現代を生きていたら、紫式部だってガード下で一杯ひっかけているかも?(写真 : VESPIDER / PIXTA)

「蓑(みの)のそばへ笠が寄る」という諺があるが、あるときガード下の飲み屋で騒いでいるサラリーマンたちを見て納得した。似たような者同士が集まって親しくなるというのはごく自然なことだ。しかし、集まってくるのが才能あふれるアーティストや、歴史の流れを変えた偉大な人物となると、その人たちを引き寄せた運命の気まぐれに驚いてしまう。

日本の場合、平安期を風靡した女流作家たちにも驚くほどの強いつながりが見られる。『蜻蛉日記』の著者である藤原道綱母は、紀貫之があの『土佐日記』を書き上げて間もなく生まれたが、彼女は紫式部や清少納言のちょうど親世代に当たる。兄・理能、弟・長能のほかに、姉と妹もいたようだ。

小さなコミュニティで繰り広げられる人間模様


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兄の妻は清少納言の姉で、妹は菅原孝標と結婚して、生まれた娘は『更級日記』の作者として知られている。一方、姉は藤原為雅という人と結婚。その姪がかの有名な紫式部である。時期が少しずれているものの、清少納言と紫式部はお互いの存在をかなり意識しており、また紫と和泉式部は同僚で交流があったようだ。

これだけ才能あふれる知識人が集まったら、そりゃもう芸術にまつわる高尚の話しかしないだろうと思ってしまうが、ひょっとしたらガード下に癒やしを求めてくるサラリーマンたちと大して変わらない会話を交わしていたこともあったかもしれない。

実際、『紫式部日記』には、作者が属していた小さなコミュニティの中で繰り広げられる泥沼の人間模様がはっきりと記されている。現代社会のさまざまな場面に通ずるところがたくさんあって、ページをめくりながら、平安時代の給湯室をのぞいているような気持ちになる。噂、嫉妬、悔し涙、そして時には給湯室での歯磨きのような許すまじき行為をする人も現れ、職場における大人のディープな世界がイキイキと描かれている。

日本文学の最高傑作の一つ、『源氏物語』に登場する「紫上」にちなんで「紫式部」と呼ばれるようになった大先生。後世の創造の中ではそのたおやかで感情豊かな紫上と重ね合わせられることが多いが、『源氏物語』より後に書かれた『紫式部日記』では、そのイメージとまるっきり違う人物像が浮き彫りになる。

紫式部は一条天皇の皇后彰子に仕えて女房として働いた。『紫式部日記』はこの主人の初めての出産、しかも男の子の誕生というめでたい出来事から始まる。

入内した女性が天皇の愛を受け、天皇候補になる男子を生むことができるかどうかによって、その女性の実家の男たちの運命が決まるという時代。自分がコントロールできないパフォーマンスを求められた女たちにかかるプレッシャーは尋常ではなかったであろう。

彰子の場合は状況がまたさらに複雑だった。嫁いだ当初、一条天皇は20歳ぐらいで、すでに定子という最愛の妻がいた。そして彰子は当時12歳……。しかも、定子の父親は藤原道隆、彰子の父親は、その弟である藤原道長。娘たちはいわば兄弟の権力戦争に使われた犠牲者ともいえる。

紫の鋭すぎる視点

しかし、定子が若くして命を落としたことで、彰子に子どもを生めるチャンスがめぐってくる。この時、相談役としてだけでなく、情報をくまなくキャッチし、彰子をサポートしたのが、紫式部やそのほかの女房たちだった。

『紫式部日記』は、こうした大人の事情を垣間見ることができる歴史的資料としての価値が高い。同時に、作者の洞察力を堪能ができ、女房の本音トークが炸裂する辛辣な筆致も楽しめるのが魅力だ。

たとえば、若宮が無事に生まれたものの、まだ緊張感が漂う母屋の様子の描写――。

東面なる人びとは、殿上人にまじりたるやうにて、小中将の君の、左の頭中将に見合せて、あきれたりしさまを、後にぞ人ごと言ひ出でて笑ふ。化粧などの たゆみなく、なまめかしき人にて、暁に顏づくりしたりけるを、泣き腫れ、涙にところどころ濡れ そこなはれて、あさましう、その人となむ見えざりし。宰相の君の、顏変はりし たまへるさまなどこそ、いと めづらかに はべりしか。まして、いかなりけむ。されど、その際に見し人のありさまの、かたみに おぼえざりしなむ、かしこかりし。
【イザ流圧倒的意訳】
東側にいた女房たちが殿上人と入り交じり、小中将の君という女房が、左の頭中将という殿方とすれ違ったときに、かなりぼーっとしていた。後でこれが知れて、皆が話題にして笑ったものだ。いつもカンペキにメイクをしているおしゃれな人で、その日も明け方にばっちりお化粧直ししていたけど、まあ大変だったので、涙で濡れたところは化粧が崩れて、正直、彼女だとわからなかったわ! 宰相の君も珍しいことにまるで別人みたい。自分もどうなっていたことやら。私は別にいいと思うの、みんなが動転していて、そんな些細なことなんて誰も気に留めたりはしないんだもの。

ここでも、作者が周囲の人物や状況をかなり詳細にとらえていることがわかる。平安時代は、女房たる者「ちゃんとしていないといけない」というのが鉄則だった。理由はどうであれ、見た目が乱れることは絶対に許されない。それを重々承知していた紫は、「他人事ではないわ〜」とか、「誰も見ていなかったからいいじゃないか」というような言い訳をしているが、これが逆にこの時代、容姿がどれだけ大事だったかということを表している。

それにしても、お化けのような顔をしている残念な姿を紫に見られてしまった女房2人は、1000年以上経った今でも「化粧崩れおばさん」と記録されているのだから、気の毒でしかない。そして、その瞬間を見逃さず、しっかりと文字に残した大先生……。結構意地悪な人だったのかもしれない。

「消息文」で文体が変わる謎

私はかなりひねくれた性格なので、『紫式部日記』の中で一番好きなのは、作者のちょっぴり意地悪な面がちらっと現れる「消息文」と言われる部分だ。正直にいうと、敦成親王の誕生の後に長々続く盛大なお祝い事の部分はすっ飛ばして、この消息文をゆっくりと味わうというのが、絶対にまねしてはならぬ私流の楽しみ方である。

少し硬かった文体が、ここでいきなり誰かに宛てた手紙のようなスタイルになるため「消息文」と呼ばれるわけだが、そこには「清少納言バッシング」という有名なくだりも含まれている。

文体が変わる理由は諸説ある。平安時代にはそもそもプライバシーという概念がなかったため、何かを紙に書き起こした以上、いつ、誰に読まれてもおかしくない。プライベートな手紙が正式な日記に紛れ込んでしまったとも言われているが、紫自身は読まれることを意識していたに違いない。そこで、「少しよろしいかしら……」という無邪気な顔を見せながら、周りの人についての評価をビシッと言いたい放題。さすがは大先生。さまざまな文体を使いこなし、うまい具合に自らの感情を隠したり、さらけ出したりして、チラ見の美学を極めている。

消息文は出だしから強烈で、私のように噂好きだった当時の読者も大層楽しめたに違いない。

この次に、人のかたちを語り聞えさせば、物いひさがなくや侍るべき。唯今をや、さしあたりたる人の事は煩はし。いかにぞやなど、少しもかたほなるはいひ侍らじ。
【イザ流圧倒的意訳】
いろいろと話したついでに、人の容姿とかについて書いたりしたらおしゃべりだと思われちゃうかしら。毎日顔を合わせている同僚についてとか、まさか言えないわ。厄介だもの。それに「うわ、これないわー」って思うような欠点がある人のことは言わないでおこう。

同僚についてまさか!と自分で切り出したにもかかわらず、次の瞬間から先生の鋭い視線が周囲に向けられる。文章を読み進めていくと、さまざまな人たちが実にリアルに描かれており、女房図鑑を眺めている気分になる。しかも、誰かをほめたとしても、やはり少しばかりの意地悪さは忘れない。

たとえば小大輔という女房についての記述――。

若人のなかにかたちよしと思へるは、小大輔、源式部など。小大輔はささやかなる人の、やうだいいといまめかしきさまして、髪うるはしく、もとはいとこちたくて、丈たけに一尺いっしゃくよ餘あまりたりけるを、おち細りて侍り。かおもかどかどしう、あなをかしの人やとぞ見えて侍る。かたちは直すべきところなし。
【イザ流圧倒的意訳】
若い人の中で、かわいいと思うのは小大輔や源式部とか。小大輔は小柄で、今風の美人。もともとは髪の毛がホントにキレイで、身長よりも高かったけど、今はだいぶ(髪が)抜けて分量が減っちゃっているわ。顔はバランスが取れて、「素敵な人だわ」とみんなが思う。外見は直すところないわ。

次の標的となったのは…

見た目はそれほどゴージャスではなかったといわれている紫だが、それにしては相手を完全になめているような上から目線。他人の欠点を見逃さず、ここぞとばかりにメスを入れる。自信のなさの表れでもあったかもしれない。

髪の毛の美しさは命だった平安時代。自分の最大の魅力だった髪の毛が薄れてきたときっと心配していたはずの小大輔がこの文章を読んでどう反応したのだろうか。若いのに薄毛なんて、深刻だもの。それに、最後の「かたちは直すべきところなし」って、やっぱり外見以外は何かあったのだろうかと深読みしてしまう。

1回始まったら本音トークが止まらない。

次は大斎院選子の女房、中将の君に対して毒を吐く。大斎院選子様は57年間、円融・花山・一条・三条・後一条天皇の5代にわたり在職したスーパーマダムで、彼女が率いるサロンは、定子と彰子に並ぶぐらい豪華だ。

中将の君が誰かに宛てたプライベートな手紙を何とか手に入れた紫は、そこに書いてある彰子とその女房たちの悪口に怒り心頭。他人の手紙をこっそり読んで、その行為を堂々と日記で暴露していいのか!?とドキドキするが、盗み聞き、覗き見が日常茶飯事だった平安時代なので、それほど重要なことではないらしい。

いとこそ艶に、われのみ世にはもののゆゑ知り、心深き、たぐひはあらじ、すべて世の人は心も肝もなきように思ひて侍るべかめる。見侍りしに、すずろに心やましう、おほやけばらとかよからぬ人のいふやうに、にくくこそ思う給へられしか。(中略)つねに入りたちて見る人もなし、をかしき夕月夜ゆふづきよ、ゆゑある有明ありあけ、花のたより、時鳥ほととぎすのたづねどころにまゐりたれば、院はいと御心みこころのゆゑおはして、所のさまはいと世はなれかんさびたり。またまぎるることもなし。
【イザ流圧倒的意訳】
すべて深く理解し、この上になく洗練された心の持ち主、この世で我こそ唯一無二の存在、ほかの人は中身なんぞございませんとでも思っているようだ。読んでいるうちに、下々が言う「むかつく」でしたかしら、あの言葉のとおり、不愉快な気持ちになったわ。(中略)だって、見張っている人もいない中、素敵な夕月夜、おしゃれな有明、桜が咲くときほととぎすを聞いたりして、そういうときに私も訪れたりするけど、そりゃもう大斎院様は趣味がよろしくって、まるで別世界というのは認めるよ。でもさ、雑用もないし、こっちはいろいろと大変なのよっ!

紫がそんなにムキになった理由は

大先生、ご立腹である。当時彰子は一条天皇の唯一の妻で、しかも当代きっての権力者の娘。そんなすごい人の下に働いている紫であれば、他人の嫌味や噂にそこまで反応しなくてもよかったのでは、と一瞬思ってしまう。しかし、平安はそれだけで安心できるような甘い時代ではなかった。

宮中では、たくさんの女性が教養と知識、美貌とセンスを競い合い、男性と同じぐらい権力争いを繰り広げていた。歌合わせと花見に明け暮れる楽しい生活とは裏腹に会社の看板を背負っているトップ営業マンのようなプレッシャーに毎日耐えていたのである。噂一つでもバカにできない世界だ。にもかかわらず、感情を押し殺して女らしく振る舞うことが求められていた平安の女たち――いとおそろし!

想像上の人物である紫上のように、感情豊かで、何でも完璧に近い人にはもちろん憧れるが、『紫式部日記』で垣間見られる本物の紫は、その弱みと強み、不安とプライド、悩みとストレスを(ちょっとだけ)ありのままさらけだしている。そして、私たちは人間味あふれたその素顔に心を打たれ、共感してしまうのである。

現代を生きていたら、紫だってガード下で一杯ひっかけて、1週間の「おほやけばら」なことを忘れて帰っていたことであろう。