「1億稼ぐ子どもを育てる」上での注意点4パターン

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NG親のパターン1 自立を強要する親

服従とは逆のケースですが、早すぎる自立の強要も、子どもの愛情飢餓感を増幅させることがあります。本当はもっと甘えたい時期なのに、たとえば、「自分のことは自分でしなさい」など自立を強要されて育った場合も、やはり親からの十分な愛情を感じられないままになります。

甘えたいにもかかわらず突き放されると、子どもは親に全幅の信頼感を感じることができません。そして寂しさとともに、自分の弱みを見せてはいけない、他人を頼ってはいけないと考えるようになります。

もちろん、自我が芽生えてくれば、子どもも一人前の人間として扱われることを喜ぶようになります。そのため、適切な自己責任意識が育ち、強い精神が培われるベースとなります。

そうやって自立を促すのは本人の個性や成長速度に合わせて徐々にであるはずですが、過剰に自己責任意識を押し付けられて育つと、困ったときでも人に助けを求めることができなくなります。これも、親が子の成長に無関心であるか、子の成長度合いを無視して自分と同じ感覚を押し付けようとしているかのどちらかの可能性があります。

後者の場合は、親が自分の生き方に自信や信念を持っているため、子どもの気持ちを汲もう、子どもの目線に立って一緒に考えようという、子に寄り添う意識が欠如している傾向があります。私もその傾向があるので、注意しなければならないな、と思っています。

NG親のパターン2 過保護すぎる親

過保護な親のもとで育った人は、他人の目を必要以上に気にする愛着障害に陥りやすい典型例です。「過保護は親の愛情が強すぎるだけで、愛情たっぷりなはず」だと思うかもしれませんが、実はそうではありません。

過保護な親とは、本当に子どものためを思っているというよりも、いえ、もちろん子のためを思っているわけですが、その根底にあるのはただ自分の欲求を満たすことで頭がいっぱいな人です。

たとえば「今日は寒いから上着を着ていきなさい」というのも、本心では自分が安心したいからです。自分の考える通りにならないと不安なので、あらゆることに先回りしてレールを敷き、自分の命令通りに動く子どもを見て満足します。

これは親自身も愛情障害であることに起因します。親も幼少期に、自分の両親からの愛情が足りず、ゆがんだ形で育ってきたからです。しかしこういう親に育てられる子どもは不幸です。親がすべて先回りして準備するために、自分で考える機会を奪われてしまうからです。

子どもは自分で考えなくなる。自分で対処できない。そのため親に過度に依存するようになります。すると、親に嫌われてはいけない、好かれるように振る舞わなければならないと考え、親の顔色を過剰に気にするようになります。

さらに自分の判断より親の判断が優先されますから、自分の考えや判断は正しいと思えず、他人の意見に容易にぐらつきます。重要な局面において自己責任で判断するという姿勢が養われないのです。あるいは子どもに悪知恵がつき、親に服従し親の期待通りの「いい子ちゃん」を演じることで、親の愛情を引き出す子も出てきます。

NG親のパターン3 自己投影の親

過保護と似ていますが、親が自分の夢や願望を子に投影し、過剰な期待を抱く場合も、子どもの愛着障害を生みやすいと言えます。親が自分の幼少期にやりたかったけれどもさせてもらえなかったこと、叶えたくても叶えられなかった夢を子に託し、自分の代わりに活躍してもらって自分のかつての夢を代理で叶えてもらおうとします。

すると、子どもは親が喜ぶから、親が喜ぶ顔を見たいから努力します。親の期待にそうようがんばります。「親をがっかりさせたくない」と考えます。もちろんそれは当たり前であり、ある程度は必要であり、大切なことでもあります。親に認めてもらうことは子にとって最大の喜びのひとつであり、努力へのモチベーションとなります。プロスポーツ選手も、幼少のころから親の期待を一斉に浴びて努力し、大成するという人は大勢います。

しかし、過剰な期待は子どもに余計なプレッシャーを与えかねません。子どもの個性によっては、それが息苦しさと感じる場合もあるからです。子どもは本来、「自分らしくしていい」「自由にふるまっていい」という環境を与えられることで、適切な自己価値観、自己肯定感が養われます。

しかし子どもが許容できる以上の過剰な期待を子に浴びせ続けると、子は親の顔色を窺い、ロボットのように親が喜ぶように演じることが自分の価値だと感じます。そして「親からの愛情を失ってはいけない」という強迫観念となり、「親のために自分を犠牲にする」ようになります。これもやはり「嫌われてはいけない」という欲求につながります。

NG親のパターン4 子の可能性を制限する親

逆のパターンもあり、子が親の限界を勝手に決めるタイプです。

「お前にはムリ」「やめておけ」「どうせ失敗する」「誰が責任をとるんだ」「だからお前はダメなんだ」という言葉を投げかけられ続けると、子どもは無能感に支配され、「自分はダメな子なんだ」と捉えるようになります。すると、未知のこと、先が読めないことに対してひどく臆病になり、何事に対してもできないと決めつけ、新しい挑戦を避けるようになります。

これは親による叱責が厳しい場合にも起こりえます。学校やスポーツの成績が悪いと「なんでこんなこともできないんだ」と責め立てられると、子は委縮します。失敗を極度に恐れるようになり、やってやるんだという意気込みより、やらずして諦める傾向が強くなります。

一言で言うと、「親による否定的な言葉」が子どもの可能性を摘んでしまうわけですが、能力や挑戦などに限らず、「ウチにはお金がないから無理」という言葉も、子どもに悪影響を及ぼします。お金によって自分の生き方が制限されるという原体験は、お金に対する過剰なコンプレックスとなります。すると、お金を重視した生き方を求めるようになったり、逆にお金なんて大事じゃないと反発したするなど、極端な思考体系が形成されてしまいます。

これは親自身が劣等感を抱いている場合が多く、子が自分を超えることを望んでいません。むしろ自分よりも可能性や能力があるとは思いたくなく、自分よりダメな子にしておくことで、自尊心を守ろうとしているのです。

子の挑戦を称え、子の失敗を許せる存在は親しかいないのですが、それができない親。子が親を超えてこその家系の繁栄というものですが、それを嫉妬する親。「自分ができなかったんだから、お前にもできないでほしい」というわけです

あるいは、「お前はダメだな。パパならお前のころにはとっくにできていたぞ」などと子どもに自慢して相対的に子の立ち位置を下げ、自分を上げることで鬱憤を晴らそうとする親もいます。もちろん、「親にもできたんだから子のお前にもできる」という勇気づけなら良いですし、「なにくそ」と発奮するタイプの子どもならプラスになります。

しかし、「そうか、自分にはそんな能力はないのか」と感じる子どもの場合、やはり委縮させてしまいかねません。親がかける言葉によって子の思考体系が形成されます。親が豊かな思考と発想を伝えれば、子も豊かになります。逆にもしかりで、親の貧しい思考と発想が子に伝わり、貧困の連鎖が繰り返されることになります。(文:午堂 登紀雄)