中秋節が近づく中、マーケットをそぞろ歩きすると、店頭には珍しい商品が目に飛び込んでくる、その品種も多い。写真は中国の月餅。

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中秋節が近づく中、マーケットをそぞろ歩きすると、店頭には珍しい商品が目に飛び込んできて、その品種も多い。メーカーは主力商品の店頭配置にも神経を使っているようだ。商品はタバコ、お茶から月餅、サプリメント製品に至るまで、工夫を凝らしたパッケージはどれも豪華だ。すでに中秋節商戦が始まっている。

しかし、商品の品質は実態と異なっている。過度なパッケージ現象はどこでも見られる。月餅で見ると、立派なマホガニーに彫刻を付した容器を開け、シルクで覆った装飾を引き裂くと、中には拳大の月餅がたった2個あるだけだ。まさに「容器を買っているのか?宝石を買っているのか?」の感覚に陥る。

実用的で、頃合のいいパッケージは、消費者にとっても便利で商品の付加価値を引き上げることにもなるが、一旦パッケージを購買者獲得手段とした場合、材料の過度な消耗、過大な容積、使用材料の高級化、贅沢で派手な装飾は、商品本体の価値をはるかに超えた「本末転倒」な話である。

その実、多くの豪華なパッケージは見るだけで、使用することはないようだ。最後には廃棄され、結局資源の浪費や環境汚染へと繋がってゆく。特に多用される包装用のスポンジや発泡スチロールは分解も難しいためゴミ処理に甚大な影響をもたらしている。実は、現在中国の都市生活ゴミの3分の1はパッケージ(包装)ゴミが占め、パッケージ(包装)関連廃棄物は全固形廃棄物の50%に達する。

長期にわたり、過剰パッケージは幾度も非難されてきているにも関わらず、どうしてこの「習慣」を変えることができないのか?と思いを巡らす。おそらく生産者が意図的に「事を大きく」させていると勘ぐりたくなる。どうも人の目を奪う手の込んだ外観と華やかな装飾で、大量の商品の中から自社製品を選んでもらおうとしているのだ。パッケージの豪華さは商品の等級とステータスを引き上げ、さらに企業の利益増加をもたらす、これがビジネスロジックの背景と思われるが、筆者には理解し難い。

メーカーの懸命な利益獲得活動を除き、最も根本的なものは、中国特有の「面子」を高額に購入するという理性を欠いた消費観念にある。一般家庭で購入する商品の多くは頃合がよく廉価なもので、決して高級パッケージを追求している訳ではない。過剰なパッケージの商品は、マーケットで土産物、贈答品として消費されているだけである。豪華な贈答品を抱えた消費者は「自己の面子」が保たれたといった感覚であろう、商品の品質には全く関心がなく、「高額で大きい」ことが中国人のメンタルで最も重要な要素だ。面子と虚栄心の社会心理の影響もあり、「過剰パッケージ」は市場で不可欠のようだ。

メーカーは巧みに一部消費者の「見栄張り」を利用することで利益を上げ、過剰なパッケージ競争は止まることはない。良品より見た目豪華な製品を求める独特の悪性循環を生み出している。特別なパッケージ商品は価格面で通常パッケージの数倍にも達するが品質は数倍良いと言う訳ではなく、最終的に「バカを見る」のは消費者だ。「一流包装、三流商品」に心血を注ぐ企業は商品の「中身」は希求せず、あくまで「面子」の上下のみにこだわっている。こうしたことは結果的に中国製品のブランド成長を阻害している。

過剰パッケージは環境と人心も汚染する。高額な「面子」は緑色・低炭素社会には全くそぐわな消費観念だ。古い習慣を改めつつ、メーカーと消費者は負うべき責任をしっかり認識することが求められる。

■筆者プロフィール:内藤康行
1950年生まれ。横浜在住。中学生時代、図書館で「西遊記」を読後、中国に興味を持ち、台湾で中国語を学ぶ。以来40年近く中国との関わりを持ち現在に至る。中国の環境全般とそれに関わるビジネスを専門とするコンサルタント、中国環境事情リサーチャーとして情報を発信している。