パートやアルバイトというような非正規雇用が増え続けている現代。いわゆるフリーターと呼ばれているアルバイトやパート以外に、女性に多いのが派遣社員という働き方。「派遣社員」とは、派遣会社が雇用主となり、派遣先に就業に行く契約となり派遣先となる職種や業種もバラバラです。そのため、思ってもいないトラブルも起きがち。

自ら望んで正社員ではなく、非正規雇用を選んでいる場合もありますが、だいたいは正社員の職に就けなかったため仕方なくというケース。しかし、派遣社員のままずるずると30代、40代を迎えている女性も少なくありません。

出られるようで、出られない派遣スパイラル。派遣から正社員へとステップアップできずに、ずるずると職場を渡り歩いている「Tightrope walking(綱渡り)」ならぬ「Tightrope working」と言える派遣女子たち。「どうして正社員になれないのか」「派遣社員を選んでいるのか」を、彼女たちの証言から検証していこうと思います。

☆☆☆

今回は、都内で派遣社員として働いている坂上千鶴さん(仮名・31歳)にお話を伺いました。千鶴さんは、くせ毛のふわっとしたセミロングに、黒のリキッドアイライナーとマスカラで強調された目元がくりっとしたかわいい系美人。爪には、秋っぽい深紅とベージュのコンビのジェルネイルが施されていました。

「メイクをあまりしていなくても、化粧が濃いって言われちゃうんですよ」

白いデザインブラウスに、紺色のカーディガンを肩に羽織り、ベージュの細身パンツを合わせていました。肩から提げられる大き目のアメリカブランドのバッグには、メイクポーチや、電動歯ブラシなどが入っていました。

平日は、自転車を使った筋トレを行なうジムに通うのが日課となっています。

「仕事は、出かけるための口実に近いですね。帰りに、六本木とか渋谷に寄っていくんです。時々は友達と飲んだり」

千鶴さんには、結婚して5年目になる夫がいます。

「子供は作らなかったんですよ。もともとあまり子供が好きじゃなかったし。電車とかで騒いでいるのを見かけると、子供作らなくてよかったって思いますね」

彼女は兵庫県西宮市出身。地方公務員だった父と、ピアノ教室で働いていた母、2歳下の妹の4人家族で育ちました。

「西宮って、お金持ちが住んでいるエリアっていうイメージなんですが、うちは山手のほうではなくて、もうちょっと下町の方だったので庶民的な感じでしたね」

父は専門職の公務員だったため、比較的裕福な暮らしだったと言います。

「母が、自宅でピアノを子供たちに教えていたんです。でも自分が中学位の時に、教える生徒が減ってきちゃってやめていましたね。特に仕事がやりたかったわけではなくて、“ピアノ教えています”って言いたかっただけみたいで」

中高一貫の女子校に進学し、ダンス部に所属し部活動に励みます。

「身体を動かすのが好きだったんです。幼稚園の頃から、バレエも習っていたので、ダンスも得意だったんです」

高校時代は、学校帰りにファストフード店に友人と寄って帰ったり、他校の生徒とカラオケに行ったりと充実していました

「部活の発表会で、他校と交流できるのが楽しみでしたね。うちは制服が可愛いと地元では言われていたので、男子校の生徒とすぐに仲良くなりましたね」

過干渉の母から離れるため、上京を決意

千鶴さんの母は、千鶴さんの学校行事や保護者会などに積極的に参加していましたが、妹さんには、やや放任だったそうです。千鶴さんと妹さんは、外見はあまり似ていないそうです。幼いころ千鶴さんは母の選んだ女の子っぽい服を着ていましたが、妹さんはパンツや動きやすい服を好み、それを貫いていたとか。

「妹は私とは違って、小学校の友達と別れるのが嫌で地元の中学に進学したんですよ。受験しないと高校に進学できないのでどうするんだろうって思ったら、県立高校に受かって看護学科に進学しました」

専業主婦だった母は、千鶴さんに働くよりも結婚を薦めてきたそうです。

「母は私の通っていた学校を周りに自慢をしていたので、妹は早い時期から自立しようと看護師になったのかもしれないです。私は逆に母から“いいの捕まえなさいよ”って、ずっと結婚をするように言われていましたね」

千鶴さんの大学進学時に、お見合いなどで有利な女子大への進学を望んでいた母と衝突します。

「大学は共学に進学しました。母から“えっ、そんなところに進学するの、女子大にしなさいよ”って言われて、揉めたんですけど。結果としては、共学に進んでよかったですね」

母の過干渉が酷かったため、実家を出たいと考えます。

「妹と違って、大学を出ても特に資格とか取れなかったんですよ。妹が地元に残るって言っていたので、思い切って東京の企業にもエントリーしたんです」

しかし、真面目に行なっていたはずの就活でしたが、なかなか内定が貰えませんでした。

「受かって決まっちゃえば、反対されないかなって思って。旅行代理店に就職しました」

お母さんも名前を知っている大手旅行代理店だったので、そこまで反対はされなかったそうです。

「法人のお客様の団体旅行の手配を行なう部署にいました。母も、旅行業ならブラック企業でもなさそうだし、2〜3年したら帰ってくるかなって思っていたみたいです」

東京に出るための口実として就職しましたが、長く務めるつもりはなかったと言います。

「社内の体質は、体育会系でしたね。営業の男性とか怒られているのを見かけたり。一生懸命何かをするのが苦手なんですよ。最低限、働ければいいって思って就職したので。とりあえず3年くらい働いたら、どうしようかなって考えていましたね」

旅行代理店は意外とハードワークだったので、長く務める気は最初からなかったと千鶴さんは語ります。

旅行代理店を寿退社するも、今度は夫が過干渉に……!?〜その2〜に続きます。