宮下規久朗『刺青とヌードの美術史 江戸から近代へ』(日本放送出版協会)

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 9月27日、医師免許を持たずに客に入れ墨を施したとして、医師法違反の罪に問われた彫り師の判決公判が行われた。結果として、「保健衛生上の危害が出る恐れがあり、医療行為に当たる」としたうえで、罰金15万円の判決がくだされた。

 ここ数年争われてきた、「タトゥー施術は医療行為か否か」という問題について、ここでいったん国側から「医療行為である」という結論が出たことになる。

 これに対し、被告は即日控訴。判決後、メディアの取材に応じた主任弁護人の亀石倫子弁護士は「医師でなければタトゥーを彫ることが出来ないとしたら、この国から彫り師という職業はなくなります。日本の文化、伝統が失われます」、「タトゥーは日本の社会で嫌われがちな存在です。そんな人たちの権利や自由なんてどうでもいい、そういう社会を今日の判決は肯定するんです」と怒りを表明し、今後も争う姿勢を強調している。

 今回くだされた「彫り師には医師免許が必要」という判決はどう考えても行き過ぎであり、あまりにも現実を無視したものである。

 この裁判については、これまでにも著名人から疑問の声が漏れていた。

 たとえば、劇作家の鴻上尚史氏は「SPA!」(扶桑社)2017年5月16日号の連載コラム「ドン・キホーテのピアス」のなかでこのように綴り、国側の強引なやり口を批判している。

〈なんだかよく分からない裁判です。彫師になるためには医師免許が必要となれば、彫師という職業は日本から消えるでしょう。つまり、警察と検察は入れ墨(tattoo)の存在を日本から消そうとしているとしか思えません。本気なんでしょうか〉

 また、ジャズミュージシャンで文筆家の菊地成孔氏は、ウェブサイト「withnews」17年5月3日付のインタビューでこの問題についてこのように語っている。ちなみに、菊地氏自身も左腕にタトゥーを入れている。

「体制のやり方ってのは、風営法のダンス規制とまったく同じ。法律の拡大解釈によるイジメでしょう。警察の力を示すための示威行為ですね」

 入れ墨を入れる文化は日本において伝統的に行われていることであり、そのうえ、近年では海外のファッションタトゥーの影響もあって、その敷居はかつてより低くなっている。

 今回のような判決が出たからといって彫り師がいなくなることはないだろうし、その需要がなくなることもない。ではどうなるのか。彫り師は地下に潜り、誰の目にも触れないところで施術が行われるようになるのは明白だ。

 今回の判決で裁判長は「細菌やウイルスが侵入しやすくなり、皮膚障害を起こす危険性がある」と判決理由を説明した。入れ墨を入れる行為は衛生面において十分な注意を要する行為であり、知識や技能が不十分な者が行う場合、健康被害を出すおそれがある、というわけだ。

 実際、使い捨て針を使用しないで針を使い回すような、ごくごく一部の悪質な業者の施術により肝炎やHIVなどの感染が広がっているとの話もあり、健康被害対策についての議論はもちろん必要だが、だからといって医師免許を必須とするような非現実的な制度設計をした場合どうなるかは前述の通りである。可視化できない状況に追いやることにより悪質な業者は増え、かえって健康被害を増大させる結果を招く可能性が多く指摘されている。

 また、当の彫り師たちも、今回裁判で指摘されているような衛生面や健康被害に関し何の対応策も提示していないわけではない。

 昨年5月放送「BAZOOKA!!!」(BSスカパー!)には、彫り師の岸雅裕氏と弁護士の吉田泉氏が出演し、彫り師の医師免許問題に関して語っているが、そのなかで吉田弁護士はこのように述べていた。

「「針を身体に入れるという行為なので医師法違反」というのは馬鹿げてますけれども、かといって無制限でいいのか、何もなしで野放しでいいのかというとそれも違うかなと思います」
「いま考えているのは、岸さんをはじめ一流の方々が最低限守っている衛生面の基準というのがあって、それを抜き出してガイドライン化して、で、「彫り師の方々、これ守ってくださいね」というような法整備をしていくべきだと考えています」

 彫り師のための免許制度を新たに設けるなどの案はこれから積極的に議論されてしかるべきだろう。それは衛生面の注意徹底や健康被害の防止に確実に寄与するし、実際海外ではそうした制度をとっている国もある。だが、現在の日本の動きは180度真逆のものである。

 彫り師に対して頑に医師免許を求めるような強引な施策をとれば、これまで述べてきたように、逆に危険を招くということぐらい誰でも容易に想像がつくことだ。

 しかし、それにも関わらず、なぜこのような状況になっているのか。その裏には「入れ墨の文化など消えてなくなろうとどうでもいい」、「入れ墨を入れる人の健康状態がどうなろうと知ったことではないし、入れ墨自体消えてほしい」という偏見と差別が行政の心の内にあるからだろう。

 行政だけではない。ここ最近になり、ロック・ヒップホップなどの音楽や、スポーツ文化からの影響でファッション感覚のタトゥーが若者を中心に広く受け入れられるようにはなったが、それ以前は刺青というと反社会勢力のイメージが強くあり、その印象は日本社会から現在も消えてはいない。

 たしかに、江戸時代刺青は刑罰として用いられてはいたが、その時代の刺青は、遊女と客の愛情の印としての「入れぼくろ」や、火消し・鳶職人・飛脚といった職業の人々に愛されるなど、町人文化の「粋」として受け入れられていたものであった。

 その潮目が変わったのは、明治以降。欧米人の目を気にした政府が警察犯処罰令により刺青を処罰の対象としてしまったのだ。これは第二次世界大戦後まで続き、〈刺青は、禁止された七十六年の間にすっかり裏社会のものになってしまったのである〉(宮下規久朗『刺青とヌードの美術史 江戸から近代へ』日本放送出版協会)とされている。こうしたイメージがいまだに日本社会に根強く残っている。

 菊地成孔氏は前掲「withnews」のなかで「実際に嫌な目に遭ったわけではなくても、とにかくタトゥーは嫌だという人もいるでしょう。差別心ってそういうものですから」と語っているが、今回の判決の報道を受けて「身体に絵を描く馬鹿」という言葉がネット上を飛び交うなど、実情を知らない、また、知ろうともしない人が多い構図は改めて浮き彫りになった。

 偏見のもと、無闇やたらと締め付けを厳しくすれば、必ず反動でさらなる危険を招くことになる。風紀委員のような市民が跋扈し、実情を勘案もせずに公権力が力を示すための示威的な取り締まりを許すことは、なんとしても避けるべきだ。

 この裁判の報道がなされた直後、映画評論家の町山智浩氏は、その結果について〈これはひどい〉とツイート。そんな彼に対し、〈カジュアルにタトゥーを入れて後悔するよりは、闇の住人としていきる覚悟をさせるために、完全にアングラ化させるのはいいと思う〉と一般ユーザーからリプライが飛んでいた。

 町山氏はそういったアカウントに対し、〈僕が子どもの頃(昭和40年代前半)、やくざでなくても職人さん(大工さんや板前さん)には刺青を入れている人がけっこういました。別にそれが普通だったんです〉、〈闇の住人でも何でもない、近所のおじさんやお兄さんでしたよ〉と返していたが、やはり、行政や一般市民が思い描く、「入れ墨=暴力団関係者」というとくに根拠のないイメージが、この問題について議論にいたるまでの機会すら潰しているのだろう。

 今回の判決はタトゥーや入れ墨を入れている人、彫り師だけの問題ではない。彫り師の弁護人らが指摘していたように、これは、"みんな"が眉をひそめる異質な存在や嫌われ者、少数者の権利や自由なんてどうでもいいという社会を認めていいのか、という問題でもある。そのツケは、いつでも形を変えて誰にでもふりかかり得る。今後も続く裁判の行方を注視したい。
(編集部)