山本耕史さんと志尊淳さんが共演する、話題のドラマ『植木等とのぼせもん』の原作者である喜劇人・小松政夫さん。植木等さんのつき人兼運転手を経て、1961年に始まった伝説のバラエティー番組『シャボン玉ホリデー』でデビューし、コメディアン、タレント、俳優、声優として活躍し続けてきました。ある年代以上の人なら、伊東四朗さんとのコンビで一世を風靡した「デンセンマンの電線音頭」や「しらけ鳥音頭」の“あの人”として、当時の活躍ぶりを思い出すのではないでしょうか。当時は、子どもたちがテレビのマネをして、教室の机の上にのぼって電線音頭を踊ったほどの影響力がありました。


御年75歳でありながら、最近もドラマ『やすらぎの郷』にも出演し、今もパワフルに仕事をこなして現役であり続けているのがスゴい! そんな小松さんが「もはやアタシが書いて残しておかないと、いけないのかもしれないね」と、10年ぶりに筆をとり、書き上げた半生記『時代とフザケた男〜エノケンからAKB48までを笑わせ続ける喜劇人』(扶桑社刊)。そこには昭和の芸能を華やかのものにし、時代を築いたスターたちの、知られざる素顔が記されています。

なかでも印象的なのが、吉永小百合さん、桃井かおりさんという、ふたりの大女優の話です。まったくタイプの違うおふたりについて、小松さんならではのエピソードを教えていただきました。桃井さんのエピソードには、意外な形でタモリさんも登場しますよ!児玉清さんとの小競り合いを仲裁してくれた吉永小百合さん

小松さんは学生時代から女優の吉永小百合さんのファンで、映画館にも足しげく通った自称“隠れサユリスト”。小百合さんが主演するドラマ『花は花よめ』で共演できると知った小松さんは「エライ!あんたはエライ!」と、キャスティングしてくれたエライ人に心から感謝したのだそう。

「小百合さんはね、険しい山頂に咲く可憐な百合の花なんですね、霞がうっすらかかっている。アタシたちは、遠くから見え隠れする百合の花を眺めて、きれいだなあって遥かに思うの」。『花は花よめ』には、小百合さんの相手役として、今は亡き児玉清さんも出演していました。しかし、楽屋でのちょっとしたできごとから、小松さんと児玉さんは撮影前にピリピリした間柄になってしまったそうです。そして、二人の差し向かいのシーンの撮影が始まりました。「やりづらいなーなんて思ってたら、本番前に児玉さんが小さい声で言うんですよ。『君は僕に何か文句でもあるのか?』って」。しばし大人のにらみ合いに…。緊張した空気をやわらげたのは、なんと吉永小百合さんでした。

「『小松さん、児玉さん、もうよろしいですか?』と“可憐な百合の花”が山から霞まとって下りてきたの、健気に微笑んでさ。アタシも児玉さんもイタズラ坊主と学級委員のケンカをさ、クラス一の美少女に止められた体になっちゃってさ。ヨーイスタート!で芝居を再開したら、コレがいい掛け合いで。カットがかかったら二人で照れ笑いの握手となりました。小百合さんはそういう空気をもっているんだよね」。タモリさんの思わぬ「出産祝い」に、桃井かおりさんもびっくり!

1970年代に放送されたドラマ『前略おふくろ様』では“恐怖の海ちゃん”役の桃井かおりさんと共演しました。
「桃井かおりさんは、キャラがもう一人歩きしていたよね。というか、倉本聰さんの脚本に忠実なだけではなく、脚本に羽が生えて飛び回っているように感じられたほどだった」。自由奔放でいい加減でマイペースな女性という、当時としては斬新なキャラクターを見事に立体化してチャーミングに演じきる姿は鮮烈だったとか。

「その後も共演する機会があって、いつしか(みんなのたまり場だった)アタシの家の常連になっていったんですよ」。小松さんにお子さんが生まれたときは、出産祝いにゆりかごをプレゼントしてくれたそうです。
「そのとき、ちょうどタモリも遊びに来ててさ、『じゃあワタシは子どもをあやします』って、タモリがやおらズボンを脱いで、赤ちゃんにまたがって『ほら、ガラガラ〜』って子どもの顔の上で腰をふったんだよね」。小松さんも桃井さんもひっくり返って大笑いをしたそう。なんとも平和で、ある意味すごいエピソードです。


今も一線で活躍するスターたちの、意外な素顔が満載の小松さんの著書。昭和の芸能を振り返りながら読んでみてはいかがでしょうか。

【小松政夫さん】
1942年1月10日、福岡県博多生まれ。日本喜劇人協会会長(第10代)、コメディアン、タレント、俳優、声優。長い芸歴と広い交友関係をもち、シリアスもアチャラカもこなせる、芸能界の貴重なバイプレーヤーである。近著に『時代とフザケた男〜エノケンからAKB48までを笑わせ続ける喜劇人』(扶桑社刊)がある

<取材・文/ESSE編集部>