中国の「河口断橋」からとらえた北朝鮮

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 北朝鮮の相次ぐミサイル発射で、国連安全保障理事会はこれまでで最も厳しい対北制裁決議を採択した。だが、その効果は極めて低い。なぜならば、中国の朝鮮族を中心にした秘密結社組織「朝鮮幇(パン=マフィア)」が暗躍、北朝鮮と密貿易を繰り返しているのだ。ジャーナリストの相馬勝氏が中朝国境の遼寧省丹東に飛び、中国と北朝鮮を結ぶ地下経済の実態を取材した。

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 中国の丹東市中心部から北朝鮮との国境となっている鴨緑江に沿って、車で1時間ほど河を遡ると、右手に小さな集落を形成する「河口景区」との大きな看板が見えてくる。1950年10月、共産革命を成し遂げた共産党の元老で、中国人民解放軍最高幹部の一人、彭徳懐元帥に率いられた中国人民志願軍が同年6月に勃発した朝鮮戦争に参戦。ここに架けられていた橋を渡って北朝鮮領に一歩を踏み出した記念すべき地だ。

 朝鮮戦争で戦死した毛沢東の長男、毛岸英も一兵卒として、彭徳懐に従って、他の兵士と渡河している。これを記念して、河沿いの遊覧船乗り場前広場には、軍服姿の岸英の銅像が建てられていた。

 橋は当時の米軍による空襲で、河の真ん中から北朝鮮寄りの部分が爆撃、破壊され、いまは3基の橋脚が無残な姿をさらしており、橋の機能は果たしていない。が、中国側の部分は現存し、河の中央部分まで400mほど歩いて渡ることができる。橋の両側には当時の志願軍の軍旗が20本以上もかけられ、川面を流れる風にたなびいていた。

 この橋は日本統治時代に建設されており、日本名は「清城大橋」だったが、いまは正式な名前はなく、「河口断橋」と呼ばれている。

 朝鮮戦争から64年以上も経ち、観光地化した村では北朝鮮側を見物する遊覧船がほぼ30分ごとに動いている。だが、ここを訪れる観光客はそれほど多くはない。ましてや、さらに上流に向かう客は皆無だ。

 しかし村から車で30分の「上河口区」には中国と北朝鮮を結ぶ鉄橋がかかっている。鉄橋は河口景区の清城大橋と同じく、日本統治時代に建設されており、当時の名前は「清水橋」。北朝鮮側にある水豊ダム建設のため、当時の満州国から建設物資や日本人技師らを運ぶために造られた。

◆密貿易の拠点

 上河口区の地元住民によると、洪水などで清水橋が損壊したこともあって、鉄橋を使っての両国間の往来は一時途絶えていたが、その後、修復され、いまは不定期ながら、北朝鮮に物資を運搬するため稼働している。

 上河口区には上河口駅という無人駅があり、そこから清水橋を通って北朝鮮側の最初の駅は水豊駅だ。朝鮮人民軍兵士が常時、詰めており、警戒の目を光らせている。北朝鮮情勢に詳しい丹東の消息筋は「鉄橋には深夜から未明にかけて、中国の列車が乗り入れて、北朝鮮に物資を運ぶ重要な拠点となっている。中朝の一大密輸拠点であり、中国の朝鮮族を中心とした朝鮮幇(マフィア)がかかわっている」と明かす。

 上河口駅から中国内の線路をたどると、中国東北部有数の鉱業と重工業の重要都市でもある本渓に辿り着く。本渓からは遼寧省有数の大都市、瀋陽市とも中国版新幹線である高速鉄道で結ばれている。つまり、清水橋の鉄橋を使えば、大がかりな中朝間の物資のやりとりが可能となる。

 実際、鴨緑江沿いの幹線道路には「密貿易を摘発しよう」とか「密貿易は犯罪」などとの看板が頻繁にみられた。それだけ、密輸が多いということだろう。

 国連安保理は8月5日、北朝鮮の1年分の輸出額の3分の1に相当する10億ドル(約1100億円)の削減を中心とした制裁決議を採択した。具体的には北朝鮮産の石炭及び鉄と鉄鉱石、鉛などの鉱産物や海産物の輸入を停止するという制裁だ。

 とはいえ、これらの北朝鮮産品の9割を輸入する中国が抜け穴になっているのだから、制裁の実効性は低いといわざるを得ない。

 しかも、同筋が「この清水橋ルートは密貿易のごく一部であり氷山の一角だ」とも指摘するように、実は中朝貿易全体の7割が集中する丹東市中心部の鴨緑江大橋を使った正式な貿易ルートについても、朝鮮幇が暗躍しているというのだ。

※SAPIO2017年10月号