@AUTOCAR

写真拡大 (全25枚)

長いモデルサイクル 限られた選択肢

今、世界中を走り回るクルマはおよそ12億台と推計され、また、毎年9500万台ほどの新車が世に送り出されている。

モデルサイクルは徐々に短くなり、選択肢は広がっている現在、市場の競争はかつてないほど熾烈になった。

しかし、昔はそうではなかった。長年にわたり同じクルマが造り続けられ、莫大な販売台数を積み重ねた時代が、確かにあった。われわれを自立させてくれたのは、そんな世界中を埋め尽くした大衆車たちだったのだ。

とはいえ、現代の大量生産メソッドは、かつてないほど多岐にわたる大衆車を生み出している。そして、大量生産と呼ぶのに当てはまる数の規模が途轍もないことになってもいる。そのため、ここでは、20年ほど前までのモデルに限定したい。トップ500、なんてことになったら、〆切までに原稿が書き上がらないし。

それでは早速みていこう。

フォード・モデルT(1908年)


アメリカの自動車普及の礎となったのが、ティン・リジーの愛称でも知られるT型フォード。効率的な大量生産により1500万台以上が世に送り出され、一時期は全米のクルマの半分がT型フォードだったことも。様々な地で、1927年まで生産された。

モーリス・ブルノーズ(1913年)


正式には生産された英国の地にちなんでオックスフォードと呼ばれ、ブルノーズ(牛の鼻)というのはニックネーム。エンジンは1.0ℓサイドバルブ。1925年まで、英国で販売されるクルマのほぼ半数がブルノーズだった。

オースティン・セブン(1922年)


およそ20年間の生産期間に、セブンにはいくつのバリエーションが用意されたかご存じだろうか。答えは驚くなかれ326。セブンはたいていのタイプをラインナップしていたと言ってもいい。総生産台数は30万台に満たないが、重要なのは、購入しやすい価格だったということだ。

フォード・モデルY(1932年)


世界中多くの国で生産されたY型フォード。英国ではフォード8として知られ、市場を席巻した。英国市場では£100ジャストで販売されたクルマはこれが初めて。現在の貨幣価値にして£6,500($8,800)といったところだ。

フィアット・トッポリーノ(1936年)


オースティン・セブンに対する、1920年代のフィアットの回答がこの初代500。トッポリーノとは、ネズミを意味するニックネームだ。ちっぽけなサイドバルブエンジンを積むふたり乗りで、フランスでは現地生産されたものがシムカ5として販売された。

フォルクスワーゲン・ビートル(1945年)


発表されたのは第二次大戦前だが、生産開始は戦後のこと。究極のカルトカーともいうべきビートルは、基本的なデザインや空冷エンジンのRRというフォーマットをそのままに、2100万台以上が生産された。その期間は実に50年以上にわたり、ゴルフがベースのニュービートルが登場した時も、元祖かぶと虫を生産していた工場があったほどだ。

ルノー4CV(1946年)


ビートルとモーリス・マイナーによく似たスタイリングの4CV、その生産期間は15年。大衆にとっての、安価な移動手段となり、さまざまなバリエーションも登場したが、総生産台数は110万台ほどだ。

シトロエン2CV(1948年)


多くのひとが、その姿から車名を当てられるクルマのひとつ。これこそ真の大衆車で、極限まで簡素化しコストを削減した。40年以上にわたり、400万台ほどが生産された。

モーリス・マイナー(1948年)


時代を超えた名車に数えられるマイナーは、英国初のミリオンセラー。セダンのほか、トラベラーと呼ばれるワゴンと、ツアラーことコンバーティブル、バンやピックアップも用意された。生産は1971年まで続いた。

スタンダード・エイト(1953年)


ベーシックカーといえども、それも戦後の物資不足の中でも、これほど装備を簡素化した例は滅多にない。初期モデルにはトランクリッドがなく、リアシートを前へ倒して荷物の積み下ろしをしたほどだ。英国で食糧配給が終了したのは1954年だが、そのころ販売されたクルマでもまず見られないほどコストダウンが徹底されていた。

BMWイセッタ(1955年)


イタリアのスーパーカーメーカーであるイソが開発し、「小さいイソ」を意味する名を与えられたマイクロカーを、戦後の復興を図っていたBMWがライセンス生産し大ヒット。オープントップも設定され、英国で生産されたものも少ないながらある。

ルノー・ドーフィン(1956年)


4CVと同じく、ドーフィンもリアエンジンの安価なクルマで、広さと快適さ、そして驚くような斬新さを備えていた。220万台ほどが生産されたが、サビに弱かったため、現存数は極めて少ない。

フィアット500(1957年)


イタリアにも登場した経済的なクルマは、空冷499ccをリアに積み、四輪独立懸架を備えた4人乗りだ。

オースティン・ヒーリー・スプライト(1958年)


貧乏と学生というのはいつの時代も切っても切り離せないものだが、当時の彼らはこの「カニ目」の登場に元気づけられた。生産台数は5万台足らずだが、この頃のスポーツカーとしては台数が多く、大衆の要求でクルマが高級化を進める中にあっては手頃な価格だった。

DAF ダフォディル(1958年)


このオランダのメーカーの、自動車業界の勢力図を塗り替えようという試みは成功しなかったが、足跡は残した。その理由となったのが、革新的な連続可変トランスミッションの実用化。現在ではCVTと呼ばれるそれの原型だ。

オースティン/モーリス・ミニ(1959年)


現在の安全基準をはじめとするレギュレーションを考えれば、こんなクルマが生まれる瞬間には二度と立ち会えないだろう。これはおそらく、史上最高の偉大なパッケージングだ。全体の80%ほどが居住空間なのだから。これこそ真にクラスレスといえる初めてのクルマだ。

トライアンフ・ヘラルド(1959年)


秀逸な視認性と軽い操作系により、英国では教習車の定番となったヘラルドは、セダンのほかクーペやコンバーティブル、ワゴンとバンをラインナップ。スポーティな派生モデルのヴィテッセも登場した。

ルノー4(1961年)


このキャトルを欲しいクルマの筆頭に挙げるというクラシックカーマニアは滅多にいないだろうが、800万台も生産されたという事実は、このクルマの人気を証明する。ルノー初の前輪駆動車で、1992年まで生産された。

オースティン/モーリス1100/1300(1962年)


10年以上にわたって100万台以上を生産。広く快適なミニに似たパッケージングは、イシゴニスもうひとつの傑作。

フォード・コーティナ(1962年)


この典型的な60年代のモデルは、欧州市場、とりわけ英国でのセールスで圧倒的な強さを見せた。ロータスチューンなどによるレースでの活躍も、名声を高めた原動力だ。

MG B(1962年)


かつてスポーツカーの世界的なベストセラーだったMG Bだが、それはほぼ20年にわたるモデルライフによるところが大きい。オープンボディのロードスターとクーペのGTを設定し、後に短期間ながらV8モデルもラインナップした。

ヒルマン・インプ(1963年)


運動性ではミニに互角の戦いぶりを見せた数少ないクルマだが、初期モデルの信頼性の低さが災いして消えてしまったインプ。マイナートラブルが付いて回ったが、その名声は人々の記憶に残り続ける。

ヴォグゾール・ヴィヴァ(1963年)


ドライバーを興奮させるようなクルマではないが、3世代にわたって作られ続けたヴィヴァは、安価で実用的な移動手段として大衆に受け入れられた。初期モデルは極めてベーシックだったが、その後はアップグレードを重ねた。車名は最近になってヴォグゾールがリバイバルしたが、そのヴォグゾールはGMの英国部門から、今年に入ってPSA傘下に移っている。

フィアット850(1964年)


スパイダーやクーペが人気を集めるが、8年間で生産された220万台以上の大半を占めるのはセダン。今や、イタリアでもほとんど忘れられてはいるのだが。