バングラデシュ・ウキアのクトゥパロン難民キャンプで、水浸しになった道を歩くロヒンギャ難民(2017年9月30日撮影)。(c)AFP=時事/AFPBB News

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【AFP=時事】ミャンマー西部ラカイン(Rakhine)州のイスラム系少数民族ロヒンギャ(Rohingya)の武装組織「アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)」の指導者アタ・ウラー(Ata Ullah)氏は、敵から見れば、ミャンマー治安部隊を相手に戦いを挑み数十万人のロヒンギャに計り知れない苦しみを与えている向こう見ずな素人だ。

 一方、ARSAの支持者にとってウラー氏は、サウジアラビアでのぜいたくな生活を捨て、国を持たないロヒンギャを守るため圧倒的に不利な戦いに挑んでいる大胆不敵な戦士だ。

 ミャンマーを拠点に活動している独立系アナリストのリチャード・ホーシー(Richard Horsey)氏は「彼には非常にカリスマ性がある」とAFPに語った。「(ロヒンギャの)コミュニティーが感じている不満に共鳴するような発言をしている」

 ウラー氏は8月にミャンマー西部ラカイン州で起きたARSAによる襲撃事件を命じたとされている。死者も出たこの事件を受けて治安部隊は激しい掃討作戦を開始し、その影響で50万人を超えるロヒンギャ難民が隣国バングラデシュに脱出した。

 ウラー氏が最初に注目を集めたのは昨年10月。イスラム教徒と仏教徒の宗教対立が長年くすぶっているラカイン州の国境検問所で待ち伏せ攻撃事件が発生して死者が出た後、ウラー氏がARSAの同州での活動開始を宣言する動画がインターネット上に投稿された時だ。

 ウラー氏に近い複数の関係者がAFPに語ったところによると、ウラー氏の年齢は30代前半で、末端組織を寄せ集めたネットワークを監督しているもようだ。こうした末端組織は簡単な軍事訓練を受けたメンバーで構成され、棒やなた、わずかな銃で武装しているという。

■サウジでの厚遇

 ウラー氏はパキスタンの港湾都市カラチ(Karachi)の中流家庭に育った。AFPが親族を取材したところによると、父親はカラチの名門イスラム神学校に学んだ後、一家を連れてサウジに移住。リヤド(Riyadh)で教職に就き、続いてターイフ(Taif)でも教えた。

 サウジ在住時のウラー氏は、モスク(イスラム教礼拝所)で聖典コーランを朗誦して現地の富裕層の目に留まり、子どもたちの家庭教師を依頼された。間もなく富裕層の内輪の集団に招かれるようになり、深夜のパーティーや豪華な狩猟旅行を楽しんでいた。

 しかし、2012年にラカイン州で仏教徒とイスラム教徒の衝突が発生し、ロヒンギャを中心に14万人が避難を余儀なくされたのを契機に、ウラー氏はミャンマーでの戦うため、サウジでの快適な生活を捨てた。

■過激派への不信感

 まずウラー氏はパキスタンに戻った。2012年に移動中のウラー氏とカラチで会ったというイスラム武装グループの関係者3人によると、同氏は豊富な資金を持っており、パキスタンで銃と戦闘員を調達して有力なイスラム過激派グループによる軍事訓練を行う考えだった。資金の出所は、サウジの富裕層やサウジ在住のロヒンギャのようだったという。

 ウラー氏は、アフガニスタンやパキスタンのタリバン(Taliban)、カシミール(Kashmiri)の分離独立を求めるラシュカレトイバ(Lashkar-e-Taiba、LeT)といった過激派組織とつながりを持つ人物らに接触し、大金を提示して支援を要請したものの、無駄に終わった。パキスタンのイスラム過激派の大半は、ウラー氏の依頼を鼻であしらったり、あからさまに無視したりといった反応を示し、同氏から武器調達資金として渡された金を着服した者もいた。

 パキスタンのタラット・マスード(Talat Masood)退役中将は、「さまざまな過激派がビルマ(ミャンマー)でのジハード(聖戦)を呼び掛けているのは、イスラム教徒から共感を得たいがための売名行為に過ぎない」とコメントした。

 2012年にパキスタンでウラー氏を見かけた複数のイスラム武装グループの関係者によると、同氏はロヒンギャの苦境に口先では同情しながら具体的な協力になると難色を示したイスラム過激派に根強い不信感を持つ、熱心な民族主義者になってパキスタンを出国した。

 専門家らは、ウラー氏が公然と掲げているミャンマーのロヒンギャを守るという目標が裏目に出ていると警鐘を鳴らしている。ホーシー氏は「人々の人権を守ろうとしているというARSAの主張を信用するのは非常に難しい」と述べ、ARSAは「おそらく(ロヒンギャの)人たちにとって史上最悪の危機を引き起こした」と指摘した。
【翻訳編集】AFPBB News