豊橋鉄道の歴史を簡単に

1924年(大正13年)に渥美電鉄が師団口駅〜三河田原駅間開業。1927年(昭和2年)新豊橋駅まで延伸します。当初は渥美半島を縦断する計画で三河田原から黒川原までも延伸されました。1940年(昭和15年)合併で名鉄渥美線になります。鉄道敷設法で「豊橋から伊良湖岬に至る鉄道」とされていた上に陸軍技術研究所(伊良湖試砲場)などもあったので国鉄線として建設されることになりました。黒川原〜堀切が着工しますが、戦局悪化で中断。さらに三河田原〜黒川原間が不要不急路線として休止されます。(レールは剥がされ鉄材として転用)終戦によって国有化の話も立ち消えになりました。1954年(昭和29年)名鉄は新豊橋〜三河田原間を豊橋鉄道に譲渡、豊橋鉄道渥美線になりました。同じ年に黒川原〜三河田原間は名鉄線として休止のまま廃止されます。

1924年(大正13年)に開業した師団口駅の歴史がちょっと複雑です。最初は、陸軍第15師団があったので師団口でしたが、1943年(昭和18年)に陸軍第15師団がビルマの第15軍に編入されたため高師口駅に改称されます。1944年(昭和19年)に駅は休止。20年以上の後、1968年(昭和43年)に旧陸軍第15師団跡地にあった愛知大学豊橋校舎までのスクールバスが廃止されたため、豊橋鉄道が大学前駅として営業を再開します。2005年(平成17年)に愛知大学前に改称されました。

新豊橋発12:15 三河田原行に乗ります

東京を早暁に出て、青春18きっぷで豊橋まで来ました。2017年9月の金曜日です。幸い天気は晴朗。新豊橋駅はJR豊橋駅の横、一旦JRの駅ビルを出て東武鉄道の新豊橋駅に行きます。

ホームはJR東海道本線の東側にあります。

列車が到着。元東急電鉄7200系電車、豊橋鉄道では1800系です。この車両は「ばら」と描かれています。53両作られた7200系のうち30両(うち2両は車庫の火事で焼失)が譲渡されて活躍しています。焼失した2両を補う形で上田電鉄に譲渡された2両を再譲渡されています。

これから三河田原まで乗るのはこちらの「はまぼう」号です。ハマボウを知らないので調べたら「穏やかな内湾海岸に自生して夏に黄色い花を咲かせる」とのことです。ハイビスカスと同族なんですって、知りませんでした。

元東急電鉄7200系電車、豊橋鉄道1800系「はまぼう」号の銘板です。昭和43年(1968年)製、もうすぐ車齢は50年です。東急電鉄は(7000系以来)オールステンレス車両製造をアメリカ・バッド社のライセンス生産で行っていることが記載されています。

流石に設計がいささか古いことが分かる運転台です。

横から観るとこんなデザインです。ドアが開いていますが、ドアはラインと同じ茶色です。

「ばら」号のドアは閉まっているので、色が分かりますね。

「ばら」号。

12:15になって「はまぼう」号が出発しました。新豊橋駅を出ると単線になります。東海道本線と並走します。

左にカーブして東海道本線とは離れて行きます。ここが初代新豊橋駅のあった場所で現在は花田信号所。1944年(昭和19年)までは花田駅として旅客扱いをしていました。その後は花田操車場でした。右側奥にその痕跡があります。

左にカーブした後、最初の柳生橋駅に着きます。単式ホーム1面1線。

駅名標。左奥に平行する東海道本線が見えます。

右にカーブして東海道本線と東海道新幹線の下をくぐり、小池駅です。柳生橋駅からの駅間は短く700mしかありません。ホームは相対式2面2線。

小池駅で列車交換。むこうは「ひまわり」号です。カラーはブルー。

愛知大学前駅までの間は平坦ですが、国道259号線(田原街道)をアンダーパスするための小池隧道に入ります。300mもない短いトンネル内を列車はS字を描いてカーブします。トンネルが完成するまでは交通量の多い国道259号線と県道豊橋環状線には踏切がありました。

すぐに地上に登って行きます。

地上に出ると国道259号線に沿って走り愛知大学前駅に着きます。小池駅からの駅間も800mと長くはありません。冒頭に書いた複雑な歴史を持つ駅です。

と、本日はここまで、次回「私鉄に乗ろう 18 豊橋鉄道渥美線 その2 愛知大学前駅〜老津駅」に続きます。

(写真・記事/住田至朗)