アメリカ刑務所を生き抜いた日本人・Mr.KEIが語る、『ブラッド・スローン』のリアリティ

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 『ジェーン・ドウの解剖』、『アイム・ノット・シリアルキラー』に続く松竹エクストリームセレクション第3弾『ブラッド・スローン』が、9月30日より公開される。株式ブローカーとして成功し、完璧な生活と家庭を築いていたジェイコブが、ひとつの事故をきっかけに監獄に収容され、抗争渦巻く暴力の世界で生き抜いていく姿を描く。実在する刑務所で撮影を敢行し、本物のギャングもエキストラとして参加しているなど、現在のアメリカ刑務所の“リアル”が映し出されている。リアルサウンド映画部では、“プリズンカウンセラー”のMr.KEI氏に本作についてのインタビューを行った。アメリカ刑務所の実態を知るKEI氏は、本作を一体どう観たのか。刑務所内での生活から、映画で描かれる内容の裏側まで、話を聞いた。(編集部)

■日本とはまるで違うアメリカ刑務所の実態

Mr.KEI――本作『ブラッド・スローン』は、綿密なリサーチのもと、実際の刑務所の様子を細やかに描写した映画になっています。アメリカの刑務所の実態は、やはりこの映画のような感じですか?

Mr.KEI(以下、KEI):そうですね。日本の刑務所とはまるで違います。結局、日本の刑務所は、戦後に作られてから、ほぼ変わってないわけです。日本の刑務所は、名前ではなく、いまだに番号で呼ばれますよね? あと、たとえば工場で働いているとき、鉛筆を落としたとします。それを勝手に拾ったら、もう懲罰なんですよ。手を挙げて看守がくるまで待っていなくてはならない。それが日本の刑務所の現実です。

――戦前の軍隊のようなイメージ?

KEI:軍隊というか、もはや奴隷に近いと思います。日本の場合、お腹を壊してトイレに行きたいと看守に言ったら、「お前、昨日隠れて何か食っただろ?」となるわけです。その看守と相性が悪かった場合、それでもう懲罰です。日本の刑務所は、本当に昔のまま変わることなく今まできてしまっているというか、刑務所に関する法律そのものを変えたほうがいいと自分は思います。

――それと比べると、アメリカの刑務所は、この映画のように……。

KEI:そもそも、アメリカの刑務所には、世界中の人種がいるわけです。もちろん、人種によって宗教もバラバラです。だから、入るときにクリスチャンだと申請すれば、クリスチャンの祭日は仕事も休みになるんですよ。

――そうなんですね。

KEI:クリスチャンと申請すれば、金の十字架のネックレスをつけていてもOKです。日本ではそんなの絶対ありえないですよね。自分が入っていたときも、華僑のお金持ちが仏教に関するものだからと言って、500グラムぐらいある金のネックレスをつけていました(笑)。宗教に関係したものであれば、そういうものを身につけても問題がないわけです。

――その人のアイデンティティに関わるものは、脅かせないわけですね。

KEI:それもありますし、やっぱり自由の国ですから。刑務所の中に映画館があるのはご存じですか?

――映画館? 何を上映しているんですか?

KEI:普通に外の世界でやっている映画と同じですよ。外の世界のロードショー作品を外の世界と同じ週の土日で上映しないと、暴動が起きてしまう。それは映画だけではなく、ボクシングのタイトルマッチとかも同じです。ああいうものは基本的にPPV(有料放送)なのですが、刑務所側がお金を払って囚人たちに試合を見せるんです。スーパーボールに関しても同じです。スーパーボールの日は、刑務所は全員お休みですから。

――日本の刑務所と比べると大きな違いを感じますが、自由なだけではなく、本作に描かれているような「厳しさ」も、やはりあるわけですよね?

KEI:厳しさというか、この映画でも描かれているように、中で殺人が起こったりします。すると、FBIがやってきて調査をした上で裁判もやって、また刑が増えるわけですが、レベル5以上の刑務所だと、みんな30年以上の懲役をくらっていたりして、すでに刑期が長い。中には888年の刑を数回受けている人もザラにいます。殺人をして5年増えようが10年増えようが、どっちにしろ出られないので、あまり関係ないわけです。そういう意味では、怖いところというか、日本の刑務所の中で、どこかの組長が殺されたとか、そんな話聞いたことがないですよね? 日本の刑務所は、そこまでの危険性はないと思いますが、向こうの刑務所は自由である分、やはり危険度も上がります。

■外の世界とは違う刑務所内の“絆”

――この映画のように、刑務所内での主導権は、囚人たちが握っているものなのですか?

KEI:この映画に限らず、アメリカの刑務所は、どこもそうだと思います。囚人がいないと刑務官はお金を稼げないわけですから。彼らの給料は本当に微々たるものなんです。とはいえ、刑務官のほうも取引する相手は慎重に選びます。その囚人を何ヶ月か見ていて、こいつは大丈夫そうだなと思わない限り寄ってこないです。チクられると、彼らもクビになってしまうから。そう、刑務官がクビになって、その何ヶ月かあとに囚人になって戻ってくるというパターンは、よくありました。

――本作で描かれていたような、人種間のグループによる対立みたいなものも、やはり存在する?

KEI:もちろん。この映画に登場する「AB(アーリアン・ブラザーフッド)」は、自分もよく知っています。オレゴンの刑務所に収監されていた頃、一緒になりました。そこは白人主体の刑務所だったので、彼らの力が強いんですよ。結局自分は、チカーノのグループと行動をともにするようになるのですが、人種間グループの小競り合いみたいなものは、もう毎日ありました。というか、そういう人種間グループがなかったら、統率がとれないんだと思います。もし、それがなかったら、毎日暴動が起きてしまうのではないでしょうか。

――今回の映画では、囚人たちのボスが、刑務所内はもちろん、刑務所の外にも強い影響力を持っているように描かれていました。実際、そういうことはある?

KEI:『アメリカン・ミー』という映画を、ご覧になったことはありますか?

――いや、観てないです。

KEI:そうですか。あの映画は、この映画で描かれている刑務所のモデルのひとつになったと思われる、サンクエンティン州立刑務所を舞台とした映画で……それは本当に、サンクエンティンの現実をそのまま描いたような映画になっているんです。その映画をコーディネイトした人たちが全員殺されてしまったという、いわくつきの映画なのですが……。

――なるほど……。

KEI:その映画の中で、このへんの事情は、全部描かれています。つまり、刑務所の中にいるビッグホーミー(※チカーノ用語でギャングの大ボスを指す)と、外にいるビックホーミーがいるわけです。で、外から中に指示を出したり、中から外に指示を出したりする。そういうことは、実際にあると思いますね。ビッグホーミーたちは刑が非常に重いので、基本的に外の世界に戻ることはないんです。彼らは、もう何十年も、ずっと刑務所の中にいるんですよね。

――話を聞いていると、アメリカの刑務所システムには、やはり大きな問題点があるような気がしてならないのですが、KEIさん自身は、どのように考えていますか?

KEI:そうですね……自分はすごい楽しかったので、そのあたりは何とも言えないです(笑)。そう、長いこと入っていると、刑務所の中に入っているという感覚が、だんだんなくなってくるんですよ。刑務所の中とはいえ、やっぱり自由じゃないですか。もちろん、そこに自分の家族がいないという寂しさはありますが、好きなものも買えるし、稼ごうと思えばいくらでも稼げるので。

――そこで「稼げる」というのがすごいですよね。

KEI:たとえば、刑務所の中でヘロインというのは、ビッグビジネスになっていて一袋5000ドルになるんですよ。

――そんなに……というか、映画の中にもありましたが、口から飲み込んで下から出すみたいなことは、普通にやっているのですね。

KEI:自分が親しくしていたチカーノの若い子たちは、外の世界にいても、多分そんなに稼げないと思うんですよ。だけど、中にいたらお金持ちにもなれる。だから、誰か仲間が出所するときは……その前日は、みんなでいろんな料理を作ってお祝いをするのですが、当日の朝、アナウンスで呼び出されても、大体隠れちゃいますから。外の世界に出るのが嫌で。体育館のマットの下とかに隠れちゃうんですよ(笑)。

――そこには外の世界とは違う、濃密な人間関係があったりもするわけですか。

KEI:そうですね。自分はもう出てきて16年経つのですが、そのあいだに昔の仲間たちが、次々出所するじゃないですか。そいつらが、わざわざ日本まで会いにきてくれるんですよ。自分はもうアメリカに行けないので。で、実際会っても、中にいたときのまんまの感じで接することができる。日本の刑務所だと、なかなかそうはならないですよね。外で会ったら、中にいたときとは全然違うやつになっていたりするので。だけど、チカーノのやつらは、中にいたときも外にいるときも同じなんですよ。逆に、うちのスタッフの人間が仕事でアメリカに行くときには、いろいろと面倒も見てくれますし。日本人は、そこまでしてくれないですよね。

――その「絆」は、強いわけですね。

KEI:だからやっぱり、彼らも刑務所の中でルールを学びながら、そこで自分たちが生きていくための道徳みたいのを身につけているんですよね。そうじゃないやつらは、どうしてもお金が先にきてしまうんです。そうすると、お金のために平気で人を裏切ったりする。そこはすごく違いがあるように自分は思います。

■「些細なことから人生は変わってしまう」

――ちなみに、本作の主人公は、だんだんと倫理観が崩れて行って、最終的にある結論を下します。あの状況で、彼は一体どうするべきだったと、KEIさんは思われますか? 彼の選択は、ある程度しょうがないことなのでしょうか?

KEI:いや、しょうがないといった話ではなく、やはり彼には彼の選択があったんだと思います。ある程度、状況的なものもあったとはいえ、やはり彼は自分でそれを選んだわけですから。だから、あれしか道がなかったというわけではないと思います。

――確かに主人公自身、罪の重さに耐えきれないというか、後悔や自責の念があったようにも見えました。

KEI:ただ、事件に対する罪の意識や後悔の念でギャングに入るっていうのも、ちょっとおかしな話ですよね。むしろ彼は、どこか自暴自棄になっていたというか、開き直ってしまったところがあったのかもしれない。

――それでは最後の質問です。この映画から何か我々が学ぶことがあるとするならば、それはどんなことだとKEIさんは思いますか?

KEI:この映画は、最初交通事故から始まっています。そういう些細なことから人生というのは変わってしまうんだということを学ぶべきですね。交通事故というのは、車に乗る人ならば誰でも可能性のある話で、それが最終的に犯罪集団のボスになってしまう可能性があるわけです。たとえば、交通事故を起こして日本の刑務所に入ったとき、たまたま同じ部屋にどこかの組の親分がいたとします。日本は7人部屋だから、そういう人につかれると、結構きついんですよ。そこで子分みたいになってしまう人もいるかもしれない。そしたら出てきたときは、もうヤクザですよ。だから、たとえどんなに最悪な状況であっても、自分が選ぶ道というのは、やはり慎重に決めたほうがいいですよね。

――なるほど。

KEI:自分の場合も、アメリカの刑務所に入って、すぐチカーノのグループに入ったわけではないですから。そこに至るまでのあいだにいろいろなことがあって、相当な年月が経ってから入っているんです。普通、日本人が彼らの中になんて入れないですから。そこで、もし選択を間違っていたら、刑が終わる前に、中で殺されていたかもしれない。入ってすぐに、誰かにつかれてしまったら、それはそれですごく怖いし、どんなことをしてでも生きたいという気持ちは、やっぱり人間だから誰しもあるわけです。でも、だからと言って、すぐにそこに飛び込んでしまったら、それはそれでもっとひどい目に遭うかもしれないし、もっとひどい人生になってしまうかもしれない。だからやっぱり、ただただ流されるように生きるのではなく、たとえそれがどんな結果になろうと、ひとつひとつの選択に自分で責任を持つことですよね。そういう態度が、やはり大事になってくると思うし、この映画を観たあと、そういうことについて考えてみるのもいいかもしれないですよね。

(取材・文=麦倉正樹)