2男5女の父親

90. 第1子として生まれた長女の名は「筆子」。字が上手になるようにとの願いを込めて命名したといわれる

夏目漱石の脳は、東京大学に保管されている

91. 漱石の孫、夏目房之介は漫画コラムニストとして活躍

92. 漱石の子孫には音楽家が多く、夏目漱石の玄孫はシンガーソングライター

93. 2008年〜2009年にVISAカードのCMで夏目漱石役を演じたのは漱石の兄の孫

94. 海外の大学で最も多く扱われている日本文学は紫式部『源氏物語』、続いて夏目漱石『こころ』

95. 夏目漱石の脳はホルマリン漬けで東京大学医学部標本室に保管されている。脳の重量は1425g

96. 朝日新聞社大阪本社には漱石のデスマスクが保存されている

97. 2017年、漱石アンドロイドが登場。漱石のデスマスクをもとに再現した

98. 東北大学附属図書館には漱石の旧蔵書約3000冊や日記、創作メモなど貴重な資料を集めたコレクション「漱石文庫」が開設されている

99. 2017年11月には「漱石文庫」と仙台文学館の共催で漱石展を開催予定

100. 2017年9月24日、生誕150年を記念して、新宿区早稲田南町の漱石終焉の地「漱石山房」のあった場所に「漱石山房記念館」がオープンする

(文:森谷 美香/モノ・マガジン2017年10月16日号より転載)

参考文献・HP/『エンクロサイペディア夏目漱石』(洋泉社)、『夏目漱石解体全書』、『文藝別冊夏目漱石百年後に逢いましょう』(河出書房新社)、小学館『サライ』ホームページ、ほか関連サイト