苦しみの先に見えるものがあります(写真:ipopba / PIXTA)

終活をしなければ、死んでから起こる3大衝突

日本の総人口がピークを迎えた2008年の翌年に、「終活=人生の終わりのための活動」というキーワードが流行しました。

終活の主な内容は、自分が死に際して、残された家族・親族に争いが起こらないよう、生前から準備しておく活動で、主なことは「相続・葬儀・墓」の3つといわれています。相続ならば遺言状の作成、葬儀なら規模やどんな葬儀にしたいかの決定、墓ならば事前に墓地を購入するか、納骨堂や合同禮で弔うのかなどになります。

こうした準備をしておかないと、残された親族は、それこそ骨肉の争いに発展するケースもありえます。

たとえば、生前に葬儀は質素なものでいいと伝えていても、家族葬でいいのか、一般葬として、生前親しかった方までお呼びするのか範囲もさまざま。また、多くの方がそうですが、葬儀社を決めていなければ言い値で費用はかさむばかり。そうかといって、親戚の目もあり費用をケチるわけにもいきません。

もしお墓がなければ、事前に購入しなければならず、永代使用料+墓石の平均価格は、全国で196.37万円。東日本で203.50万円、西日本で174.35万円という統計があります(2014年度「お墓の価格相場一覧」より)。

最後に、相続係争については、大方の人がどんな争いになるのかは想像がつくでしょう。

人はいつ死ぬかわかりません。例外はありません。

終活は、こういったことに煩わされずに、残された家族・親族、友人が純粋に故人を偲んでもらうために必要なことなのです。

しかし、終活はこうした実際的なことだけにとどまりません。後悔の念を抱いたままこの世を去ることは、死ぬ間際まで襲ってきます。

今は健康に過ごしていても、いつ病気に見舞われるかわかりません。もし「余命1年」と宣告されたら、それは“魂の痛み”としてその人に襲いかかってきます。

がんなどの病気にかかると、多くの人がこの“魂の痛み”を感じます。この痛みは、治療後の痛みや後遺症で今までできていたことができなくなってしまう「身体的苦痛」、治療費やこれからの生活に不安を抱く「経済的苦痛」、家族や周りの人に迷惑をかけてしまうという「社会的苦痛」とは別の痛みです。

「死ぬことが怖くて不安でしょうがない」

「孤独でつらい」

「自分の世界が壊れたみたいで生きていることが苦しい」

「自分の生きる意味や価値がわからなくなった」

「なぜ自分だけこんなつらい苦しみを味わわなければならないのか」

「家族と二度と会えなくなると思うとつらい」

このような「生きる意味」を問う感情は、終末期患者が抱く症状で、「スピリチュアルペイン」と呼ばれています。こうした“魂の痛み”は、死を意識した瞬間から生じるもので、人生で必ず誰もが一度は経験するものなのです。

魂の痛みとどう向き合い、どう克服していくのか?

人世を穏やかに過ごすために、そして「いい人生だった」と思ってこの世を去るために、スピリチュアルペインをどうやって乗り越えていけばいいのか。

拙著『こころの終末期医療』で詳しく解説していますが、実は、私自身がこのテーマに取り組んだ転機がありました。実は脳梗塞などで3度の手術を経験し、私自身がこのスピリチュアルペインを感じたからでした。言い換えれば、自分自身が抱いたスピリチュアルペインを乗り越えようと、取材の旅に出たのです。

私は痛みの正体を知るべく、聖路加国際病院で終末期医療に従事しているチャプレン(牧師)のところへ赴きました。そこでは、さまざまな患者たちの魂の叫びを知ることになったのです。

諍(いさか)いがあった子どもと和解をすることを望む人、残される家族の心配をする人、仕事での後悔をする人、自分自身を認められないで苦しむ人、死にたいという思いにとらわれている人など、彼らは患者の話にただ傾聴し、患者の魂の声が発せられるまでそばに寄り添います。そして、彼らの魂の叫びを知ったとき、そっと患者の心を癒やすのです。

結局、心の救いは自分自身が見つけ出し克服していくしかありません。それは、人生における最期の活動ともいえるのです。

取材で悟った生きる意味

スピリチュアルペインという心のケアをする現場では、科学的な医療技術ではなしえないケアが取り組まれています。さらに、残される家族の心の痛みも同時に緩和していくグリーフケアも行っています。こうした緩和ケアは「スピリチュアルケア」といわれ、さまざまな理論も存在します。

そのなかで有名な「村田理論」は、スピリチュアルペインを人間存在の「時間性」「関係性」「自律性」という3つの次元から分析し、これらの喪失から“魂の痛み”が生じるとしています。

私はこの3つの軸に沿って、スピリチュアルペインの正体と、それを克服していった方たちをかつての取材から思い起こしました。現在でもそれぞれの次元を克服して活躍されている方、亡くなりはしましたが最期にはそれを乗り越えて人生を全うした方など、彼らは私に生きる意味を教えてくれました。

・参議院議員の三原じゅん子さん

・元横浜ベイスターズ投手の故・盛田幸妃さん

・女優の音無美紀子さん

・華道家の假屋崎省吾さん

・俳優の故・萩原流行さん

・元NHKアナウンサーの山川静夫さん

・日産GT-R開発者の水野和敏さん


彼らは、「時間性」「関係性」「自律性」の喪失というそれぞれの痛みを見事に克服していきました。彼らの乗り越えていく過程は、人生の幸福、生きている意味や価値を獲得できるヒントとなりました。終末期ケアの現場やかつての取材を通じて、死を迎える前にスピリチュアルペインを少し乗り越えられたのではないかと思っています。

今年7月に亡くなった聖路加国際病院の日野原重明名誉院長は、よく「看護はアート」と述べていたといいます。日野原さんは晩年、自分や周りに対して「死をどう生きるか」という問いを発し続けていました。誰もが死に向かう人生を、最期のときにどう結実させるかという意味だと語っていたそうです。

相続・葬儀・墓ももちろん大事ですが、終活で最も忘れてならないのは、実は自身の「心の終活」なのです。