ホン・ミョンボ(写真は1997年のもの)【写真:Getty Images】

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1993年W杯アジア予選で日本に敗戦、ホン・ミョンボは「ひどく落ち込んだ」と回想

「日本がアジアで最もテクニカルなチームに変貌していた。ものすごくショックで、しばらくチーム内でも誰も口を開くことがなかった」――ホン・ミョンボ(元韓国代表)

 韓国は世界に出て行く上で、日本にとって常に大きな壁だった。特に日本が1968年メキシコ五輪で銅メダルを獲得してから低迷期に入り、一方で韓国がプロ化を実現する1980年代は、完全に力の差が浮き彫りになった。

 例えば1984年には、森孝慈監督率いる日本代表が初めてソウルで勝利を収めるが、対戦したのは韓国のBチームで、主力選手たちはゆっくりとスタンドから観戦していた。当時の日本代表ボランチだった宮内聡氏などは、「まず、あいつら(主力)を引っ張り出さなくちゃ」と話していたそうである。

 だが日本がJリーグ創設へと動き出し、代表チームにもオランダ人のハンス・オフト監督を据えると、様相が一変した。冒頭に記したのは、1993年アメリカ・ワールドカップ(W杯)アジア最終予選で日本に0-1で敗れたことに関して、韓国代表DFホン・ミョンボが話した言葉である。

「もちろん、Jリーグができてブームが起こっていることは知っていました。でもそれまでは、日本が相手なら1対1でも組織としても、すぐにゲームを支配することができた。ところが日本はいろんな部分で成長していて、最もテクニカルなチームに変貌していた。

 DFの立場からすると、日本の選手たちは、とても捕まえにくい動きをするようになっていた。日本は本当に強くなったんだな、と、それからライバルとして意識するようになりました。逆に私たちは、アジアでNO1の座にアグラをかいていたのか、とひどく落ち込みました」

日本にとっての「ドーハの悲劇」は、韓国にとって「ドーハの奇跡」

 日本がW杯予選で韓国に勝ったのは、これが初めてだった。両国ともに最終戦を残す時点で立場は逆転。首位に浮上した日本は、イラクに勝てば本大会への出場権を得られることになった。

「もう完全にダメだと思いました。日本は韓国に勝ったくらいだから、当然イラクにも勝つと思っていました。だから結果を聞いた時は、本当に奇跡が起こったと思いました」

 優位な立場にあった日本は、最終戦の土壇場でイラクに2-2の引き分けに持ち込まれ、W杯出場圏外の3位に転落。北朝鮮に3-0で勝利した韓国が得失点差で2位に浮上した。日本にとっての「ドーハの悲劇」は、韓国にとって「ドーハの奇跡」だった。

 もっとも日本戦の敗戦に打ちひしがれたホン・ミョンボは当時、「次に日本に負けたら、もう引退する」と発言したと報道された。

「正確に言います。あれは、次に負けたら引退するくらいの覚悟で臨みます、と話したんです。それからは私が出場した日本戦では負けなかったので、幸い引退しなくて済みましたけどね(笑)」

 やがてJリーグにも参戦し、ベルマーレ平塚と柏レイソルでプレー。4度のW杯に出場し活躍することになった。

加部究●文 text by Kiwamu Kabe