女性の結婚率は、35歳を境に急激に下降する。

だがしかし、そんな悲観を抱くことは一切なく、麗しき独身人生を謳歌する女がいた。

恭子、35歳。

彼女が歩けば、男たちは羨望の眼差しで振り返り、女たちは嫉妬する。恭子は一体、何を考えているのか?

外資系ラグジュアリーブランドで働く恭子と、部下の周平。2人を引き離すため、周平の元彼女・瑠璃子は画策を練る。

その頃周平は、恭子とついに距離を縮めたことで、すっかり浮かれていた。




恭子さんが、確かに僕の腕の中にいた-。

六本木での夜の一件以来、僕は、まるでふわふわとした雲のうえにいるかのように夢見心地だった。

目を閉じると、恭子さんのカールした髪の柔らかい質感や、壊れそうなほどに華奢な肩を抱きしめたぬくもりが、この手にはっきりと蘇る。

あのとき、恭子さんは何を言おうとしたんだろう。

「周平君、私たち…」

彼女が何かを言いかけたそのとき、割って入るかのように僕の携帯電話が鳴った。妹からの着信だった。

「お兄ちゃん。急で悪いんだけど、今日、泊めてくれる?」

彼氏と大げんかして家を飛び出してきたと言う妹は、必死でなだめる僕の言うことには聞く耳を持たず、家の前で待ってるから、と言い残して一方的に電話を切っていった。

「私はいいから、妹さんのところ、行ってあげて」

事情を聞いた恭子さんはくすりと微笑んで、僕の手をそっと離した。

あのとき確実に、僕と恭子さんのあいだに漂っていた甘い空気。それを妹にぶち壊されていなければ…僕たちは、あの後どうしただろうか。

妹のことを恨めしく思いながらも、僕の頬は自然と緩む。

「周平さん、なに1人で笑ってるんですか?」

部下に尋ねられ、我に返る。おっといけない、今は仕事中だった。

転職して早三日がたとうとしている。新しい職場で、僕には初めての部下ができたのだ。

-僕も、恭子さんみたいに、部下から信頼してもらえる上司になるんだ。

気持ちを慌てて引き締めたが、ひとつだけ気がかりなことがある。あれから、恭子さんの連絡がないのだ。僕から送ったLINEにも既読スルーのまま。

「またすぐ、連絡するね」

そう言って名残惜しそうに僕の手をきゅっと握りしめた彼女。

僕が抜けた穴埋めのために、仕事がかなり忙しいのだろうか。そう思うと申し訳ない気持ちになった。


恭子のことを想う周平に、瑠璃子の魔の手が忍び寄る


ミーティングを終えた後、僕は店舗回りをするため外出していた。各店舗の視察と、本部の新しいアシスタントマネージャーとして、店舗スタッフへの挨拶も兼ねている。

渋谷西武店を見終え、このまま恭子さんのオフィスがある表参道まで足を伸ばしてみようと思いついた。




「周平?周平じゃない!」

恭子さんに連絡しようと携帯電話を取り出したそのとき、僕の名前を呼んだのは、瑠璃子だった。

「新しい職場はどう?元気にしてる?今日はこのあと予定あるの?」

「いや、特に無いけど…」

瑠璃子の勢いに押されて、うっかりそう答えてしまい、夕食を共にすることになった。

-恭子さんには、食事のあと電話してみよう。遅くまで残業しているかもしれないし。

僕は、そっと携帯電話をポケットにしまい直した。


踏みにじられた想い


渋谷の『タベルナアンドバール イタリアーノ タロス』で、イタリア・サルディーニャ地方の料理に舌鼓を打ちながら、僕は瑠璃子に上機嫌で語る。

「新しい職場、出だしは好調ってとこかな。部下もいい子達が多くて、よかったよ」

瑠璃子はにこにこと笑いながら、相槌を打っている。

「僕も、恭子さんが僕にしてくれたように、部下を守ることができる上司になりたいんだ」

僕が熱弁すると、それまで微笑んでいた瑠璃子が突然真顔になって、言いにくそうに切り出した。

「あのね、周平。恭子さん、周平が思っているような人じゃないかもしれない」

怪訝な顔をした僕をまっすぐ見つめ、瑠璃子は落ち着いた口調で言った。

「私もはじめは信じられなかった。恭子さんの元同僚にたまたま会って聞いた話なの…」

そして、信じられないような話をぽつりぽつりと語り始めた。

「恭子さん、女という武器を使って、今までかなり汚いことをしてきたんですって…」

瑠璃子によると、恭子さんは人事部の男を利用してマネージャーのポストまでのし上がったが、その後あっさりと彼を捨てた。彼から恨まれたことが、会社を辞める原因となったらしい。

「恭子さんって、ものすごく出世欲が強いタイプらしくって…仕事のためなら平気で人を利用して、要らなくなったらあっさりと切り捨てるみたい」

瑠璃子は悲しそうな表情で呟く。しかしすぐに慌てたように付け加えた。

「勘違いしないでね。私は恭子さんのこと、もちろん信じてるわ」

僕は『37 ステーキハウス&バー』で出会った男の言葉を思い出していた。

「相変わらずその美貌を武器にして、うまくやってるらしいな」

器の小さい奴の戯言に過ぎないと、気にも止めていなかった彼の言葉。今となっては瑠璃子の証言を裏付ける証拠として、記憶に蘇る。


周平は瑠璃子の仕掛けた罠にまんまと引っかかる


動揺している僕を気遣うように、瑠璃子は尋ねた。

「周平、落ち着いて。恭子さんといい感じだったよね?辞めた後も、連絡とってるんでしょ?」

「いや、それが…」

僕が首を横にふると、瑠璃子はハッとして口に手を当てる。

「もしかして、周平はもう部下じゃなくなったから、必要ないってこと…?」

そして、瑠璃子がその後口にした言葉が、僕を奈落の底に突き落とすことになる。

「そういえば、恭子さんキッパリ言ってた。周平のことは、私に譲るって」

結局僕は、恭子さんにとって、使い勝手の良い部下という駒のひとつにしか過ぎなかったということか。それともただ単に、からかわれただけなのか。

上司としても女性としても完璧だったはずの理想像。それがガラガラと音を立てて崩れていく。そして同時に、僕が恭子さんに抱いていた想いは、汚された。まるで誰かに土足で踏み荒らされたかのように。


罠にかかった男


六本木『メゾ』で、僕は浴びるように酒を飲んでいた。

かつての遊び仲間たちと六本木に集まるのは、ずいぶん久しぶりだ。瑠璃子が、落ち込んでいる僕を励ますために企画し、みんなを招集してくれたのだ。

「お前らって、ヨリ戻したの?」

友人が冷やかすように僕と瑠璃子を眺めてニヤついている。

「そんなんじゃないのよ。それより、周平は失恋したばっかりなの。今日はとことん飲んで皆で周平を慰めよう」

瑠璃子はそう言って僕にグラスを勧めた。




すでに何杯もの酒を飲んで足元もおぼつかない僕の隣に、友人がやってきて肩に腕を回す。

「周平、元気出せよ。俺も年上の彼女に振られたことあるから、わかるよ。したたかな女でさ、ひどい目にあったんだ」

そしてそっと耳打ちする。

「やっぱりさ、若い女の子の方が、純粋でいいよな」

彼は店内にひしめき合う20代の女の子たちを見回しながら、満足そうに頷いた。

女の子たちの色とりどりのワンピースをぼんやり見つめながら、視界が次第にかすんでいく。

「周平、起きろよ。おい、周平-」

友人の声を遠くに聞きながら、僕はテーブルに突っ伏して意識を失った。



目を覚ますと、僕はタクシーの中にいた。

飲みすぎて寝てしまった間に、皆は帰ってしまったのだろうか。瑠璃子と2人きりだ。

瑠璃子が運転手に行き先を告げている。

「このまま、恵比寿まで行ってください。2人ともそこで降ります。マンションの名前は-」

それは、瑠璃子のマンションだった。

目を覚ました僕に気づいた彼女は、優しい微笑を浮かべて、そっと僕の手に自分の手を重ねた。

-もう、どうにでもなればいい。

瑠璃子の肩にもたれかかりながら、再び押し寄せる睡魔に身を委ねた。

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このまま周平は流されてしまうのか?瑠璃子VS恭子の勝負の結末や、いかに。