重慶師範大学渉外商貿易学院(ネット写真)

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 重慶師範大学渉外商貿易学院の譚松教授が、大学から突然解雇された。譚氏が中国共産党の隠された歴史を研究対象にしたことが原因とみられる。

 譚氏は、太子党(親が党幹部)という身分でもあり、同大学で助教授職に最年少で就任した研究者だ。しかし、今年7月夏休み中に突然解任を通告された。大学側は通常の人事調整だと説明したが、同氏が大学と交わした契約によると、雇用期間は2年も残されていた。同氏の講義は学生からも好評で、解雇される理由はどこにも見当たらなかった。

重慶師範大学渉外商貿易学院の譚松教授(ネット写真)

 譚氏は大紀元の取材に対し、2つの解雇理由を挙げた。1つは「大学当局の求める『正確な路線』に沿って講義しなかったこと。つまり真実を口にしたこと」。もう一つは、中国の土地改革運動を調査したことだ。

 土地改革運動は、共産党が政権を取ってから間もなく「地主階級による土地所有制度を撤廃し、農民が土地を所有する」という名目で、1950年から1953年にかけて中国全土で推し進めた土地の略奪運動である。

 数年前、譚氏は香港中文大学で、四川省東部で行われた土地改革についての講演を行ったが、この時に中国共産党史の暗部に触れ、大きな反響を得た。だが譚氏の勤務する大学にとってはこれが大きな圧力となった。今年に入り、土地改革をテーマにした小説『軟埋』が引き起こした論争に譚氏が関与したことも、大学当局を不快にさせた。

 譚氏は、中国共産党政権の成立後の歴史的事実について、10年以上も調査を続けてきた。かつて四川省東部の長寿湖付近に住んでいた右派や、同地域で行われた土地改革、大邑県劉文彩荘園収税院の泥人形展示についての調査を行ったことでよく知られていた。だが譚氏はこれらを行ったことで、7回も職を追われ、投獄された経験もある。

「右派」の調査研究をまとめたため 「国家政権転覆罪」で投獄

 譚氏は、「私が右派の調査をするようになったのは当然の成り行きです。私はその右派の家に生まれましたから。私の父は長寿湖労働改造所で4年間も労働教育を受けさせられました。父と共に迫害を受けた人々も、そこで何十年も過ごしていました」と自身の出自を語った。

 調査にあたり、譚氏は10か月間、完全に収入の途絶えた状態で8回にわたり船をチャーターして、当時を知る人々を探し求めた。3年の月日をかけて完成した50万字もの大作『长寿湖―1957年重庆长寿湖右派采访录(長寿湖-1957年重慶長寿湖右派へのインタビュー記録)』には、綿密な聞き取り調査によって裏付けられた、当時の様子が詳細に記されている。

 だが、その見返りに譚氏が得たものは、投獄という悲劇だった。2002年7月2日、当局は譚氏が「社会暗部の資料を収集した」として、「国家政権転覆罪」を適用して同氏を39日間投獄した。

「土地改革」の調査で 人々の根深い恐怖心を実感

(China Photos/Getty Images)
 

 「地主をめぐりいったい何があったのか、全く知りませんでした。私の世代にあの時代を生きた人はいませんでしたから」後に、譚氏は数年間を農村で暮らし、大勢の農民と交流したことで、真相は当局の発表と全く違うことが分かったという。このことが、譚氏が歴史に隠された真実を明らかにしたいと思うようになったきっかけとなった。

 四川省重慶地区の土地改革に関する同氏の調査は、2003年から始まった。

 「中華民族に、この時代のような悲惨な過去があったとは。恐らく、誰も想像することなどできないでしょう。人間の想像が及ぶようなものではないのです」

 雑誌『開放』によると、譚氏は香港中文大学での講演会で、土地改革で最もむごたらしく恐ろしい行為は、土地改革推進派が地主に金銀財宝を差し出すよう強要し、それが叶わなければ、あらゆる陰惨な手段を使って地主やその家族に次々と拷問を加えたことだったと述べている。

 例えば、真っ赤に焼けた炭を詰め込んだ鉄桶を背中に負わせる、熱した鉄パイプを無理やり握らせる、頭を縄で縛って吊しあげる、女性のズボンを脱がせて火であぶる、頭の上に粘土で丸く土手を作って、中にキリ油を入れて火をともす、両手を合わせて縛り付けて中にキリ油を注いで火をともすといった極めて残忍なものだった。

 調査が進むにつれ、想像を絶する理不尽な苦難や暴力が彼らを襲ったということの他に、譚氏が最も心を締め付けられたのは、彼らの心に植え付けられた「恐怖」についてだった。「こうした”恐怖“は人々の心を蝕む。特にこの土地改革において人々の心に深く根を張った恐怖がどれほどのものだったか、自由社会に住む人々には想像もつかないでしょう。土地改革という言葉を聞いただけで、当時迫害を受けた人たちがどれだけ恐れおののくことか。このことが最も印象に残っています」

 同氏は、右派に関する調査を行った時は少しましだったとはいえ、やはり多くの人が恐怖心のため過去を語りたがらなかったと話した。

 「この状況はつまり、この数十年で当局が960万平方キロメートルという広大な中国全土に、恐怖という名の大きな網を張り巡らすことに大いに成功したということを表しています。住民の1人1人が恐怖の中で暮らしていくうち、真実を自らの手で覆い隠してしまったのです」

 「中国共産党が政権を取ってから全土で行われてきたいくつかの『運動』のなかで、土地改革だけはこれまで一度も否定されていません。反右派運動も基本的には否定されました。文化大革命も中共が自ら否定しました。1958年から1961年まで行われた大躍進で大量の餓死者を出してしまったこともそうです(1959年に毛沢東自身が生涯一度の自己批判を行って、政策の失敗を認めている)」

 だが、土地改革だけはずっと「タブー」として扱われてきた。なぜなら、中国共産革命の全ての合法性は、土地改革の上に成り立っているからだ。「土地改革の話は今でも“地雷原”です。この万丈の深淵に立った時、恐れを抱かない人がいるでしょうか」

中国で真実を語ること 麻薬の密売と同じくらい危険

 共産党専制政治の落とす闇は、譚氏の頭上にも迫っている。ある日突然、8人もの当局職員が同氏の家になだれ込み、家財を没収されたうえ、譚氏自身も連れ去られ収監された。

 「自由を享受できる世界に暮らす人には理解しがたいことでしょう。ドアをノックされただけで、心臓が飛び跳ねるほど恐ろしいのだということが。私はそうです。何年もの間、ノック1つに戦々恐々としながら生きてきました。」

「私たちの国では、真実を語るということは非常に大きなリスクを伴うのです。ある意味では、真実を語ることは麻薬の密売を行うのと同じくらい危険なことなのです」

「数十年前、私の父は真実を語ったがために右派の烙印を押されました。私たちの先達、私たちの親世代の人々は、真実を話しただけで悲惨な目に遭い苦難に満ちた道を歩むことになりました」

 譚氏は、こうした調査を行う上で最も重要な資質は、才能でもなく、ノウハウでもなく、恐怖に打ち勝つ勇気だと語る。気骨を失った人間は簡単に嘘をつく。それは個人の悲哀であり、もっと言えば国や民族の悲哀でもある。

 譚氏は、自分もまた嘘の中で大人になったと語る。調査を行ってから、自分が受けてきた教育が全て嘘だったことが、ようやく分かったと。

 「これが、私が嘘を心から許せない理由です。私は教壇に立った時、真実を語りたい。真実を語るか、教壇を降りるかと問われても、この一点において絶対に妥協はしません。私たちはもっと気概を持つべきなのです」

 真実を語るには、大きな代償を払うことにもなるだろう。60年前も今も変わらない。しかし、信条を貫くべきで、これこそが非常に大切なのだと譚氏は語った。

(翻訳編集・島津彰浩)