ピッチ内外でマルチに活躍するDF柳川雅樹【写真:小川由紀子】

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日本の駐在員によって作られたクラブが前身

 今季から正式なプロリーグとして立ち上げられたフィリピン・フットボールリーグ(PFL)。全8チームによって争われるこのコンペティションには、日本人が中心となっているJPヴォルテス・マリキナというクラブも参戦している。去る8月、元U-20日本代表選手などがプレーする同チームを直撃した。(取材・文:小川由紀子)

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 今年から新たに正式なプロリーグとして立ち上がったPFLこと、フィリピン・フットボールリーグ。全8チームからなるPFLに、JPヴォルテス・マリキナという、日本人を中心としたクラブが参戦している。

 日本の駐在員たちが作った『マニラ・オール・ジャパン』が前身のJPヴォルテスは、昨年までのUFL(ユナイテッド・フットボールリーグ)時代に2部から1部に昇格すると、首都マニラに隣接するマリキナ市のフランチャイズとしてPFLの創立メンバーに加わった。

 オーナーは、フィリピンで事業を行っていた日本人の永見協氏。永見さんは「学校をさぼっては駒場グラウンドにサッカーを見に行っていた(笑)」という、生粋のサッカーファンだ。

 現在は貧困層の子供たちを支援するNPO法人のフィリピン代表も務める永見さんは、フィリピン人がサッカーで成功することを支援する一方で、海外でプロサッカーに挑戦しようという日本人選手もサポートしている。よってJPヴォルテスでは、外国人枠4名はすべて日本人、フィリピン人枠でプレーできる日比ハーフの選手が4人、他はフィリピン人選手で構成されている。

 現メンバーの日本人選手で最古参の小田原貴選手はチームキャプテン。東京農業大学のサッカー部出身で、大学では造園を学んでいた。フィリピンでプレーしていた大学の先輩が日本に帰国した際に今のクラブの関係者を紹介してくれて入団に至った。

「日本人のクラブなので苦労はなくて、暮らし自体も、ちょっと怖さはあったけれど来てみたら大丈夫で、とくに不自由な部分はなくて3年目になります」

 24歳と若いが、あまり動じないところが頼もしい。入団初年度は、常に上を目指そう、という意識があまり見えないフィリピン人選手たちにジレンマを感じていたというが、自分も歳を重ね、年上の先輩たちの落ち着きを見ているうちにどっしり構えていられるようになったという。

 今季の目標は、プレーオフに進出して、決勝戦に残ること。決勝まで残った2チームに来季のAFCカップ(AFCランク15〜28位に位置する国々のクラブが参加するAFC主催の国際大会)出場権が与えられる。

「AFCカップ出場権をとって、いままでさんざんお世話になっている永見さんに恩返ししたいんです」と笑顔で話す。

U-20代表では香川、内田らとプレーした柳川雅樹

 昨季のリーグベストDFに選出されたCBの柳川雅樹選手は、ヴィッセル神戸やヴァンフォーレ甲府に所属し、U-19、U-20日本代表では香川真司や内田篤人とチームメイトだった。

 観戦した試合でも、バックラインから抜群に精度の高いロングパスを何度も繰り出し、守っては相手のシュートチャンスをナイスタックルで阻むなど、リーグベスト納得の仕事ぶりだったのだが、柳川選手はピッチ外でのパフォーマンスも超級だった。

 フィリピンのサイトとは思えないほど(失礼)更新の早いJPヴォルテスの公式HPは柳川さんの手によるもの。クラブに取材の依頼をしたときも迅速な対応に感動していたら、返信してくれていたのは彼だった。

 その他練習グラウンドの予約から、スケジュールの管理、試合ビデオの編集、さらには協会との連絡係もこなしているというからすごい。新しい選手が移籍してくると、宿や交通の手配までするという。マリキナ市とフランチャイズ契約をするときに、市長と折衝したのも彼だったというから驚いた。

 すべては「フィリピンに、自分がイメージするプロクラブを作りたかった」という思いから。毎日の練習プログラムを組み立てるのも柳川選手の仕事だ。

 日本でいろいろな監督についたことで培ったノウハウに加え、テレビで海外サッカーを見て「このクラブのこのシステムを採用してみようか」などと采配の参考にしたりもしているそうだ。

 昨年夏に久々に再会したという、香川選手や内田選手の動向を見守っては刺激をもらっているという。

「何かあったら彼らの映像を見て、『負けちゃいけないな、簡単にはやめられないな』、と」

 30歳の柳川選手はあと数年、現役選手として活躍してくれると思うが、その後どの道に進もうと、指導者や運営側の実務にまで広く携わったこの経験は間違いなく役に立つだろう。このような経験ができるのも、未開の小規模リーグの醍醐味だ。

「このチームやフィリピン人に何か残したい」

 問題点が山積みの、産声を上げたばかりのフィリピンリーグで、柳川選手は日々奮闘している。

「フィリピンリーグの未来は明るいと思います」

 ストライカーの上里琢文選手は京都サンガや琉球FCでプレーした後、海外でプレーしたいという思いを叶えてオーストリアへ。その後日本へ戻り、「これでダメなら引退しよう」という覚悟でJ2クラブのトライアルを受けたが不合格……だったのだが、沖縄時代の知人に「まだ辞めるな」と永見さんを紹介された。運命が、『まだやめどきではないよ』、と言っていたかのようだ。

「外国人枠は、結果を残さないと半年後は居場所がなくなる厳しい世界です。でも逆に結果さえ出せばチームメイトにも認めてもらえる。それに自国語ではない所にいる分、サッカーだけに集中できるのが心地いいと感じます」

 上里選手がマッチアップするセンターバックは、各クラブとも精鋭の外国人選手を揃えていることが多く、パワフルなアフリカ系選手相手にプレーすることで、「パワーでは勝てないので他のやり方を工夫したり、自分の引き出しがどんどん増えて行くのを感じる」と充実感を口にする。

 入団初年度の昨シーズンは15得点、今季もすでに12得点で得点ランク首位に立つ上里選手にフィリピンリーグで得点を決める難しさを聞くと意外な答えが。

「PKとか一対一とか、『決めて当たり前』というシンプルな場面になればなるほど難しい。自分でドリブルで持っていって決めるといった場面のほうが決めやすかったりします」

 フィリピン人選手は、育成不足のためゲーム自体を理解していない選手が多いというが、身体能力はすこぶる高く、「ちょっと太っているおっちゃん体型の選手でも平気でバック宙しますからね(笑)。良い素材はいっぱいいます。今季からチームも絞られて、レベル自体は上がった。フィリピンリーグの未来は明るいと思います」と明るく語ってくれた。

洗濯機もない環境で毎日自分のユニフォームを洗濯

 ベガルタ仙台や横浜FCでプレーした大友慧選手は、『バガボンド』に出てくるワイルド侍のような風貌ながら、陽気なフィリピン人の気質ももつハーフプレーヤー。

 30歳を超えたとき、日本代表を目指すのは難しいとフィリピン代表を考え、(フィリピン代表の)佐藤大介選手を紹介してもらい、新たな道が拓けた。

「2つの選択肢があるのはありがたいことだな、と。母の祖国のこともほとんど知らなかったのでこの国のことも知れる。国際試合に出る、この歳になってそういう目標がもてることは素晴らしいことだと思っています。可能性があるならそこを目指してやりたい」

 インドネシアでは、常にスタジアムに3?4万人入る熱狂ぶりを体験。タイやミャンマーでもプレーし、2年間のブレイクを経て3ヶ月ほど前から復帰した。「キレを取り戻さないと」と日本人の栄養管理士さんの指導のもと、食生活改善に取り組むストイックなFWだ。

 大友選手は、今後のフィリピンサッカー界に必要なものとして、「プロ選手として集中できる環境、サッカー選手を価値がある存在にすること、それに13歳くらいから基礎技術を学ばせることが重要」だと話す。

「技術、戦術、スポーツ選手のためのフィジカルや食事など、いろいろな面で、プロ選手としてプレーする前の段階でやることはたくさんある。そのあたりをどう整備していけるか」

 下野淳選手は、サッカーカレッジの留学制度を利用してシンガポールに渡り、アルビレックス新潟シンガポールでキャリアをスタート。ミャンマーやモルディブのクラブにも所属した。

「シンガポールに行った時点で、日本に戻るつもりはなかったです。東南アジアでやっていこうと決めて。プレッシャーは国によって全然違いますし、また別の厳しさはありますが」

 レベルや環境の問題で、自分が理想としているサッカーができない、というジレンマは、「たぶんみんな抱えながらやっていると思う」と話す。プロ選手、と一口に言っても、ミャンマーやモルディブと日本では環境はまったく違う。洗濯機もない環境で毎日自分のユニフォームを洗濯し、日本人が誰もいない土地でWi-Fiもない中で暮らす。

「でもローカルの選手と仲良くしてなんとかやれる。会社から派遣された駐在員さんたちのようにいろいろ約束されている中で仕事をする、というのもありますが、それとは別の、サッカーだけで色々なところへ行けるというのはおもしろい。

 海外に住んで、かつ自分が情熱を注げることを仕事としている。こうやって続けてこられたのはラッキーだった。20代は苦労した方がいいと言いますよね。いま29歳なので、ちょうどよかったかなと(笑)。まだまだ違う国でやっていきたい」

サッカーを職業に異国で生活という人生経験

 どの国に良いエージェントがいる、どのリーグの運営がきちんとしている、といった情報は、いったんこの『東南アジア・サッカー・サーキット』に入るとまわってくるようになると彼らは言う。

 そこで得た情報をもとに、自分でエージェントを探して次の道を探っていく。契約を破られるような理不尽なことがあっても、必要以上に気持ちを乱すことなく冷静に解決策をたどっていく。

「しょうがないことはしょうがない。それにまどわされていても無駄。ときに最悪だ、と思うこともあるけれど、それはそれで受け止めてやるしかない(笑)」と皆どこまでも前向きだ。

 彼らは本当に楽しそうだ。『仕事』であるサッカーにはあくまで真剣に向き合う。試合の後も、内容について熱く意見を戦わせていた。しかしそこにプラスして、異国での生活というアドベンチャーも味わっている。

 ただ、それは誰にでもできることではない。日本のラーメン屋さんにカレー屋、トンカツ屋もあるフィリピンのマニラは、食生活には困らないし、日本人には暮らしやすいところかもしれないが、治安の問題や、日々の暮らしで対面する不便さは日本の比ではない。

 上里選手は、一人で歩いているとき暴漢に後ろからネックレスを毟り取られる怖い経験もしているし、下野さんは、ミャンマーとモルディブでは給料未払いにあい、いまだ交渉中だという。

 それでも、何があっても「郷に入れば郷に従え」と乗り切れる精神的タフさと柔軟さがあるから、彼らはこうして満喫することができている。その生活で得たユニークな体験は、現役を終えた後の人生にも大きく役立つだろう。

 フィリピンは、日本からは4時間程のフライトで時差も1時間と、距離感も魅力的だ。PFLになってからは、外国人選手は、自国でプロリーグ経験がある(FIFAランク1?50位までの国は1、2部、50位以下の国は1部のみ)か、U-23以上の代表経験があることが条件となるからハードルは上がってしまったが、サッカーを職業に異国で生活という人生経験は、サッカー選手にとって、ひとつの魅惑的なモデルであるような気がした。

(取材・文:小川由紀子)

text by 小川由紀子